ナックラヴィーを追いかけて【KAC20253】

かきはらともえ

ナックラヴィーを追いかけて


     1.


 目に見えない存在がいる。

 わたしはそういうものを妖怪と呼んでいるのだが、これがヨーロッパ圏になると『妖精』という言葉に変わる。

 妖怪にしても妖精にしても、共通しているのは『目には見えない存在』ということだ。一方で不思議なことに――妖怪にしても妖精にしても、似たり寄ったりということだ。

 どの国にしても、どの地域にしても、どの村にしても――妖怪や妖精は存在する。たとえば人の住む家に忍び込んでいたずらをする妖精なんて、こんなのはわたしたちに言わせれば家鳴やなりのことだ。ぼんやりと浮かんでいる火の玉なんて世界中のどこでも聞くし、子供を川に引きずり込む妖精なんて、日本人であるわたしから言わせれば河童かっぱのことだ。

 どうしてそういうものが世界中に、同じようにして存在しているのか。

 妖怪や妖精というのは、わからないことに名前をつける行為のことである。

 わたしたち人間は、なぜそういう『目には見えないもの』を、『形』にしたがるのだろうか。

 ともあれ、わたしは、そういう目には見えないものを追いかけていた時代があるのだ。

 そんな中で、わたしはナックラヴィーの話をしようと思う。

 聞いたことがあるだろうか。

 こいつは水辺に関わる妖精だが、あんなに気味の悪いのは、正直あんまり聞いたことがない。


     2.


 スコットランドは、グレートブリテン島の一番上のほうにある。

 オークニー諸島というのは、スコットランドから北に向かって海に出たところにある島のことである。

 わたしは若い頃に、オークニー諸島のストロンゼー島を訪れた。

 日本国内での民間伝承を聞き、海外ではどうなのだろうかと気になって、直接出向いたときである。

 当然だが、書籍などを数多く目を通してきた。

 その上で現地の人の話を聞きたいと思ったのである。

 わたしはオークニー諸島のひとつ、ストロンゼー島にやってきた。ほかの島で聞き込みをしていると、よく話題に挙がったからである。

 十九世紀に打ち上がったという死骸グロブスターの話をよく聞いた。何でも十メートルを越える体長だったという。

 話を聞いていると、どうやらストロンゼー島に民間伝承の研究をしている人物がいるとのことだった。

 氏と実際に会って話をすることが叶った。

 わたしが妖精に関心があるという話をしたら、

「ならば、ナックラヴィーを知っているかな?」

 と、彼はそう切り出した。

「いえ、存じ上げません」

 知らないが、聞いたことはあった。

 巨大な死骸の話を聞いているときに『ナックラヴィー』という名前を何度か耳にしていたからだ。

「十九世紀の頃にね、民間伝承の書き起こしに関心が高まったのを知っているかい?」

「はい。知っています」

「その資料の記録に、一貫性のないつづりで、頻繁に英語化された単語が出ていることも知っているかい?」

 氏はひとつの資料を持ってきた。

 そこに記されているのは『ヌケラヴィーnuckelavee』という綴りだった。

「ああ、これは知っています。わたしも疑問に思っていました」

「意味はわかるかい?」

「いえ、まったく」

「これはオークニー諸島で使われていた『ノッゲルヴィ』という方言だよ」

「それは、どういう意味なのですか?」

「『海の悪魔』という意味だ」

「悪魔……ですか」

「こいつは。このオークニー諸島からさらに北上したところにあるシェトランド諸島では『ムッケラヴィ』と呼ばれている。そっちではトロウと考えられているよ」

「トロウ?」

 氏はこの島の生まれではないらしいが、住んで長いとも言っていた。

 島嶼とうしょ方言を使われるとわからない。

「トロルでしたら知っていますが、それとはまた違うのですか?」

「それはスカンジナビアのほうで言うところの『巨人』だろう? 語源としては近しいものだよ。少し変化して、この辺りではトロウと呼ばれている。意味は『いたずらが好きな幽霊』みたいな意味だ」

「先ほど仰っていた『悪魔』とは印象が変わりますね」

「その辺りの意味合いの差は、オークニー諸島とシェトランド諸島が近いとはいえ、環境が違うからこそだろうね」

「その、ナックラヴィーというのは何をするんですか?」

「海から上がってきて、人間を襲うんだ」

「海から、上がって、人を――ですか」

「何か心当たりが?」

「いえ、わたしの国――日本には牛鬼ぎゅうきというのがいるんです。海から上がって、人を襲うんです」

「牛か」

 氏は頷くようにして、こう続けた。

「ナックラヴィーは馬だよ」


     3.


「ナックラヴィーは陸に上がると馬のような姿で現れるんだ」

 氏によって紹介された島民は、そう語る。

 この島で生まれて、きっとこの島で死んでいく――そういう老人だった。

「こいつは実に邪悪で、悪意がある。上陸すると作物を枯らして、家畜を殺して、人間を捕まえて皆殺しにする。幼い頃に話を聞かされて、おれは恐れたよ。おれのじいさんはこいつを怒らせないために必ず祈りを捧げて仕事をしていた」

 ナックラヴィーの上半身は人間で、胴体から下は馬だという。

 わたしがイメージしたのはケンタウロスだった。

 ただ、ナックラヴィーは、片目しかなく、耳の辺りまで裂けた口からは刺激臭のする蒸気のような息を噴き出している。皮膚がなくて、真っ赤な筋肉が剥き出しになっている。全身を覆っている黄色い血管は常に脈打っていて、タールのような真っ黒の血液が流れているのが透けて見ているという。

 ……想像して、その気味の悪さにぞっとした。

「それを、見たことは……?」

「おれはない。だけど、おれのじいさんが見たと言っていたよ。まるで――」

 まるで、クジラの口みたいだったと言っていたよ。


     4.


 ほかにも、このスコットランドの妖精の話をいくつも聞いた。帰国する飛行機の中で、聴取した内容を見返しながらナックラヴィーのことを考える。

「オークニー諸島に定着している民間伝承はね、伝統的なケルト神話とノルマン人が持ち込んだ北欧神話の影響を受けている。だから、ナックラヴィーのルーツは水馬すいばにあると考えるよ」

 氏は最後にそう言っていた。

 ……わたしはこの悪意のある存在は、説明できない出来事を説明するために使われたのだと考える。

 作物を枯らして、家畜を病気にして、捕まえた島民を皆殺しにする。

 このナックラヴィーの伝承が近郊の島にまで広まっているのは、家畜を襲った疫病が、ほかの島々にまで感染したからだと考えられる。

 そして、これらの現象は降水量の少ない――水不足の時期に起きたとされている。

 オークニー諸島周辺は常に変化する海の自然の影響を受けていた。

 島民たちは、ナックラヴィーは何かに怒っていて、自分たちに対して復讐しているのだと考えていたのだという。

 理不尽で、不条理な目に遭ったとき、誰かのせいにしてしまいたくなるのが人間だ。

 ナックラヴィーが海中ではどのような姿をしているかを語る伝承がなく、海岸の近くでよく見かけられ、雨が降っていると上がってくることはないという。

 妖怪というのはそういう存在だ。

 妖怪にしても――妖精にしても。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ナックラヴィーを追いかけて【KAC20253】 かきはらともえ @rakud

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ