第6話 奉竜寺

 赤い旗が靡く縁日の人混みの中を、ユノワ達は歩いていた。長身のモカラタの向こうに、嬉しそうに微笑むユノワの姿が見える。

 ……竜を、ユノワを憎んでいたはずなのに。

 最早、ティトレーは何に嫉妬しているのか分からなくなっていた。

 ユノワが竜と対面した日、襲撃に失敗したティトレーは、半ば強制的に、ユノワと再び行動を共にさせられることになった。結果、行き場を失くした自分を拾い、育ててくれた竜喰いのルーラ、バートを裏切ることになり、再び居場所を失くした。幼い頃より、一族の長として自分が仕えるはずだった竜は、ユノワがよほど可愛いらしく、自身の分身であるモカラタという褐色の肌をした長身の女性の姿を借りて、常にユノワの傍にいた。

 石舞台で石と化した竜の力を与えられたとはいえ、ティトレーと竜の間にはまだ距離があった。幼い頃から、どこか浮世離れしたようなところがあったユノワは、戸惑いつつも、ティトレーが旅に同行することを素直に喜んでいたが、二人の間を流れる微妙な空気は相変わらずだった。

 こうして並んで歩いていても、言葉を交わすことはない。時折思い出したように、竜がティトレーにちょっかいをかけてくるくらいで。幼なじみとの関係はすぐには元に戻りそうになかった。それでも、あの時、石舞台から、ここ奉竜寺ほうりゅうじ へ飛んだとき、ティトレーは思ってしまった。ユノワの髪にくっついた白詰草に触れたいと。

  餅菓子や鳥笛、陶器や織物を売る店を素通りし、驚くほど静かな境内の一角、「御朱印帳」と書かれた札が立つ道を降りて行くと、寺務所に出た。

「話は通してある」

 窓口と思しき小窓から顔を覗かせた女性に、モカラタは言った。

 女性はユノワの右手にある竜の刻印を見て、全てを理解したようだった。すぐに赤の僧衣を纏った僧が現れ、奥へと案内される。

 この寺の地下には竜が守る水脈があると言われ、古くから信仰を集めてきた。湧水で有名な寺であり、寺内町には温泉もあった。

 竜同士の約束は何千年にも及ぶものであり、代々の長によって確認、継承されて来た。あまりに長い時間を経たために、中身が忘れられ、その時が来るのを待つだけになっているものも少なくないという。遠い昔、まだ自分が父バレルの後継者とみなされていた頃に、断片的に聞いた話をティトレーは思い出していた。

 無意識に、自分の右腕に刻み込まれた黒竜の刻印を掴む。ユノワの腕にあるのは本来自分が継承するはずだった青竜で、赤を基調としたことから分かるように、この寺に眠るのは火属性ゆえに更なる恩恵を人間にもたらした赤竜せきりゅうか。

 寺務所の奥、本殿へと続く道を降りながら、寺内町にあった温泉宿を思い出す。

 時と共に、竜に対する信仰も薄れ、石舞台のようになってしまっているところも少なくないという。

 ちょうど本堂の真下にあたるらしい場所に出た。灯明を灯され、浮かぶのは、かつて海が寺の前にあり、楡名姫の時代に奉納されて以来、ただ尊い物として伝えられて来た厨子だという。

 モカラタは何ら躊躇することなく、輝きが失せた厨子を開けた。

 厨子の中には、赤竜が眠っていた。

 ここまで案内して来てくれた綺麗に剃髪した僧、慈会じあいによると、赤竜は厨子で眠りについて以来、目覚めていないという。この寺には赤竜の力を継ぐ者もなく、このことを知るのは寺の者でもごく一部に限られ、慈会も跡を継ぐまで知らなかったという。

「ユノワ」

 モカラタに促すように声を掛けられ、ユノワは厨子に近づいた。

 赤竜が目を開けた。

 ユノワと赤竜はしばし見つめ合い、ユノワは無言で手を伸ばした。

 赤竜は無言でモカラタを、青竜を見つめ、慈会を見、厨子の中で身体を伸ばすように欠伸をすると、厨子の外へと身体を伸ばした。 青竜に絡みつくように赤竜はユノワの右手に絡みつき、刻印となって姿を消した。

「赤竜……」

 ティトレーと同じ、竜に選ばれなかった二十代後半の若者の低い声が地下へと響く。言葉にされずとも、ティトレーには彼の気持ちが痛いほど理解できるような気がした。

「これで、ルーラがここを襲うこともない」

 ルーラに捕食され、竜の加護を失った土地がどうなるのか?ティトレーは、バートに保護された六歳の夏から見て来た。

 赤竜は自分の意思で厨子を離れた。急速に土地が荒れることはないが、これで、慈会の先祖が赤竜と交わした契約も無効になるのだろう。

 厨子の中には赤い鱗が一つ残されており、竜の慈愛を示すかのようだった。

 慈会は敬意を示すように、長身を曲げ、祈るように形の良い頭を下げた。


「私達にはもう時間がない」

 モカラタの、青竜の言葉を聞きながら、重くなった右腕を左手で支えるようにしているユノワをティトレーは見ていた。

「人が急速に数を増やし、その生息地は、かつて畏れられ、竜が統べる地と呼ばれた私達の地にも及んだ。ある地域では、成人の儀式のため、自分達の力を誇示するために竜を狩る者達が出始め、竜の骨は病に効くという噂が流され、人がこの地上を征服し始めた。私達の多くは人と契約を結び、平和的解決を望んだが、人と争う者達もいた。彼らの多くは、ルーラと手を結んだ人により、喰われ、駆逐され、異界へと逃れた。私は楡名と契約を結び、長く地上に留まって来たが、そろそろ限界だ。あまりにも長い時が経ち、私の力も衰えつつある。

 異界へ逃れた者達の中には、再び人と繋がり、この地を取り戻そうと考えている者達もいるが、ティトレー、お前は見て来たのだろう?村を出たお前と契約を結ぼうとした竜達が、ルーラに喰われ、消えていったのを?」

 襖を開け放った奉竜寺の寺務所の一室で、新緑が明るい庭を眺め、きんとんの和菓子と抹茶を頂きながら、何ら感情的になることもなく竜は言った。

 青竜に問われ、ティトレーは押し黙った。

 赤竜の力を得、モカラタは、青竜は少し力を取り戻したように見えたが、ユノワは……。
















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