♦〈黒龍〉ミレイシュ・ヴァルティシア
「黒龍、だって?」
俺は自分の耳を疑った。
黒龍と言えば、あの存在しか当てはまらない。
かつてこの国に存在していた旧王国の国王とあいまみえ、決死の激闘を交じえ、そして国王をほふった伝説の龍。俺が冒険者になるきっかけの人物を殺した敵。
「なにかの、冗談じゃないのか」
俺は圧倒的なオーラに気圧されながらも、何とか言葉を紡いだ。
呼吸をするのでさえ精一杯である。空気全体が彼女の魔力に支配されているような。
その蒼く光る瞳が俺を硬直させる。
「冗談だと? 貴様は我の発言を嘘だと、そう言うのか」
「いや、そんなことは」
俺の言葉を遮るように黒龍を名乗る女──ミレイシュは、右手を振り上げる。
次の瞬間、俺の右腕は切断されていた。
何が起こったのか理解する前に、右腕が宙を舞い、地面に落ちる生々しい音が聞こえる。
「っ~~~~!」
俺は声にならない叫び声をあげ、地面に倒れ込んだ。
ミレイシュはそのまま俺の頭を右足で踏み力をかける。
「我の機嫌を削ぐでない、愚物。二度も言わせるな。殺すぞ」
頭にヒールの足が沈み込み、鋭い痛みが走る。
「もう一度問う。なぜ我を目覚めさせた」
「俺はミアを助けるためにここに来ただけで、何も知らない!」
「何も知らぬ、だと? ふざけたことをぬかすな。ではなぜ我が目覚めたというのだ」
そんなの知らない、と言おうとしたが俺は失った右腕のことを考え、口をつぐむ。
切断面からじくじくと血が流れ出る感覚。
ミレイシュは面倒くさそうに溜息をついたあと、腕を組んで思考する。
彼女は黒龍だというが、その所作は人間がするものと相違なかった。
「我が眠りについたのは、王国を滅ぼした直後。年老いた男に痛手を負わされ、力を使い切らされた我は眠りにつかざるを得なかったわけだが……ふむ。魔力の節約のためこうして人間の形態で目覚めたのだ。何かしらのトリガーがあるのか?」
そこまで言うと、ミレイシュは何を思ったのか急に俺の胸ぐらをつかみ、体を乱暴に起き上がらせた。
そして互いの吐息が感じられるほどの距離まで顔を引き寄せ、じっと俺を見つめる。
彼女の瞳の中の光が揺れた。近くで見ると、宝石のように美しい瞳なのがよくわかる。
「見れば貴様、見覚えがあるな」
「はっ?」
俺は訳も分からないまま間抜けな声を出す。
理解できない。突然何を言い出すんだ。
「わからぬ。理解できぬ」
ミレイシュは舌打ちをすると、俺から手を引いた。急に手を離されたため俺は地面に尻餅をついてしまう。
右腕から血があふれ出てきて、俺は呻きながら右肩を抑える。
「だが何か引っかかるな。この胸のもやりはなんだ?」
ミレイシュはぶつぶつ何かをつぶやく。
俺には何が何だかわからなかった。
が、こうしている間にも切断された右腕からはとめどなく血があふれ出してくる。このままでは失血死するだろう。正直つらいほかはなかったが、どちらにせよ死ねるのだ。
もう、黒龍とかなんてどうでもいい。
死ねるなら、ミアのもとに行けるなら何でもいい。
「……貴様、なんだ。死にたいのか?」
「なっ」
考え事が終わったのか、いつの間にかミレイシュは倒れ込む俺の真横に立っていた。
移動する気配すら感じなかった。
「我は黒龍であるぞ。人の心を読むなど造作もないこと……。死にたいなどとほざく貴様の考えなど我の前では筒抜けである」
俺は彼女の問いには答えず、無言を貫く。
ただ何も言えなかっただけなのかもしれない。
だがそれはもはや、沈黙の肯定と同義であった。
「なるほど、そうか」
ミレイシュはそう言うと、自身の腕を口元まで持ち上げる。
そして大きく口を開けたと思うや否や……鋭い歯を腕に思い切り突き立てた。
鮮血が飛び散る。
ドロリと緋色の血液が彼女の腕を伝い、地面に滴り落ちる。脳が酔いそうなほどに、濃密な魔力の香りがした。
彼女はにやりと、血が付いた唇で意味深な笑みを浮かべる。
「ならば余興に付き合え」
「は? なにを──んぐっ」
次の瞬間、彼女が腕につけた傷口を俺の口に押し当ててきた。
「ん~~っ、ん~~っ⁉」
「暴れるな、ただ受け入れるがよい」
俺は何をされているかわからず、もがく。
けれど腹に鋭い蹴りを入れられ、地面に押し付けられた。
口から生暖かい何かが流れ込んでくる。
それがミレイシュの血であると気づいた瞬間、俺は全身が燃えるような痛みに襲われた。
「あああああああっ!」
業火の中に包まれているように、熱い。
血管が内側から強引に広げられ、心臓が激しく脈動する。
魔力が強引に体内に詰め込まれている感覚。
痛い、苦しい、熱い。
しかし、その奥に何か強い力が秘められているようであった。
ミレイシュが俺の口から腕を離した後も、しばらく激痛にうなされる。
が、それと同時に体に負った傷が塞がっていくのも分かった。
ミレイシュに斬り落とされた右腕も傷口が塞がり、まるで何事もなかったかのように再生する。体力も、疲労も全快した。
「喜べ、我の力の一部を分け与えた。これで貴様が負った傷は、黒龍の加護によりたちまち癒されるようになったぞ」
ミレイシュはどうだと言わんばかりに鼻を鳴らし、そして俺が落とした剣を拾い上げる。
「なん、だって……? そんな、どうして……」
「どうして、とな。決まっているであろう。貴様がこの心のもやりを解く何かを持っていそうだから、今ここで死なれては困るのだ。それと──」
「死にたい輩が望んでも死ねないのは……滑稽だからの?」
ぞわりと、全身に寒気が走る。
やはりこの女は、常軌を逸している。
見た目こそ人間の姿形をしているが、その中身は正真正銘、人ならざる常軌を逸脱した存在であるのだ。
ミレイシュは愕然とする俺に向かって、剣を投げてよこす。
剣は回転しながら宙を舞い、俺の目の前に突き刺さった。
「どれだけいたぶられようと死なぬようになったのだ。貴様には我の疑問が解決されるまで付き合ってもらおう。分かったらさっさと剣を取れ」
勝てるわけない。俺は真っ先にそう思った。
既に俺は彼女の魔力量で圧倒的な力の差を見せつけられている。おそらく彼女が黒龍だというのは本当だろう。
だとすれば、彼女と勝負したのなら普通なら即死。良くても瀕死だろう。
だが、俺はもう戦わざるを得ない。
死ぬのはもちろん、逃げることなんて彼女が許すはずもない。
俺は震える手を何とか押さえつけながら、剣を地面から引き抜いた。
そして、構える。
「それでよい。では、始めるぞ」
その言葉と共に、ミレイシュの姿が視界から消え去る。
刹那、俺の体は背後の壁に叩きつけられた。
岩が砕け散り、小さな破片が宙を舞う。
「がはっ!」
何が起こったのか、すぐには理解ができなかった。
だが、体が燃えるような感覚に包まれるとともに背中の痛みが引いたことで自分は蹴り飛ばされたのだと認識する。
それと同時に、ミレイシュが言った黒龍の加護とやらも事実なのだと理解した。
俺はよろけながら次の攻撃に備えて剣を構え直すも、ミレイシュは瞬時に俺の背後を取ってくる。
「脇が甘いな」
ミレイシュの拳が俺の背骨を捉える。
強い衝撃が背中を襲い、俺は空中に打ち上げられた。
肺の中の空気が、かひゅっと口から漏れ出す。
速すぎる。
認識できても、体が反応する前に攻撃を入れられる。
「次」
続けてミレイシュは高く飛び上がり、片手で雷撃を放つ。
激しい雷が地を這うように巡り、帯電する。
まずい、逃げ場をつぶされた。
だがミレイシュの攻撃は止まることを知らない。
彼女は俺と一気に間合いを詰め、氷の魔法で生み出した剣で心臓を狙った鋭い突きを入れた。
「くっ!」
間一髪、剣の腹で攻撃の軌道を急所から逸らす。
摩擦による甲高い金属音が耳をつんざき、思わず片目をつむる。
その隙をつかれて今度は足を斬り飛ばされ、地面に蹴り落とされた。
「ああああっ!」
地面に張り巡らされた雷による追撃で、意識が飛びかける。
斬られた足は再生するが、痛みがないわけじゃない。
勝てっこない。
こんなの、無理だ。今の俺じゃ倒せない。
「我が嫌いな人種はたくさんいる。魔物を何とも思わずただ素材を収集し、売買する輩。約束を反故にする輩。己の研鑽を怠り、地位と名誉にあぐらをかく輩。ほかにもあるが、これ以上挙げればきりはない」
ミレイシュは地面に転がり悶絶する俺を侮蔑の目で見下ろし、ため息交じりにそう呟く。
右手に黒色の魔法陣が生成された。
魔力が彼女の手のひらに収束するとともに、先ほどの魔力の圧が俺にのしかかる。
「だが、はっきりと言えることがある。我は、貴様のように簡単に絶望し、すべてを投げ出そうとする輩が一番嫌いだ。昔の自分を見ているようで、虫唾が走る──!」
ミレイシュはその言葉と共に拳を振り上げ、それを合図に俺を取り囲むように炎の剣が出現する。
そしてその炎の剣は、一斉に俺の体に突き刺さった。
「が、ああああああっ!」
先ほどとは比べ物にならないほどの激痛。
突き刺さった炎の剣は俺の体内で爆ぜ、何度も炎を噴き出している。皮膚の下で爛々と炎が暴れ狂う。
けれど黒龍によって改造された俺の肉体はその度に再生し、体を修復する。
何度も爆ぜ、何度も修復される。
まさに生き地獄に他ならない。
「なぜそう簡単に絶望する? どうして生きようと抗わない? かつて我を追い詰めた一国の王は、国のため自身の全霊をもって我にその刃を向けた」
ミレイシュはふわりと地面に降り立ち、俺を見つめる。
炎の剣が消滅するも、俺は地面に倒れ込んだまま動けなかった。
いや、動きたくないのかもしれない。
傷は既に癒されていて、痛みも消えている。本当ならすぐに立って剣を取り、彼女に斬りかかるべきなのだろう。
だが、俺の心は既に壊れかけていた。
早く死にたい、どうせ勝てないのだから早く殺してほしい。
ミレイシュの言う通り、俺は既に諦めていたのだ。
俺が戦う理由は、もうこの世にはいないのだから。
ミレイシュは指を顎に当て、何かを考えるような仕草をする。
そして周囲を見渡し、ある存在を視界にとらえると「なるほど」と、納得したように頷いた。
「貴様は愛するものを失ったが故、それほどに脆くなっているのだな」
図星をつかれ、俺は思わず顔を上げた。
ミアのことだ。
「どうやら図星のようだ。どれ、ならばこうしてみよう」
ミレイシュはコツ、コツとミアが倒れているところに向かって歩き始める。
「やめろ。ミアに、近づくな!」
咄嗟に剣を取り、ミレイシュの首をめがけて斬りかかる。
だが、その剣がミレイシュに届く前に俺は重力魔法によって身動きを封じられる。
巨大な力場によって周囲の地面がへこみ、亀裂が走った。
全身が重く、指一本動かせない。
まるで金縛りのようである。
俺はそれでも、ミレイシュに向かって叫び続けた。
「彼女に何かしてみろ、俺が、絶対にお前を、殺す……!」
俺は肺から声を絞り出し、吠えた。
だが、ミレイシュはそんな俺の声を無視して悠々と歩き、やがてミアの傍に立った。
「心臓は止まっているが、僅かに魔力を宿している。まだ、いけるな」
「まだって……何をする気だ」
「うるさい。負け犬が吠えるな」
俺の体はさらなる重力の力場によって地面に押しつぶされる。
今度こそ俺は一言もしゃべることができなくなり、ミレイシュをただ見ることしか
できなくなる。
「──────」
ミレイシュは聞いたことのない言語で魔術を詠唱し、ミアが倒れ込む地面に魔法陣を展開した。
「蘇りの秘術だ。守るものがあった方が、貴様も多少なりともやる気は出すだろう」
「なっ」
蘇り、という言葉に俺は強く反応する。
まさかの可能性が脳に一瞬よぎるものの、そんなわけがないと否定する。
死んだ人間が生き返るなんてあり得るはずがない。
人間は死んだら、復活することはないのだ。
けれど、俺はそんな可能性が今なされようとしている事実も否定はできなかった。
なにせミレイシュは人間を超越した黒龍である。
かの伝説にも登場し、俺の憧れの国王と互角の勝負をしたともいわれる、まさに最強ともいえる存在だ。
そんな彼女なら、もしかしなくとも人間を生き返らせる魔法を知っていてもおかしくない。
期待と不安が入り混じった感情が渦巻く中、ミレイシュは魔法陣を完成させ、巨大な魔力を流し込む。
彼女から放たれる魔力が星々のような無数の光へと変化し、魔法陣へ吸い込まれていく。
同時に、思わず目を閉じてしまうほどの強烈な光が辺りを飲み込こんだ。
空気中の魔力がミアの体に流れ込んでいくのを感じる。
やがて光が収まり、目を開いた。
ミレイシュは俺にかけていた重力魔法を解き、にやりと笑みを浮かべてこちらを見る。その表情には、今までに見たことのない感情が滲み出ていた。
「喜べ。魔法はしっかり発動されたようだ」
「あ……」
心臓が、ドクンと脈打つ。
俺の心臓ではない。
ミアの心臓の鼓動だ。
ミアの体に、魔力が流れている。
トクン、トクンと心臓の鼓動に合わせて循環している。
先ほどまでぐったりとしていた彼女の体は、活力を取り戻しているようにも思える。
頬には血の色が戻り、唇の青さが消えていく。
ありえない、と呟いた。
だが俺の求めていた現実が、そこにはあった。
奇跡が目の前で、起きていた。
ミアは静かに呼吸を開始する。
胸が小さく上下に動き始めた。
そして閉じられた重い瞼がゆっくりと開いた。
永い眠りから目覚めるように、そっと。
蒼の瞳に、光が宿る。
「グレイ、くん?」
彼女の声が、俺の耳にはっきりと届く。
不思議と彼女の声を懐かしく感じる。
そして俺は、はっきりと認識する。
想い人が、命の灯火を取り戻したのだと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます