僕の見えない妖精

十坂真黑

僕の見えない妖精


 僕のそばに、生まれた時から『ホーリィ』という名の妖精がいる。

 羽が生えていて、掌に乗ってしまう小さなサイズ。いつも僕の周りをふよふよ浮いていて、女の子のような見た目、らしい。

 

 けれど、僕には見えない。それが視えているらしいパパやママに訊いたことだ。

 

「ホーリィ」小さく問い掛けてみる。「ねえ、ここの問題の答え、教えてくれない? お前ならカンニングし放題だろ」


 相当声は絞ったんだけど、今はテストの真っ最中。

 みんなが黙々と鉛筆を走らせる中、僕の声はやけに響いた。

  

「浦川くん。テスト中よ?」


 担任の女川先生がいつのまに僕の机の前に来ていて、短く切った爪先で机を突いていた。

 地獄耳め。僕は心の中でペロリと舌を出す。


 テスト用紙が回収されると、これまで張り詰めていたクラス内の空気がしゅわしゅわと抜けていくような感じがした。

 そんな中、桐田が下卑た笑みを浮かべながら近づいて来た。


「よお、のび太。テスト中もぶつぶつ独り言呟いてたな。またヨーセイさんに泣きついてたのか?」


 自然と顔が引き攣るのを感じた。以前口が滑って、桐田にホーリィのことを話してしまったのだ。「僕には魔法が使える妖精が付いているんだぞ」って。誰も信じなかったけれど。それ以来、桐田は僕のことを「のび太」と呼ぶ。何かあればすぐドラえもんに頼るのび太みたいだかららしい。


 桐田は典型的なガキ大将タイプで、体が大きくて皆に嫌われている。それでもクラス内での影響力が強いから、腰ぎんちゃくをいつも二人くらい連れている。「妖精がいるだなんて嘘に決まってるだろ」と僕を嘘吐き呼ばわりし、いじめるのだ。


 むかつく。本当は言い返してやりたい。けれど反論しようものなら殴られたり蹴られたりするから、こういう時決まって僕は唇を噛み締め、無言で教室を後にする。


 *

 

 妖精というのは人間とは比べ物にならない力を持っているらしい。ママが言っていた。確かに漫画やゲームの中の妖精達は魔法が使えたり、話し相手にもなってくれる。困った時には手を貸してくれる。よき相棒、って言うイメージ。

 だけど僕のホーリィときたら。あいつは僕の部屋をめちゃくちゃにするくらいしか能が無いのだ。

 ホーリィは主に僕が寝ている時に活動するらしく、目が覚めると机の上やベッドの周りが汚されていることがあった。

 その現象が初めて起こった時、びっくりした僕はママに泣き付いた。するとママは「ホーリィの仕業よ」と、優しく僕の頭を撫でてくれる。「あなたは特別な子なの。あなたは悪くないのよ」


 

 帰りの会で配られたプリントを見て、僕はげんなりしてしまった。

 そこには、修学旅行の時に行動を共にする班についてまとめられている。僕は桐田と同じ班に入れられてしまったのである。

 振り返ると、桐田がにやにやしながらこちらを見ている。

 

 修学旅行はいよいよ来月だ。

 いやだなあ。

 あいつらと一緒だなんて、楽しめるはずがない。


 *


 僕は知ってしまった。ホーリィも、妖精もデタラメだってこと。

 

 修学旅行は想像通りの地獄だった。

 旅行先は京都。

 事前に練った計画通りに班で行動しなければならない。

 そして宿泊施設でも、班ごとに個室があてがわれる。つまり旅行中、僕はずっと桐田から離れられないのだ。

「おいのび太! 俺のリュック持てよ。その為に同じ班にしてやったんだからな」

 

 桐田は笑いながら僕に自分のリュックサックを押し付けてきた。取り巻きの連中も、甲高い鶏みたいな声で笑った。

 結構な上り坂なのに二人分の荷物を背負わされて、僕はひいひい言いながら上った。

 

 全然楽しくなんかない。やっぱり修学旅行なんて行かなければよかった。でも休むと言ったらパパやママは心配するだろう。

 いいんだ、どうせ夜になるまでの我慢だ。


 ホテルについたら隠し持ってきたスマホを弄って、あいつらのことなんか無視してればいい。

 

 夕方になり、集合時間を迎えるとようやく僕は桐田の荷物から解放された。あいつはずるがしこいから、大人の目があるところではけして僕に意地悪をしない。

 バスに乗って、ホテルを目指す。くたびれたのか桐田たちは眠っていて、おかげで僕はバスの車中で人心地つくことができた。

 ところがホテルに着いてからが本番だった。

「何スマホみてんだよ。のび太のくせに」

 そう言うと、桐田は取り巻きに命令し、僕からスマホを取り上げた。


「やーいのび太。悔しかったらドラえもんに泣きついてみろー」


 取り巻きの一人に背中を押されて、僕は畳の上に転がった。「わあっ」その上から布団が降って来る。それも一枚じゃ無い、二枚、三枚……。あっという間に、布団と僕のミルフィーユが出来上がる。

 真っ暗だ。視界が奪われ、パニックを起こす寸前。

 

 たすけて、と叫んだけれど、それが余計に桐田を喜ばせたらしい。突如、これまでとは比にならないほどの重みが全身を襲う。

 う、重い。桐田が布団の上から僕にのし掛かったらしい。でぶの桐田め、僕の何倍体重があるのだろう。

 苦しい。息ができない。このままじゃ、死んでしまう。

 

 ねえ、いるんだろ? いるなら返事くらいしろよ。

 ご主人のピンチに駆け付けないで、何が妖精だよ。

 ……嘘なんだよな、本当は。妖精なんて、いるはずがないのだ。元はと言えばパパやママが妖精がいるだなんて嘘を僕につかなければ、桐田に目を付けられることもなかったはずだ。


 目の前が暗くなる。ああ、死ぬのかな、僕……。

 頭がぼーっとしてくる。自分とそれ以外の境界が、だんだん分からなくなっていく――。


 次に目を覚ました時、僕の目の前に、頭を垂れた桐田とその取り巻き達がいた。

 いつの間にか、僕は布団の雪崩から解放されていた。

「ううう……ご。ごめん、なさい。ごめんなさいごめんなさい」

  

 桐田たちは畳の上で正座をし、僕を怯えた目で見ている。よく見ると頬には生々しい青あざがあるし、鼻から血も垂らしている。

 一体何があったのだろう。

 

 もしかして、ホーリィが助けてくれた?

 ……いや。これまで何があっても助けてくれなかったホーリィが、今さら手を貸してくれるとは思えない。

 つまり、僕がやった、ということだ。


 僕が桐田をやっつけたんだ!


 体中を走る血管が熱を持つのが分かる。

 妖精なんて、ホーリィなんて嘘っぱちだったんだ。

 その代わり、僕にはこんなにすごい能力があったんだ。母さんも父さんも、妖精だなんて嘘をついてそのことを隠していた。

 

 もう桐田なんかこわくない。

 さあて、どうしてやろうか。手や足の爪を一本一本剝いでやろうか。それとも、服を脱がせて外を走らせてやろうか。

 これまで僕が連中にされてきたことを思えば、そんなものじゃまだまだ足りないくらいだ。

 けれどその直後、騒ぎを聞きつけた女川先生が駆けつけてきてしまった。

 怪我をした桐田達をみて先生はびっくり仰天、救護室に連れて行ったあと、僕に何があったのか、と詰め寄る。こうなるともう修学旅行どころじゃない。結果、僕は旅行の途中で帰らされることとなってしまった。


 どうやら僕たちの部屋も相当な被害を受けていたようで、襖に穴が開いていたなんて可愛いもので、畳が真っ二つに折れたり、窓ガラスが割れたりしていたそうだ。


「とても子供の力でやったとは信じられない」

 女川先生はそう頭をひねっていた。

 

 

 家に帰ると、パパもママも深刻そうな顔でテーブルについている。

「陽太、どう言うことか説明しなさい。今回の件はホーリィの仕業なの?」

 僕はふん、と鼻を鳴らした。「ばっかみたい。ホーリィなんているわけないだろ」

 途端に、パパとママの表情が変わった。


「ホーリィがいないだって? 何を言い出すんだ」

 パパは冷や汗を垂らしながら言う。そんなに子供に自分の嘘を信じさせたいのか。

「陽太っ!」

 ママがヒステリックにテーブルを叩いた。

「だからもう、そういうのやめてよ。いないんだろ、ホーリィなんか。部屋をめちゃくちゃにしたのだって、本当は僕なんだろ。僕にはすごい力があるんだ!」

「うぐっ」

 直後、パパが真横に吹っ飛び、食器棚に激突する。まるで巨人の掌に叩かれたみたいに。

 すごい。これが僕の力? だけどちょっとやりすぎじゃないか。自分でも制御できていないのかもしれない。

 食器のガラス戸が割れて、パパは頭から血を流している。

「あなたっ!」

 ママはパパに駆け寄ると、祈るように手を胸の前で組んだ。

「ああ、ホーリィ。やめて頂戴……」

 ママは血走った目で僕を睨む。


「確かに嘘をついていたわ。あなたのそばに居るのは、可愛らしい妖精なんかじゃない。毛むくじゃらで、悍ましい怪物なの。あんなのを四六時中目にしていたら、精神がおかしくなっちゃうわ……あなたにアレが見えないことはせめてもの救いだった。あの子はね、とんでもない癇癪持ちなの」


「そんなの嘘だ。僕が子供だからってパパやママもバカにしてるんだ。そんな子供だまし、もう信じないぞ」


 ずんっ。

 突然ふらついた。慌てて壁に手を添えないとその場に立っていられないほどだ。

 立ち眩みかと思ったが、地面が揺れたのだと気づく。

 とてつもない地響きだ。地震だろうか。


「お願い、怒らないで……。この子にはようく言い聞かせるから。ホーリィ、あなたはちゃんとここにいるんだってことを」


 ママは僕を見ているようで見ていない。

「ふん。ホーリィなんかこの世に存在しない!」


 すると、ママはほとんど泣きそうになって、床に手を付いた。怯えた目で僕を見ている。いや、違う。正確に言えば、ママの視線は僕の背後に注がれている。

 そういえばパパはピクリとも動かない。大丈夫だろうか。

 その時急に肩に重みが加わり、骨がギシギシと軋む。

 まるで、大きな手を肩に置かれたみたいに。

 突如、生臭いにおいが鼻を付いた。まるで腐らせた生魚のようだ。悪臭に、思わずむせる。


 後ろだ。後ろに、何かいる?

 僕は、恐る恐る振り返る。


 足下に、あり得ない大きさの足のようなものが見えた。黒ずんだ剛毛がびっしりと生え、床に触れる部分からは粘液のようなものが滲み出している。そしてその先には………。

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