-僕が大人になりきれていないからなのだろうか-

こんな挨拶を、僕は今年になって何回しただろうか。

毎朝早く起きて、髭を剃り、いわゆる身だしなみって言うやつを整える。

着たくもない堅苦しいスーツとか言うものを着て。履きたくもない革靴なんてものを履き。いつもは持たないハンカチとティッシュを格好良くもないカバンに入れて。


一生懸命考えた、嘘まみれの志望動機。ハリボテの自己PR。盛って話せばならないガクチカ。どれをとっても僕ではなくて、みんな同じ髪色で。みんな似たような話をする。

特に、「居酒屋でアルバイトをしていた時にバイトリーダーに任命され、売り上げ貢献した。」とか言う話を周りの就活生がしようものなら滑稽だ。

これの何が面白いのだろうか。僕は不思議に思う。


学内では冷戦が繰り広げられる。

内定をもらった会社の規模・年収・事業内容・ブランド力・総合的に見て、最も優秀だと判断できる会社に入れた人が「勝ち組」とされる。


そもそもなぜお金を稼ぐのに試験を受けて、労働するための片道切符を買わなければいけないのだろうか。おまけに働くために、試験を受けなきゃいけないなんて・・・。こんな風に思ってしまうのは。僕が大人になりきれていないからなのだろうか。


仮に戦争に勝って、その試験に受かっても、希望の部署に行けるかどうかは危うくて。そこの人間関係がうまくいくかどうかもわからなくて、この世には「配属ガチャ」なんて言葉が生まれている。長い人生の中で、その途中で心に大きな傷を負い、働けなくなってしまう。そんな大人が世の中にいる。


そして、世の中には、まだまだ、仕事にコミットして結果を出し、出世をしてマイホームを買い、車を買い、子供を授かり、老後を迎える。

こんな固定概念を持っている大人がたくさんいる。


悪気もなく傷つけられることもある。職場と言う共通場所がなければ、多分その人と仲良くなることなんかない。会社だけの閉鎖されたコミュニティーの中で与えられる役職にあぐらをかいている奴がいる。人の気も知らず、土足でプライベートに踏み込んでくる奴がいる。

「自分たちの時はこれが普通だった。」と価値基準を押し付けて、そのくせ新しいものや今までにない考え方、これを受け入れようとはしない。

そんな大人も世の中にはいる。

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