ブラッドムーン

明日和 鰊

第1話

「ケビンの所に遊びに行ってくるよ、母ちゃん」

「にいちゃん、わたしも~」

「リサ、お前はまだ小さいからダメだ。家でおとなしくしてろ」

「にいちゃんのケチ~」

「ジミー、必ず日が落ちる前までには帰ってくるのよ。もうすぐ赤い月の日がやってくるって、村長さんが言ってたからね」

「ケチ~」


 赤い月が出る夜に妖精を家に入れてはいけない。

 それはジミーが口が酸っぱくなるくらい聞かされた言葉で、普段はおとなしく、人間の言う事をよく聞く妖精達が、凶暴で手がつけられなくなるからだ。

 伝説では、その日は月の女王の力が最も強くなり、妖精達が月の女王に支配されてしまうからだと言われている。


「迷信深いな、母ちゃんは。こいつらがそんな風になるわけないじゃないか」

 ジミーは飛んでいる妖精の頭を軽くなでる。

 妖精は眼を細めて、嬉しそうにピーっと甲高い声で啼いた。

「それに暴れたところで大したことできないだろ」

 妖精の体長は十五センチ程度で、その大きさと比較すれば確かに力持ちではあるが、大人の男性の力に比べればはるかに劣っていた。


 村の中では多くの妖精が、人間の為に働きまわっている。

 職人の手伝いや、家庭の雑用、荷物の配達、農作業など、村の至る所で妖精は活躍して人間を助けていた。


「聞いたかい?そろそろ赤い月が出るんだってねえ」

「ええ、困っちゃうわ。しばらく夜は妖精を使えないなんて」

「ホントよ、早く過ぎてくれるといいんだけどねえ」 

 村の中は、その話題で持ちきりだった。

 なにせ赤い月の前後の日の夜は、扉を硬く閉めて窓を隠すように板を打ち付けて、早く明かりを消して息を潜めるようにして過ごさねばならないからだ。

 しかし、ジミーは大人たちがなぜ妖精をそこまで恐れるのか、わからなかった。

 以前の赤い月の夜には、この村は何事も起こる事なく穏やかに過ぎていったからだ。


「おい、ジミー。河原に石投げにでも行かないか」

「わるい、ケビン。母ちゃんから、おつかい言いつけられちまったんだ」

「そうか。あっ、そうだ、赤い月には気をつけろよ」

「お前も、赤い月にはな」

 二人は笑いながら手をあげて、赤い月の日の特別なあいさつをして別れた。


 ケビンと別れたジミーは、河原とは反対の方向の山に向かって走って行った。

 陽が当たる舗装された山道をひとつ脇道にそれて獣道に入ると、鬱蒼とした山の奥に進む、ひとけのない道がある。ジミーはそこに書いた目印をたどり、木々に隠れた岩に出来た小さな洞穴の中へと入っていった。

「どうだい、元気になったか?」

『うん、もう少しよ』

「そうか良かった、食べるもの持ってきたぞ」

 そこにいたのは妖精で、身体に大きな傷ができていた。

 妖精は差し出された食料を、ガツガツと勢いよく食べはじめた。

 


 十日ほど前、ジミーが山遊びの最中に道に迷って泣いていると、少し小さな妖精があらわれジミーを洞穴の中へと誘った。

 そこには傷ついた妖精が横たわっていて、少し小さな妖精はその体内に吸収されてしまった。

『村への帰り道を教えてあげる。代わりに、誰にも知られず食料を持ってきてくれないかしら?』

 ジミーは驚き、腰を抜かして尻餅をついた。

 しゃべったり、食事をとる妖精を初めて見たからだった。

 ジミーは恐ろしかったが空が暗くなってきた事もあり、村へ帰る為に妖精の頼みを聞いてあげる事にした。


 次の日に、自分のパンや干し肉を残して持って行くと、妖精はシビリーと名乗り、お礼にとジミーの知らない世界の面白いお話を聞かせてくれた。

 シビリーが語る面白い物語は尽きるが事なく、ジミーは妖精に指摘されるまで、時間を忘れて聞き入ってしまっていた。

 それからジミーは毎日のように洞穴を訪れては、シビリーに話をせがむようになった。



『今日はどんな国のお話を聞きたいの?』

「今日は早く帰らないといけないんだ、だから短い話をお願い」

 そうジミーが答えると、シビリーはうつむいて黙ってしまう。

 ジミーがどうしたのかと尋ねると、『赤い月の事だよね?』と悲しそうな顔をした。

 その表情にジミーが困っていると、シビリーが『お願いがあるの』と囁いた。



 ジミーが山を下りて村へ着くと、空は暗くなりかけていた。

村の中は、すでに人の気配が少なくなっている。

 ジミーが急いで帰ろうと走っていると、村長がおかしな格好の男と話し込んでいた。

 フードのついた全身白いローブを着ている若い男で、その顔にはおかしな文様が描いてある

 足音で気付かれぬようゆっくりと息を潜めて歩いていたが、村長が気付いてジミーを見咎めて近づいてくる。

「おいジミー、こんな時間まで遊んでいちゃダメじゃないか。聞いてないのか?赤い月の日が近いって」

「ごめんなさい」


「まあまあ、いいじゃないですか。まだ夜まで少し時間がありますから」

 村長の隣にいたのは、ジミーが村で見た事のない大人だった。

「だけどなボク、赤い月の夜は本当に危険なんだ。早く帰って、これからはちゃんと大人の言う事を聞いて、家の中でおとなしくしてるんだよ」

「おい、またいたぞ」

 突然、同じ格好をした背の高い男がもう一人あらわれて、若い男に声を掛けた。

 背の高い男が小さな妖精の足をつまみながら、村長達に近寄っていく。

 若い男にピーピーと啼く妖精を見せると、背の高い男はブツブツと呟きだす。

 すると突然、妖精は弾けるようにして消えてしまった。

辺りには地面を掘り起こしたような、湿った泥の匂いと腐った食べ物の臭いが漂っていた。


 ジミーが強烈な体験に声も出せずに驚いていると、

「なんだ、このボウズ?」

 ジミーの存在にやっと気付いた背の高い男は、じろりとジミーを見る。

 するとバツの悪そうな顔をしていた村長が、恐い顔つきでいそいでジミーに近づいてきた。

「この方達は赤い月が出ている間、村を警護してくださる魔術師の方々だ。ただジミー、この事を家族にも言うんじゃないぞ、警護が必要だなんて、村の人たちが不安に思うといけないからな。わかったら、早く行きなさい」

 ジミーは恐ろしさから黙ってコクコクと首を縦に振って応えると、逃げるように走って家に帰った。



「あんた、夜も近いってのに、こんな時間までどこほっつき歩いてたんだい」

 ジミーが家に着くと、母親の怒声が一番に飛んできた。

「ごめんなさい、明日お説教はちゃんと聞くから」

「しょうがないねえ、はやくご飯を食べちまうよ。月が昇りきる前にね」

 ジミーは返事をして自分の部屋に駆け込むと、懐からとりだしたものを丁寧にベッドの下に押し込んだ。

「ほら、ここでおとなしくしてるんだぞ、シビリー」

『ありがとう、ジミー』

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