シャワー

 シャアァァァ……。


 飛沫(しぶき)が、床を打つ音が聞こえる。

 世羅の背中越し、曇り硝子の向こうの人影が動くたび、水の音が変わる。


 まるで、楽器みたいだな……世羅はそんなことを思う。


「リズムも何もあったもんじゃない……適当なことが頭に過ぎるってことは疲れてるな"俺"……」


 世羅はゴロリと横になる。


 天井には薄くシミが浮き、端の壁紙は剥(は)がれかけていた。

 壁にもいくつか穴が開いているが、世羅の仕業ではない。


 前の住人が暴れたのか、あるいは喧嘩(けんか)でもあったのか。

 気にしなければ支障はなく、スコアを払って補修(ほしゅう)するほどではなかった。


 家具は最低限。寝具とテーブル、調理家電がひとつふたつ。テレビはないが、電子レンジはある。


 それでも最近はだいぶ小綺麗になった。

 気づけば窓にカーテンが付いていたが、誰が付けたかは聞いていない。月乃か、ヤミ子か、それとも氷室か。三人のうちの誰かだろう。


 かつてはもっと酷かった。

 ゴミも洗濯物も放置され、風呂にはカビが沸(わ)き、床には砂が溜まって、足音が立つほどだった。

 共同の洗濯機をうっかり壊したせいで、思わぬ出費を強いられたこともある。


「ん~……いまからするのか……」


 極上の淫魔との逢瀬(おうせ)。

 楽しみでない訳がない、しかし、彼は疲れている。


 土日返上でのギャング狩り、昼は通学、夜は深夜までバイト。

 目の下のクマが一層深くなる。


「まぁ……ヤミ子が相手なら何とかなる」


 淫魔との交配は、通常の"ソレ"とは違う。

 淫魔側に対して精気を提供し、淫魔側がそれを受け取るだけで良い。

 ひとくちに精気と言っても色々な意味を含むが、この場においての精気とは"精液"そのものである。


 行為のプロセスを楽しむことももちろんできるし、ヤミ子もそれを好むタイプだが、究極的には世羅が勝手に振る舞っても構わない。

 彼女の中を満たすことで、彼女は十分に満足できる。

 だからこそ、淫魔を愛人に、手元に起きたいと願う男は多い。


 精気をエネルギーとして消費するかぎり妊娠の心配はなく、食事の必要もないため性器も非常に衛生的……男にとって、これほど都合の良い存在はない。

 世羅もクールを気取ってはいるが、結局はそんな魅力に惹かれる、ありふれた俗人のひとりに過ぎない。


 キュ……。


 蛇口を捻る音がバスルームに響き、水音が止んだ。


 ギィー……プラスチック製の折りたたみドアが開く。

 ヤミ子が顔だけ室内に向けると言った。


「マスターはシャワーあびんの?」


 褐色の頬(ほほ)が、ほんのりと赤みを帯びている。


「私はいい」

「ほいほい、んじゃ、あーしもあがるね〜」


 ヤミ子はそう言いつつ、顔を引っ込める。

 代わりに左手を残していき、その手のひらをヒラヒラと波打たせる。


「はやいな? いつものオマエなら後1時間は出てこないのに?」


 その問いに、再度、ニュッと顔だけ出してヤミ子は答える。


「髪の毛は洗ってねーし、こんなもんじゃね? マスター疲れてるし、はやく済ませたいよね?」

「……別に」


 世羅の本音としては、ヤミ子の言う通りだった。

 たが、それを口にするのは優しくない気がして、世羅は否定した。


「そかっ! 身体拭くからまっててね〜♪」


 世羅とヤミ子はまだ出会ったばかりだ。

 それでも、世羅が時折みせる優しさはヤミ子に十分伝わっていた。


 月乃や氷室にはない、人に寄りそう感性。

 これは淫魔としての資質か、ギャルのコミュ力か、本人の性格か、どれなのか――あるいは全てか。


 世羅はコタツ兼テーブルの前に座っていた。

 水気と蒸気をまとったヤミ子が、軽い足取りで歩いてくる。

 狭い室内、何かを蹴飛ばさないように慎重に。

 ヤミ子はバスタオル1枚を、褐色の肌に巻き付けている。

 下着は履いていない。


 頬(ほほ)もほんのりと赤みがかったまま、化粧はすべて落ちている。

 それでも、ヤミ子の魅力が削がれることはない。

 華やかな外行きの表情ではなく、彼女の素顔。

 特別な相手にだけ捧げる無垢感。

 

 ヤミ子はハッキリとビッチだ。

 ただし、同性限定の百合ビッチ。


 このあられもない姿を知る者は多いだろう、だが、男に限定すれば世羅以外の例はない。


 個人個人の趣向によって同性であれども浮気は浮気、そう考える者もいるだろう。

 だが、こと世羅悠希に関してはそうではない。

 むしろ、ご褒美。


 そういう性癖であった。


 仮に女に本気になったなら、連れてこい。

 そいつも一緒に囲ってやる。


 それが、世羅悠希の考え方だった。


「……」


 ヤミ子は冷蔵庫を開けると、ボトルを一本取り出した。

 ふたをひねって、指を立てたまま「ごくっ、ごくっ」と喉を鳴らして飲む。


 食事も飲み物も必要ない淫魔だが、水だけは摂取する。


「ぷっはぁ~~!」


 ボトルを口から離すと、喉元から鎖骨にかけて汗が伝っていく。


「っく~~~……この為に生きてる!」


 世羅は、そんな彼女の顔を静かに見つめていた。


 整った美貌と年齢不相応な幼さ――ヤミ子の顔には、その相反する要素が共存していた。

 輪郭はシャープだが、頬(ほほ)は柔らかく、目元は華やかながらもどこかあどけない。

 グラビアで見かけるような“作られた可愛さ”ではなく、最高級の天然物。


 それに加えて、表情がいちいち小悪魔だ。

 口角、視線、すべてを狙って刺してくるのに、やってる本人にその意識があるかどうかは定かでない。

 あえて言うなら、生まれついての“他人を狂わせる顔”。


 “変異型:淫魔”の特徴を、そのまま極限まで研ぎ澄ました存在。

 美人というカテゴリでも、可愛いというカテゴリでも、もはや収まりきらない。


 ヤミ子というジャンルそのもの。


 どの属性にも属さず、それでいて、すべてを塗りつぶすだけの完成度がある。

 いきなりてっぺんを叩いている――。


 黒ギャルという“山脈”で相対できる存在はいないだろう。


「どしたんマスター、あーし可愛いっしょ?」


 次の台詞を世羅が、自らすすんで口にすることはない。

 だが、聞かれたなら答えることに決めていた。

 ストレートに真っすぐに。


「……そうだな」


 すこしだけ言いよどんだ理由は明確だった。

 照れ――それだけが理由。


「へへへへ〜♪」


 ヤミ子は世羅の肩を叩きながら笑った。

 この笑顔で何人の男を女を狂わせてきたのだろう、世羅はそんなことを考える。


「じ〜〜♪」


 彼女はそう口にしながら世羅を見つめる。


「……なんだ?」

「何って……」


 ヤミ子はニヤッと笑いながら、テーブルの向こうからぬるっと這(は)い寄ってきた。

 動きに無駄はなく、まるでこの狭さに慣れているかのよう。


 四つん這(は)いになった体勢のまま、タオルの下で胸がつぶれて溢(あふ)れ出している。

 大胆なのに、本人にその自覚はない――いや、ワザとやっている。


 湯気がほんのり褐色の肌に残り、彼女の体はまだ火照っている。

 顔を近づくにつれ、ほんのり甘い息が耳にかかる。


 この距離感。

 誘っているのか――?


「さそってんのよ? ……しよ♪ ますたぁ♪」

「!」


 世羅の腰元から背中にかけて熱いものが巡った。

 半分は比喩で、もう半分は物理的な生理現象だ。


「ん〜〜!」


 世羅はヤミ子の唇を強引に塞いだ。

 舌で薄桃色の扉を強引にこじ開け、そのまま容赦なく侵入した。

 果実の蜜にも似たぬめりが世羅の舌を覆い、甘い吐息が彼の舌に触れると、舌先に残るのは、甘く、どこか懐かしい――ヤミ子の味だった。


「!?」


 世羅はヤミ子の頭越しに、人影を捉えた。

 玄関口、蛍光灯に照らされて立つ男がひとり。

 その背後には、無数の気配が潜んでいた。


(多湖……?)



 ガッシァアーーーーーン!


 

 世羅の行動は早かった、迷いなど微塵(みじん)もない。


 ベランダ側の窓ガラスをぶち破り、そのまま外へ飛び出した。

 バスタオル1枚のヤミ子を抱えたまま。


「ぎゃあああっ!? なにしてんのますたぁーーっ!!」

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