《妖精の輪》は危険な罠

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《妖精の輪》は危険な罠

 郊外の静かな住宅地。

 そこに住む大学生、橘エリカは、幼い頃から妖精の存在に強く惹かれていた。

 彼女の頭の中にある妖精は、ピーターパンのティンカーベルのような小さくて可愛い存在。幼少期に読んだ絵本やアニメの影響で、妖精は彼女にとって夢や冒険の象徴だった。

「本当に妖精がいたら、どんなに素敵だろう」

 エリカは文学部に所属し、都市伝説や民間伝承を研究するゼミに入っていた。そこで最近SNSを騒がせている「妖精の輪」について知ることになる。

 それは、深夜の公園で現れるという奇妙な現象で、キノコが円を描くように生え、その中心に足を踏み入れた者は二度と戻れないという噂だった。

 エリカは大学のゼミ仲間である友人・ミカと一緒に、駅前のレトロな喫茶店にいた。

「昔の伝承に基づいた都市伝説って面白いよね。ところで、ミカ。《妖精の輪》って知ってる?」

 エリカはコーヒーをかき混ぜながらスマホの画面を見せた。

 そこで、SNSで話題になっている都市伝説の記事が表示されている。

「聞いたことあるよ。深夜の公園に現れるっていうアレでしょ? でも、どうせ作り話じゃない?」

 ミカはクッキーをかじりながら、軽く笑う。

「確かにね……。でも、妖精ってティンカーベルみたいに可愛いでしょ?」

 エリカがそう言った瞬間、隣の席から低い笑い声が聞こえた。

 二人が驚いて振り向くと、別の席に一人の女性が座っていた。

 ドレッシーな黒いワンピースに、黒のカーディガンをコーディネイトした20代の若い女性だ。

 丸形をしたメガネをかけ、フレームにはネックチェーンが付いている。必要に応じて遠近を使い分けているところを見ると、遠視かも知れない。

 メガネをかけてはいたが、きついイメージや顔の輪郭のズレによる違和感はない。知的な印象に色香がからみ、教育者のような威風を持った女性であった。

「あなた、妖精を甘く見ているわね」

 と女性は言った。

 落ち着いた声だったが、どこか威圧的で有無を言わせない雰囲気がある。

 彼女は、手元に置かれたコーヒーカップを手に取り、口をつけた。

「どちら様ですか?」

 エリカは警戒しながら訊いた。

 すると女性は微笑する。

 そして、まるで自己紹介するかのように言った。

「私は、ただの古書店の店主よ」

 女性は、名刺をエリカに手渡した。

 名刺には『浪漫古書店』長瀬ながせ摩耶まやと記されている。

 摩耶はエリカ達を見ながら言った。

「仕事柄、色々な本に触れる機会が多いんだけど、みんな勘違いしているのよねぇ……」

  摩耶はそう言ってため息をつく。

 その言い方はまるで愚痴を言うかのようで、あまり愛想の良いものではなかった。

「妖精はね、本来、人間にとって危険な存在なのよ」

 摩耶はカップをソーサーに戻りながら、静かに話していた。

 エリカは眉をひそめる。

「でも、妖精ってティンカーベルみたいな……」

 エリカは言う。

「それは童話の中だけの話」

 摩耶はエリカの言葉を遮るように続けた。

「本当の妖精はもっと恐ろしいものなの。彼らは気まぐれで残虐な性質を持っていることが多いしね。特に《妖精の輪》はね、異界との境界にできるもの。あれに踏み込んだ者は……戻れないわ」

 喫茶店の心地よいジャズが流れる中、その言葉だけが異質な重みを持って響いていた。

 ミカが軽く笑いながら、突っかかる。

「そんなの迷信でしょ? 昔の人が夜の森に入るのを恐れたから、適当に作った話とか……」

 摩耶は一度、目を伏せた。

「そうかもしれない。でも、私は《実際に消えた人間》を知っているわ」

 摩耶の声は揺れずに続けた。

「この町の公園で、過去に何人も行方不明になっている。そのほとんどが、夜に一人で《妖精の輪》に近づいた人間よ」

 エリカの胸がざわついた。

 確かに、摩耶の話は都市伝説のようなものでありながら、妙に現実味があった。

「……証拠はありますか?」

 エリカは少し意地になって聞いてみた。

 摩耶はふっと笑いつつ席を立った。

「証拠を求めるなら、自分の目で考えてみたら? しかし——忠告はしておくわよ」

 摩耶はテーブルの端に置いてあった黒い革のハンドバッグを手に取り、静かに店の出口へ向かった。

 エリカとミカは彼女の後ろ姿を見送る。

 扉が開くと、風が喫茶店の空気と混ざり合い、微かにコーヒーの香りが揺れる。

 その時だった。


 ——にゃあ。


 摩耶の足元に、小さな影が寄って来た。

 三毛猫だった。

 艶やかな毛並みを持つ、その猫は摩耶の足元に絡みつくようにすり寄る。

「ごめんねヨミコ、待っていたかな」

 摩耶はしゃがみ込み、優雅な振る舞いで三毛猫・ヨミコを抱き上げる。

 エリカとミカに向かって微笑み、彼女は店を出た。

 エリカは摩耶の後ろ姿を見つめていた。

 すると、摩耶の腕の中に居る三毛猫がエリカを見つめていた。

 次の瞬間、エリカは背筋がゾッとした。

 なぜなら、猫の口元が、微かに吊り上がったからだ。

 エリカは思わず息を飲んだ。


 ——何、今の……?


 心臓がどくん、と跳ねる。

 まさか、気のせい……?

「エリカ? どうしたの?」

 ミカが不思議そうにエリカの肩を揺らした。

「え……。いや……何でもないわ」

 エリカは視線を摩耶に戻すが、彼女の姿はすでに遠ざかっていた。

 ほんの1秒の出来事だった。

 いや、エリカの胸には、言葉にならない不安が渦巻いていた——。

 まるで挑発するようなその言葉に、エリカの心は強く揺さぶられた。

 ——確かめたい。

 危険という話を聞いても、エリカの好奇心は抑えられなかった。


 ◆


 その夜。

 エリカはスマホを片手に、公園へ向かっていた。

 夜風が冷たく肌を撫でる。

 街灯の光がまばらに続く遊歩道を抜け、闇に包まれた公園の奥へと足を踏み入れた。


 そして——目の前に確信があった。


 キノコが円を描くように現れた、奇妙な光景。

 《妖精の輪》だ。

「本当にあったんだ……」

 スマホのライトを照らすと、キノコの白い傘が月光にぼんやりと照らされ、微妙に不気味だった。


 その瞬間——


 クスクス……


 どこからか、子どもの笑い声が聞こえた。

 エリカの背筋が凍る。

「……誰?」

 思わず息をのむ。

 その時、キノコの輪の中に霧のような影が揺らめいていた。

 青白い肌の、小さな者たち。

 大きすぎる闇のような瞳。

 異様に長く、節くれた指。

 そして、薄く笑んだ口元があった。

 妖精だ。

 闇の中にボンヤリと光る小さな存在たちが、エリカを見ている。


 ようこそ――


 妖精の一人が、かすれるような声。

 いや、念の様なものが響く。

「え……? 妖精! 凄い、本当に居るの!?」

 エリカは驚きつつ、スマホのカメラを妖精に向けるとの足元がぐにゃりと沈んだ。

 床が柔らかくなり、彼女の足を吸い込むように沈んでゆく。沈み込むだけでなく、徐々にキノコの輪の内側がまるで沼のように蠢っている。

「待っ……!」

 逃げようとするも遅かった。

 妖精の細長い指が、エリカの足首に絡みついた。


 さあ。妖精の国へ――

 

 誘う念が響く。

「違う……こんなの……私が知ってる妖精じゃ……!」

 視界が暗転する。

 その時だった。


 ニャアア――!


 甲高い鳴き声が響いた。

 次の瞬間――

 黒の影が、エリカの視界の端を駆け抜けた。


 シャッ!


 鋭い爪が閃き、妖精の指を裂いた。

 妖精たちは皆に後ずさる。


 エリカは弾かれるように床に倒れる。

 それは、一匹の三毛猫だった。

 月光の下で、三色の毛並みが揺れる。猫のはずなのに、その影はどこか人の形を思わせた。

 それはゆっくりと立ち上がった。

 二足で――まるで人間のように。

 そして、三毛猫が話す。

「妖精がどんなものか知らないくせに、無防備に踏み込むとはねぇ……」

 三毛猫は呆れた様に前脚を上げて首を振り、肩をすくめた。

 エリカは驚く。

「ね、猫がしゃべ!?」

 エリカは息を荒げながら驚き問いかけた。

 三毛猫は目を細める。

「まあ、覚えてないの無理はないか。ついさっき、君と目が合ったろ?」

 エリカ思い出はした。

 摩耶の腕の中で、にやりと笑った三毛猫。

「あれ……あんた……?」

「俺はケット・シー(妖精猫)。そして、ご主人様(摩耶)のかわいい猫さ」

 三毛猫はウインクをしてみせた。

 妖精たちが、怯えたように呻き声を上げる。

 三毛猫は冷やしながら笑いながら、エリカの前に立ちはだかった。

 妖精たちは鋭い歯を剥き出しにし、低い泣き声を上げた。

 ケット・シーはそれを見て、楽しげに弁を開く。

「いいぜ。まとめて相手になってやるよ」

 その言葉が合図だった。


 次の瞬間——


 三毛猫の姿が一瞬にして掻き消えた。

 妖精たちの間を駆け抜ける漆黒の映像。

 鋭い爪が、妖精の一体を引き裂く。

 妖精たちの悲鳴を上げ、霧のように姿を薄らせた。

「さあ、お嬢ちゃん。今のうちだ」

 三毛猫がエリカに手を差す。

 エリカは息をんだ。

「……っ!」

 三毛猫の手掴む。

 次に、視界が一瞬歪みが生じると、反転した。


 ——目の前が、闇に包まれ。


 気がつくとエリカは、公園のベンチに座っていた。

「はぁ……はぁ……」

 全身が汗でびっしょりだった。

 夜の公園は、ただ静まりかえっていた。

「今の……夢?」


 ——そうか、違う。


 膝の上には、一匹の三毛猫がちょこんと座っている。

 三毛猫はエリカを見上げると、目を細め笑った。

 その目は、月光を反射して、妖しく光っていた。

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