妖精の森殺人事件

壱ノ瀬和実

妖精の森殺人事件

 人里離れた森の奥深く、小さき者の声が空気を震わせた。

「誰だ……! 一体誰だ、長老を殺したのは!」

 妖精リーヴは涙を流す。

 妖精たちの住むヴラウの森は、数百年の長きにわたり争いのない平和な世界だった。

 若き妖精、リーヴは嘆く。

「森の長老、バーバクが死んだ。何者かに殺されたのだ。長老は口許がただれ、腐食し、数分と持たずに死に至った。これは我々妖精族にとって危険な毒の一つである、鉄に触れたときに起こる現象。長老は鉄に触れたのだ。なぜこの森に鉄がある!? 人里から離れたこの森に、鉄など存在しないはずだ!」

 長老バーバクの墓所で、弔うために訪れた森の住人たちにリーヴは叫んだ。

「この中の何者かが鉄を持ち込み、長老に触れさせた。口許がただれたということは、おそらく長老が使っていた茶器か何かを鉄で作ったに違いない! そんなことをしたのは誰だと聞いているんだ!」

 妖精たちは黙っていた。

 皆が俯き、死を悼んでいるのか、それとも何かを隠そうとしているのか。

「埒が明かない!」

 リーヴは憤る。

「暴いてやるぞ。何が何でも。我らが長老を殺した者を、ぼくは許してはおけないのだ!」


   ***


 葬儀の翌日。リーヴは多くの妖精から様々な情報を得た。

 体長一メートルに満たない妖精たちの中でも一際小さなリーヴは、羽を広げ、空を飛行する。木の高さを超えることは出来ない。木々の間を器用に抜け、知恵を借りるために森の賢人ダダランの家を訪れた。

 立派なヒゲを蓄えたダダランは、うーむと唸りながら言う。

「わしにバーバクの死の真相を突き止めよと言うか」

「是非、賢人の力をお借りしたい! 長老は大変に素晴らしいお方でした。いつも我々妖精族のことを深く憂いておられ、この平和な森を守るため長年尽力された!」

「そうだとも。バーバクは妖精の未来のため生きた。……力になれるかは分からぬが、話を聞くくらいはしよう。助言できるなら、それも吝かではない」

「感謝いたします」

 リーヴはダダランに、事件があった日のことを語り始めた。

「あの日、長老は自宅にて食事会を開いていました。参加していたのは長老を除いて三名。木工職人のジヴァ、宝石職人のアリアロ、森の管理人ファティン。皆、長老の古くからの友人とのこと。これらの情報は、長老の使用人であるクックからもたらされました。当日家にいたのは長老含め五人だけだったようです」

「奥方と調理人はいなかったのかね」

「奥様はその日は不在、調理はクックが担当したようです」

 ダダランの妻が、ダダランとリーヴの前に手製の蜂蜜酒を置いた。

 リーヴは頭を下げ、それを一舐めする。

「その食事会の途中、長老が急に口を抑えて苦しみだし、成すすべもないまま長老は亡くなられた。食器、とりわけ茶器が鉄で出来ていたことは間違いないと思いますが……」

「それはどうかなリーヴよ」

 ダダランは目の前に置かれた蜂蜜酒を舐める。

「鉄製の器など見た目にもすぐに分かるじゃろう。明らかに危険なものを長老であるバーバクが口にするとは思えん」

「銅製の器を偽装したのかもしれません。見た目では分かりません」

「リーヴよ、よく考えるのじゃ。鉄の器が本当にあったなら、調理をするクックが真っ先に危険にさらされるではないか。それに鉄の器は、手に持った途端に手が焼けただれる」

「た、確かに……! しかしダダラン様、まだ可能性はあります。例えば、長老が口にする部分だけに鉄が用いられていた場合、クックはそこには気を使って触れないよう扱うでしょうから、長老しか口をつけない。匙などは特にです」

「それもないだろう」

「なぜですか」

 リーヴは焦っていた。結論を急いでいるのだ。

「おそらく、その食事会に用いられた食器は木製じゃ。木工職人のジヴァが招かれているのだから、もてなしをするバーバクはジヴァが作った食器をテーブルに並べるに違いない。そして木の食器に鉄を混ぜるのは実に難しい。そのような技術を持った妖精は、この森にはいない。鉄を扱うことに長けたものはこのヴラウの森では生まれづらいからのう」

「では……」

「方法ならある」

「なんです!?」

「……鉄粉じゃ」

「鉄粉!?」

「鉄を削るくらいならば、そのための魔法に長けた妖精なら可能じゃろう。そのすべを持つ者に心当たりもある」

「鉄粉を食器に混ぜるということですか」

「なぜ食器を疑うのじゃリーヴ。バーバクは口がただれていたんじゃろう? 口に触れるのは食器のみにあらず。最も口を痛めつけるのは、料理そのものじゃないかね」

「料理! 料理に鉄が混ざっていたと!」

「殺害が目的ならば極微量ということはないじゃろう。それなりの量を料理に混ぜたのじゃ。飲み物に混ぜれば粉が沈殿するであろうから、例えば、我々が好んで食す蜂蜜ジュレにでも混ぜてしまえば、違和に気付く頃には手遅れじゃ」

 リーヴはごくりと生唾を飲んだ。

 妖精にとって最も危険な毒である鉄を、よもや食事に仕込まれたとあってはいたたまれない。長老バーバクの苦しみはいかほどであったか、想像も及ばなかった。

「犯人は、長老以外の妖精も殺そうとしたのでしょうか」

「可能性はあるが、バーバクと、多くてももう一人を狙ったと見るべきじゃ。全滅を狙うならばそこまで手の込んだことをする必要はないからのう」

「しかし鉄は……? 我々妖精は容易に鉄を手に入れることができない。もちろん森では手に入りません」

「何者かが外部から森に持ち込んだのじゃ」

「不可能です! この森の結界は長老によって張られた完璧なもの。長老の目をかいくぐって結界内に入れることは出来ない」

「結界に穴があったのかもしれん。特に空は脆弱じゃ」

「ですが」

 ダダランは頷く。

「鉄のような危険な物を運ぶには魔法を使って浮かせるしかない。直接触ることはできんからな。だがそのようなことをして空を飛行することは」

「それこそ不可能!」

「そういうことじゃ。鉄を魔法で運びながら空を飛行するなんて芸当は、我ら妖精族にはできん」

「ではどうやって……!」

 ダダランはテーブルの上の蜂蜜酒を一度二度と口に含み、その豊かな香りに、息を整える。

「リーヴよ、すぐにバーバクの家に向かおう。真実はそこにしかない」


   ***


 リーヴとダダランはすぐに長老の家へと向かった。ダダランは飛行する力が落ちているため、リーヴが支えながらの飛行であった。

 長老は森の奥、妖精たちもおいそれとは近づけない場所に家を構えていた。リーヴは何度か来ているが、以前よりも草木が生い茂っている。

「クック、クックはいるかい」

 ドアを叩きながらリーヴが声を荒げると、家の中から慌ただしくクックが出てきた。

「なんですかリーヴさん、そんなに慌てて。それに、賢人様までご一緒だとは」

「すまんが、家の中を見せてもらいたいんじゃ」

 賢人ダダランが言うと、クックは血の気が引いたような顔で、

「な、なぜです」

「クック、言わなくても、事情は分かっているね」

 リーヴが語気を強めると、クックは俯いて黙った。

「長老を殺害したのは君だ、クック。賢人の知恵をお借りし、ぼくたちは君の犯行であると結論付けた」

「何を突然。随分とおかしなことをおっしゃる」

「観念するんだクック。ぼくはてっきり、長老は鉄の茶器に触れて亡くなったと思っていたが、そうではなかった。長老は鉄の入った料理を口にしてしまったんだ。そう、君が作った料理、君はそこに鉄を……鉄粉を混ぜた!」

「馬鹿げています! 鉄粉? そんなもの、一介の使用人に過ぎない私が用意できるはずもない」

「それができるんじゃよ、君でない者であればな」

 ダダランが指を差す。

「家の中におるんじゃないかね。事件について若き妖精リーヴが調べ始めたと知ったときから、遅からずここに真相を確かめに来るだろうと、息を潜めて待つ共犯者が。そうじゃな?」

 ダダランは家の中に向かって言い放つ。

 中からは物音一つしない。ダダランは嘆息した。

「やれ、賢人ダダランを欺こうなどとは実に愚か」

 ダダランが皺だらけの右手を室内に向けると、周囲から小さな風が集まり始め、それは一つの塊となって室内に放たれた。

 風の弾丸は、ある一点で霧散する。

「姿を消しても無駄じゃ」

「さすがは賢人ダダラン……次の長老にはあなたを推薦しようと思っていたが、こうなってはご破算ですな」

 空気の歪みから姿を現したのは、歳のわりに屈強な妖精である宝石職人のアリアロだった。

「賢人ともあろう方が耄碌されましたな、ダダラン様」

「そこまで老いてはおらん。君が鉄粉を作り、クックが食事に混ぜた。違うかな? 鉄を加工できる妖精は少ない。その数少ない一人が食事会に参加していたとあっては疑わないわけにはいかんよ。そしてそれを料理に混ぜるには使用人の協力が不可欠。違うかね」

「妄想にも程がありますよ。私とバーバクは古くからの友人でもある。彼を亡き者にしようなど、頭の端にも過ったことはないですな」

 アリアロは随分と余裕ぶった表情で笑う。

「では使用人のクックの単独犯だと? それは不可能じゃよアリアロ。鉄を致死量まで削る技術を普通の妖精は持たない。宝石を加工する技術、鉄を削るだけの硬い鉱石を持つのは、君くらいなのだよアリアロ」

「世迷言を。では賢人ダダランに問おう。この森に鉄はない。私は宝石職人。鉱石の輸入は行いますが、さすがに鉄など手配出来ません。それに、ヴラウの森に張られた結界は鉄を弾く。誰であっても持ち込めはしない」

「一人おるよ。鉄を持ち込むことのできる妖精が」

「だ、誰なのですか!?」

 リーヴが目を見開いた。

 アリアロの眼光が鋭くなる。狼狽するクックは、後退りしアリアロの影に隠れた。

「鉄をこの森に、誰に露見することもなく運び入れられる妖精。それは長老バーバク。彼しかおらん」

「な、なんですって!?」

 リーヴの声が一体に響いた。

「この森を守る結界はバーバクの監視下。裏を返せば、彼自身はその縛りを受けない。彼だけがこの森に鉄を自由に運び込むことができる」

 ダダランは告げる。

「君たちはあわよくば、森の管理人ファティンらも殺すつもりじゃなかったのかな。バーバクも管理人の協力無しに鉄を運び込むのはリスクがある。おそらくファティンの協力もあっただろう。君たちの動機はまさにそこにあったんじゃないかと思うのだが、どうかな」

 欺いても無駄である――ダダランは言外にそう告げるようにしてアリアロを睨みつけた。

 口にせずとも、全てをダダランは分かっている。ヴラウの森の賢人たる所以であった。

「……ふっ。さすがは賢人様。老いてもその心眼に衰えはないとお見受けする」

 観念したように、アリアロは首をぐるりと回して言った。

 アリアロの言葉に若き妖精リーヴは怒りをあらわにするが、ダダランは若さ故の憤怒を鎮めるように、彼の肩に手を置いた。

「ああ、そうとも。我々は、長老バーバクを殺した。理由は明白! バーバクは鉄を集めていた。人里からくすねて来た剣、森に迷い込んだ人間の兵士から剥ぎ取った鎧、捨てられた鉄屑。それらを森に持ち込みこの家の地下に蓄えていたのだ」

 抑えきれずにリーヴは叫んだ。

「戯言を! 我々にとって毒であるはずの鉄を何故長老が集める!」

「武具になるからだ!」

 場に一瞬の静寂が蔓延る。

「我々にとっては毒でも、違う種族にとっては貴重な武具の材料。バーバクはその鉄を他の種族に売りつけ、大量の武器や魔法薬を買い集めていた。何故か分かるか」

「……争いのため、じゃな」

「そうとも賢人ダダラン。バーバクは、戦争をするつもりだったのだ!」

 アリアロは声を荒らげた。

「バーバクは妖精の未来を案じていた。人間に見つからぬよう森に身を潜め、結界を張ることで隔絶し、閉じ籠もることで平和を実現してきた妖精のあり方に疑問をいだいていたに違いない。何故人間が世を跋扈し、我々妖精が息を殺して生きるのかと。バーバクは人間界を攻め込み、妖精の未来を掴むつもりだったのだ。私が何故凶行に走ったか、もう分かるだろう」

 リーヴは歯噛みし、声を出せなかった。

「我々は、平和であれば良い。争いさえなければ生き残ることができる。たとえそれが、妖精としての尊厳を投げ捨てるとしても、生きていくことが唯一の幸せなのだ。人間を相手にすることがどれだけ愚かな行為か分かるか? 我々は小さい。人の子ほどの大きさしかないのだ。人間にはない魔法を用いることはできるが、それでどれだけの人間を殺せる? 奴らは鉄の大剣を振るい、銃なるもので鉄の玉を放ち、爆弾という武器で瞬く間に街を吹き飛ばすことができる。我々は魔法で悪夢を見せることができるが、奴らはこの森を、まさに悪夢のような光景へと変貌させられるのだ。それでどうして争おうなどと思うのか!」

 リーヴは反駁できなかった。アリアロの言葉に、ただ怯むことしか出来なかったのだ。

「何故この数百年。ヴラウの森に争いが怒らなかったのか分かるかリーヴ」

「まさか……」

「我々のような穏健派が、過激な思想を持つ妖精を粛清してきたからだ。危険な芽は早々に摘まねばならない。争いの種が落ちていたらば、それすら燃やし尽くすしかないのだ」

「そのためにクックを利用し、友人であるバーバクを殺した。なるほど。君の思想に違うことのない実に過激な行いである」

 賢人ダダランは蓄えた髭を撫でながら言った。

「バーバクは妖精たちの未来を案じ、何よりも森の平和を願う優しい長であった。そのバーバクが何故そのような行いをしたか、君にはわからんようじゃの」

「なに?」

「この森は結界に囲まれている。人は近づくことさえ出来ない。だが、君は言ったのう。この森に迷い込んだ人間から鎧を剥ぎ取ったと。何故そこに人間がおる? おかしいとは思わないのか」

「!」

「人間たちも勘付き始めたのだ、人間以外の種族がいることを。探しているのだ、この森を。そう遠くない未来、人間たちがこの森に爆弾を落とす日が来る。それをバーバクは分かっていた。だからこそ他種族との連携を強め、争いを起こさずに済むよう力を蓄えていた。バーバクとは、そういう男よ」

「馬鹿な……確かにバーバクは言ったのだ。戦いの準備をせねばならないと」

「争わねば根絶やしにされるのみ。人間の悍ましさは、君が語るよりも遥かに恐ろしいものよ。備えておかねば、我々など瞬く間に塵と化す……」

 アリアロは息を乱し、背後のクックは膝から崩れ落ちた。

 リーヴは「嘘だ。嘘だ……」と繰り返して、その場に立ち尽くしていた。

 ヴラウの森に訪れた悲劇が、より大きな恐怖をもたらすことをリーヴは知ってしまった。

 賢人ダダランは魔法の光を灯す。

「悲しいことじゃが、それがこの世界の現実よ……。じきにヴラウの森は火に囲まれるじゃろう。争うのか、それとも逃げおおせるか。我々が生きるために残された道は少ない」

 光は次第に大きくなり、ヴラウの森を僅かに照らす太陽になった。

「愛を忘れるな若人よ。憎しみに溺れれば、君は人を殺すことを躊躇わなくなり、命を奪うことを躊躇わぬ者に殺されるだろう」

 森の妖精たちは空を見上げる。

 それが希望の光ではなかったとしても、光となれば見上げる他にない。

「せめて若き妖精たちが愛に溢れた日々を送ることができるよう、我々は祈る他にないのだ……」

 賢人ダダランの光は、ほんの僅かの間に崩れ消えていく。

 この世に永遠などないことを告げるように、ヴラウの森に、夜が訪れた。

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妖精の森殺人事件 壱ノ瀬和実 @nagomi-jam

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