竜が統べる地

狩野すみか

第1話 旅立ち

 六歳の夏だった。

 一人で、神社の境内で遊んでいたユノワは、幼なじみのティトレーが、神社の裏山を登っていくのを見た。普段、そこは、厳しく立ち入りが禁止されている場所だった。たまに、祭りの時などに、大人が入って行くことを見かけることはあっても、子供が入っていくのを見たことはない。秘密の場所に、大好きなティトレーが入っていくのを見たユノワは、好奇心に駆られてついていった。

 ティトレーは、黙々と、ユノワの存在に気づくことなく、きれいに整えられた道を歩いていく。ゆるやかに伸びる道は、見た目と違ってきつく、村中をいつも走り回っているユノワでも、ついていくのがやっとだった。ひんやりとした空気の中を、どれくらい歩いただろう。ティトレーは、きらびやかな社殿の方ではなく、その左脇の、ひっそりとした祠の前で止まった。そして、何か呟くと、祠の扉を開けた。

 不意に、ティトレーがこちらを向いた。

「……ティトレー」

 驚いたティトレーの顔。それが、ユノワが見た最後の景色だった。胸に強い衝撃を受けて、ユノワは倒れた。


「夢か……。」

 ユノワは、ベッドに横たわったまま、徐々に、身体の感覚が戻ってくるのを感じていた。

 あの時のことを夢に見たのは、随分と久しぶりだった。

「ユノワ、そろそろ起きないと……」

 玉虫色の羽の、小さな妖精くらいの大きさの、褐色の肌をした女が、ユノワを覗き込んでいた。

「モカラタ」

 羽を背中にしまって、ユノワの顔の近くに着地したモカラタは、

「ほら」

 軽く布団を引っ張った。

「……夢を見たの。モカラタと初めて会った時の」

「ユノワ」

 ユノワはゆっくりと身体を起こした。

「私、ティトレーに会えるかもしれない」

「ユノワ」

「浅はかな望みだって、分かってる。だけど、私、ティトレーに会いたい。もう一度だけでも、会って、謝りたい」

「ユノワ、分かってるから。まず支度して」

 モカラタは、大人の女性くらいの大きさになると、ユノワを立たせた。

「身体を清めて、荷物の確認をしなきゃ」

 戸を開けて、控えていた侍女にユノワを託す。黙って手を引かれていくユノワに、モカラタは苦笑した。

 ここに来たばかりの頃、ユノワは、細々と世話されることに慣れていなかった。

 それが、今では、されるがままだ

 モカラタは、常々、ユノワに忠告していた。全て侍女任せにしていると、そのうち生きていくために、必要最低限のことさえ出来なくなるから、せめて、着替えや、簡単な食事などは自分でするように、と。

 今までのところ、ユノワは、それだけは守っているようだが。

 楽な方に流されるのが人間やも知れぬ。

 さてと。荷物の確認は、後で、ユノワにさせるとして、今は、バレルを探しに行くか。

 この家の当主であり、ユノワの養父であるバレルは、今頃、社殿の奥の方で、儀式の最終確認に追われているはずだった。

 モカラタは、家の更に奥へと繋がる戸を開けた。

 出発までに、モカラタにはしなければならないことがあった。

 再び妖精に姿を変えるとモラカタは、飛び去った。


 沐浴を終えて、部屋に戻った頃には、ユノワの目も覚めていた。

 ティトレーのことを、頭の片隅に追いやるのは困難なことだったけど、彼女は目の前の用事に専念することにした。旅が始まれば、ティトレーのことを考える時間はたっぷりある。もしかしたら、実際に、探してみることも出来るかもしれない。そう思って彼女は、旅装を整え、出発前の儀式が行なわれる時間を待っていた。

「どこ行ってたの?」

 モカラタはそれには答えず、羽をしまうと再び、すらりとした背の高い人間の女の姿になった。

「荷物の確認はしたの?」

「うん。着替えと洗面用具を少し持って行くだけだし」

「ユノワ」

「何?」

「もっと汚い格好をしたら?」

 モカラタが涼しげに見つめるのも仕方のないことだった。ユノワは、目の覚めるような青の上衣とズボンに、きらびやかな刺繍をほどこした白の薄物を羽織っていた。

「ああ。これ、儀式のためなんだって。終わったら着替えるから」

「何があるか分からないから、着替えなさい」

 モカラタの命令は絶対だった。ユノワは黙って従った。モカラタは何かするつもりなのだろうか?と疑いながら。

 簡単な防護服の上に、シンプルな亜麻色の上着とズボンを履いて、ユノワは、深い緑色のマントを羽織った。どれも新品だった。

 モカラタが何か言う前に、ユノワは「これくらい良いでしょ?」という顔をした。

 旅の安全のことを考えれば、きつく言い聞かせた方がいいのかも知れない。だが、モカラタは折れることにした。

 きらびやかなものが好きなユノワが、素直に着替えたのだから。

「あーー、今日で、この部屋ともお別れかあ」

 言葉とは裏腹に、どこか他人事のようである。

「……寂しいか?」

「まだ実感わかないけど。ここに来てから、九年?暮らしたからな」

 ユノワがこの家の養女になってから過ぎた時間は、そのままモカラタがユノワと共に過ごした時間だった。

 モカラタは、ユノワを興味深そうに見つめていた。

 ユノワにとっての、重く、濃い時間も、人より遥かに長く生きるモカラタにとっては、 さっと目の前を通り過ぎていくようなものでしかない。素直に自分の感情を表に出すユノワは、モカラタにはいつも新鮮だった。

「モカラタ」

「何だ?」

「……今まで一緒にいてくれて、ありがとう。これからも、一緒にいてくれる?」

 不安を含んだ目で見つめられては、頷くしかない。

「ああ」

「良かった」

 ほっとして笑みを浮かべるユノワが可愛くて、モカラタも笑った。

 モカラタは、ユノワの笑顔に弱かった。

 そのまま二人でくつろいで、畳の上に座っていると、侍女が出発の時間を知らせに来た。

「行こう」

 モカラタは、ユノワが荷物を持って立ち上がるのを待った。

 いつまで一緒にいられるかは分からない。けれど、モカラタは、出来る限り長く、ユノワの側にいるつもりだった。

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