韓国脱出 修正版
飛鳥竜二
第1話 その日がきた
※2023年に発表した「韓国脱出」の修正版です。実はPCの操作ミスで編集作業ができなくなりました。そこで新しいページで書き直したものです。表現や文言を一部修正しております。もう一度読み直していただければと思います。なお、続編として「韓国脱出2025」を書きました。本編を読んだあとに読んでみてください。
午前3時
時は、200X年9月。秋風が感じられる日々が続いたある日の午前3時。ソウル日本人学校教頭の会田の携帯電話が鳴った。
「だれだ? こんな夜中に・・」
会田は、不機嫌な顔をしながら、ベッドからのそのそ起きた。もう10回以上、呼び出し音が鳴っている。携帯電話を見ると、大使館の鳥居領事からだ。その名前を見て、一瞬青ざめた。鳥居領事は大使館の安全対策担当で、日本人会の安全委員会の主要メンバーだったからだ。会田もその安全委員会に所属しており、月に一度は顔を合わせている仲だった。携帯電話をとると、鳥居の切羽詰まった声が聞こえてきた。
「会田さん、その日がきました。所定の連絡網で、避難場所である日本人学校に邦人を集めてください。私も今からそちらに向かいます」
その日とは、会田たちがいる韓国の北にある国が攻め入ってきたということだ。
元々、この二国は停戦状態にあった。もう50年続いている。しかし、北の国の国家元首が世代交代し、半島統一をはかるべく韓国へ攻め入ってきたのだ。この兆候は、半年前あたりから見られていた。北の国の戦車部隊が国境地帯に移動したり、ミサイル部隊に燃料が供給されたりしていたからだ。それでも、3ケ月前あたりから動きが止まり、北の国のポーズだけかと思われていた。
会田は、小関校長に連絡を入れた。
「校長先生、鳥居領事から(その日がきた)と連絡がきました」
それに対し、校長は
「そうか、いよいよか。それではかねての手筈どおり、私は日本人街の子どもたと、その家族を何とか学校に連れていきます。教頭先生は、学校を頼みます」
「了解しました」
緊急時に長話は無用だ。次に会田は教務主任の山川に連絡を入れた。
「山川さん、鳥居領事から(その日がきた)と連絡がきました。手筈どおり先生たちへの連絡をお願いします」
その後、日本人会事務局の倉田に電話を入れた。
「倉田さん、鳥居領事から(その日がきた)と連絡がきました。連絡網で日本人会のメンバーに連絡を願います」
と話した。これで2000人の日本人会メンバーにメールの一斉送信が行き渡り、家族や韓国人の協力者およそ1万人に連絡がいく。それだけの訓練を月に一度行ってきたのだ。
メッセージは「その日がきました。集合場所へ」という簡単な文だ。日本人会メンバーでなければ分からない文面になっている。集合場所は、日本人学校なのだ。会田は妻の香代子を起こし、自分は着替えて歩いて5分のところにある学校に向かった。香代子には
「その日がきた」
とだけ伝えた。事前に避難マニュアルは伝えてあるので、貴重品をもって行動することになっていた。
日本人学校に着くと、その日の宿直ガードマンはユン氏だった。勤続10年のチーフガードマンだ。日本語もある程度分かるので、話が早い。
「ユンさん、韓国人職員で来られる人を呼んでください。無理じいはしなくていいです」
ユン氏は、かねてから有事の際の対処方法を会田と話し合っていたので、特に質問をすることなく、職員に電話を入れ始めた。中には、遠くに住んでいて無理だという職員もいたが、学校周辺に住む職員は駆けつけてくれることになった。特に、幼稚園教諭のアン先生やオ先生が来てくれるのはありがたかった。幼稚園児が避難してきた時に心強いメンバーだし、日本に留学経験があるので日本語が流ちょうなのは助かる。
午前4時
そのうちに、学校近辺に住む独身の教員が駆けつけてきてくれた。会田は、その教員たちに
「マニュアルどおり日本人と協力者受け入れの準備をお願いします」
と指示をし、校門前に立った。教員は避難所の受付準備や避難物資の配布準備を始めた。一人は、放送室で放送器具のチェックと無線機の設置を行っている。この無線機は、大使館から貸与されたもので、いざという時に、日本の外務省とつながる強力な無線機である。停電になると困るので、いざという時のために発電機も用意された。
家族もちの教員は、市内ヨンサン区にある日本人街に住んでいる。ふだんは、スクールバスで子どもたちと一緒に通勤している。バス7台に分乗してやってくる。韓国人の添乗員がいるのだが日本語が分からないので、日本人教員は添乗員と同様の役割を担っていた。また、7台は一列に並んだりせずに分かれて走っていた。集団で走ると目立って過激派の攻撃対象になりかねないからである。どこにも日本人学校という表示はない。バス会社のロゴがあるだけだ。バス路線というものはなく、日によって変更されていた。交通渋滞が激しいのと、いたるところで道路工事が行われ通行止めがあったりと、バス路線を設定してもあまり意味がない。7台中3台は途中のバス停で日本人児童生徒を乗せるので、やや時間がかかるのが常だった。それでも1時間ほどで学校には到着する。4台は直行便なのだが、漢江(ハンガン)を越える橋の数が限られているので渋滞に巻き込まれるのが常だった。そういうこともあり、日本人の教員が同乗するのは、万が一の場合の連絡員として大事だった。
会田は、警備室で韓国のTVを見ていた。ニュースでは、国境地帯で爆破があったと報道していた。この程度は、今までにも何度かあったので、韓国人は小競り合い程度と思っているようだ。会田は、(鳥居領事が来ないと詳しいことはわからないな)と思っていた。
午前5時
鳥居領事が自家用車でやってきた。
「会田さん、お世話さまです」
鳥居領事は、20代後半の若手の大使館員だ。警察出身ということを聞いていた。まだ独身ということだ。
「鳥居さん、ご苦労さまです。韓国は北の国の侵攻とは言ってないようですが・・」
「パニックを恐れているのでしょう。私にはA国大使館から連絡が入っています」
鳥居の表情は硬い。A国は停戦監視団を形成しているが、事実上韓国の軍事を仕切っている。
「A国からの情報ですか。それならば信憑性がありますね」
会田は、鳥居の言うことに全面的に信頼を置いていた。会田と鳥居は日本人会安全委員会で2年間一緒で、避難マニュアルを検討しあったり、一斉メール配信のシステムを構築してきた大事な仲間なのだ。信頼こそ最も大事なことだった。
「それでは、早速本省と連絡をとります。放送室を借ります」
「無線機は使えるようにしておきました。連絡要員の教員を一人配置していますので使ってください。私は避難してくる日本人の対応のためにここにいます」
「分かりました。それではまた後で」
鳥居はそそくさと校舎の中に入って行った。
放送室には強力な無線機を設置してある。鳥居はそれを使って、日本の外務省と連絡を取るのだ。会田も万が一のために操作方法を理解していたが、外務省に会田が直接連絡をいれても担当者から身分照会をされて、信じてもらえるまでに手間取ることは目に見えていた。鳥居が来ることができなければ、会田が無線機を使用することになっていたが、避難民の誘導もあるので、鳥居の来校は会田にとって朗報だった。
鳥居にとっては、大使館の無線機は傍受されている可能性があるし、妨害されるかもしれないので、こちらの方が使えると判断したのだ。もっとも漢江(ハンガン)より南に住んでいる鳥居にとっては、漢江を越えて市内中心部に行くより、学校に来た方が動きやすいというのが大きな理由だった。
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