オークあはき師くっ殺修行〜小妖精と大横
鱗青
小妖精と大横(だいおう)
「舐めんじゃねえ見下すんじゃねえ触るんじゃねえ呪い殺すぞゴラ!」
「──…なんですかお師匠様、このやかましい無礼者は」
緑滴る森の奥、街道を外れ人跡まばらな獣道を分け入った小さな泉のほとりに洞窟があり、そこには煤をつけた板に石灰を溶いた樹脂でこう書かれてあった。
“オークのハリーのあはき治療所・お代はご随意にて”
洞窟の中は特に変哲もない鍾乳石の生えた空間。だがそこには外に降り注ぐ日光にも等しい
その(自称)治療所の、粗末な作りのベッドに仰向けに横たわるのは真っ赤なとんがり帽子の小さな人間…
…いや、人間型だが頭と胴体、四肢のバランスが大きく崩れた人間
それを見下ろしているのは筋骨隆々とした男の体に鮫に似た頭を乗せた白の麻服の獣人──この地方では“海オーク”と呼ばれるこの治療所の主人──ともう一人、彼の腰ほどの背丈の青みがかった銀髪の、同じく白の衣服の少女である。
「ちょうど街への買い出しから帰ったら、入口の所に倒れておってのう。捨て置くわけにもいかんから寝かせとるんじゃ」
鮫頭のオーク、治療所の主人のハリーの答えに銀髪の少女はかぶりを振る。青い煌めきが宙に舞う。
「まーったくもう、お師匠様ときたら弱った動物とか妖精とか何でもかんでも拾ってきちゃうんですから」
「あ、やっぱり
ホッと息をつくハリーにセツは困ったお人だな、という表情をする──目を閉じたまま。
ハリーはベッドの脇にしゃがんで怪訝そうな顔をしている赤帽子の妖精と視線の高さを合わせる。
「改めて自己紹介しとこうな。ワシはハリー、あはき師…治療師の一種じゃ。ほんでこの子はセツ、ワシの弟子じゃ」
「…へっ、オイラは名乗んねぇぞ。なんだって誇り高い火の眷属が、由来になってる火石のことまで言わなきゃなんねんだよ」
「ああ、こいつは
種族と名前をセツに言い当てられて、コボルトはベッドから垂直に体が浮くほど驚いた。荒っぽい口調と態度は自分を強く見せてみくびられないための虚勢で、これは嘘のつけない小心者だな…とハリーは苦笑した。
「それでパイロープ、お前さんはなんでまたウチの前なんかで行き倒れとったんじゃ?」
むぐぐ、と悔しそうにしながらも、コボルトはボソボソと事の真相を語った。
「今朝方よぉ…谷間の方を散歩してたらよぉ…偶然、自然にできた
「ふんふん、そいつは確かに珍しいな。氷とはまた貴重品じゃしなぁ。で?」
「そうなんだよ。俺ら火の妖精は冬場は休眠すんじゃん?だから
「うむうむ?」
「
「…何じゃ、オチがほのかに香ってきたのぅ」
「身体が冷えたから外ン出てぇ、フラフラ歩いてたら腹痛くなって気分悪くなって倒れてた」
ハリーは膝を叩いて立ち上がる。
「問診はここまで。ほんじゃちょいと服を
コボルトは上着を捲り、プルンと突き出した腹を出した。それを見るなりハリーが叫ぶ。
「なっ、なんじゃとぉっ⁉︎」
「ど、どうしたんですかお師匠様!」
「なっ、なんでぇ藪から棒にっ」
ハリーは耳まで裂けた鮫の口を大開きにして驚愕していた。
「へ、
「な──なんだ、そんなことですかぁ」
「ったりめーだろぉがコン畜生、オイラはれっきとしたコボルトなんだからな!」
「なるほど…哺乳類ではない、というわけじゃな…それはそうか…そも妖精たるは通常の、ワシが居た世界の生き物とは違うんじゃな」
喋りながら気を取り直し、ハリーは太い指でコボルトの水膨れしたカエルのような腹を触診した。一通りを確認すると頷き、セツにも同じように診てみろと促した。
「腹部全体に冷え…と、それからところどころに弱い
「うむ。見立ては?」
瞑目したまま顎に指を当て考える事しばし。
「氷を食べた事による寒邪の侵入、それによる津液と消化の停滞。引き起こされる下痢・便秘…かと」
「うむ。ワシもそれで相違ないと思う。ではセツ、お前さんがこちらの患者様に
「わ、私がですかっ」
「何をたじろいどる。お前さんはワシのたった一人の手塩にかけた弟子。こんなことはこれからもたんとあるでな、今から慣れておけ」
壁をくり抜いて作った棚からハリーは
「なんだそのエルフ、目が見えねえのか」
セツが無視して準備を進めていると、コボルトは本来なら愛らしい顔を意地悪に歪ませた。そしてわざわざ頭を上げてハリーへご注進である。
「おいオーク、お前知らねえのか?“カタワのエルフは災禍を招く”つって、有名な諺なんだぜ。エルフで体に欠損がある奴ぁ、育つ前に棄てられドゥゴフっ」
『がし』と擬音が宙に浮いて目に見えるレベルで、ハリーの手がコボルトの頭を頭巾ごと鷲掴みにした。
「黙れ。セツはワシの大事な弟子じゃ。侮辱するなら即刻この頭を握り潰す。邪魔をしても殺す。いいな?」
セツは他人に対して灸を行うのは初めてであった。しかし彼女の緊張は、ハリーの放つ空気がガラスのようにビリビリ震えるほどの怒気にあってふわりとほどけ、消えていった。
清水を貯めた水瓶に柄杓を沈め、掬い取った分で両手を清める。
もぐさ(ヨモギに似た植物から代替品としてハリーが作った)を塊からひとつまみ千切り、左手の内に持つ。右手の中指と薬指の間には先端に火を
「落ち着いて、練習通りにやれば大丈夫じゃ。
セツは唾を大きく飲み込み、深く頷く。
「
「うむ、よう憶えておったな。
この世界にはストップウォッチなどはない。ハリーはかつて人間であった頃の自分、それも若さに溢れていたときに専門学校で講師に見守られながらもぐさに火を点け数を競うテストを受けたことを思い出した。
(実技テストでワシは緊張のあまり手汗が濡れるほどに染み出して、線香をダメにしてしもうたな。セツにも線香を使わせたかったが、まだそれに類するものをこの世界で見つけられていないのじゃから仕方ない…)
生まれ変わりがあるとは思わなかったが、生まれ変わった先でこのように弟子を持ち立場が逆になるとも予測できなかった。
セツは線香代わりの香木の枝を細く削ったものをうまく使い、小さな灸の頭に火をともし、一瞬の内に燃え尽きた上から次々と新たな灸を重ねていく。手際も早さも申し分ない。
よくできた弟子に、自然ハリーの顔もほころんだ。
師匠の満足とは裏腹に、セツは頭と心臓が逆転したかのような気持ちでいっぱいいっぱいになっていた。
セツはエルフである。視覚こそ持ち合わせていないが、その三角耳には
(火の素霊に頼めば、一定の温度でもぐさを燃やすなんて簡単だけど…)
セツは三角耳をハリーの方に向けた。謹厳な師匠は腕を拱いたまま微動だにせず、弟子の挙動を見守っているらしい。
ハリーからは施術に対して素霊を
セツはブルブルっと唇を震わせた。
ハリーは自分を見捨てるだろう。家族としては付き合ってくれるだろうが、己の技術を伝える相手としては金輪際見てくれなくなることは
それだけはできない。ハリーというこの海オークは、森のなかで野獣のように生活していた自分を生活に迎え入れ、家族の温かさと愛情の何たるかを教えてくれた。
のみならず、あんまと鍼と灸という、この世界では他に存在しない医療を手ずから教えてくれる。自分に対する信頼と期待を裏切ることは、セツにとって死ぬよりも恐ろしいものだった。
余計なことは考えず、手先に集中すべきだと意識を戻した時、セツは手先にほんのりとした温かさを感じた。
コボルトの剥き出しの腹の上にある、大横という
「で───できました、お師匠様」
「ふむ。どれどれ」
ハリーは前に出て、コボルトの腹部の上に掌をかざしてゆっくりと熱を調べた。
そしてニンマリと口を曲げる。
「良いじゃろて。さ、起きてみろ、パイロープ」
コボルトは恐る恐る体を起こす。そして、あれ?おろ?と小首を傾げ、己の腹を探った。
「…痛くねえ!痛みが、消えた‼︎」
ヒャッホウとベッドに躍り上がり、コボルトはペチペチと腹を叩く。
「そうか。それが、灸の力じゃ。今回はこのセツのお手柄じゃな」
「そ、そんな。私はお師匠様の指示通りに据えただけで…」
赤面して両手を揉むセツの肩を、ハリーは優しく叩いた。
「もう暫くしたら便が大量に出るかもしれんが、その後はスッキリするはずじゃ。今のうちにお会計を相談しておこうかの。ウチの治療院は人間以外の患者様にはお代はご随意にとしておってな。パイロープ、お前さんは何をしてくれる?」
「おうっ、礼だな?それなら今くれてやらぁっ」
コボルトの赤帽子から色とりどりの火の粉が噴出した。バチバチ、パンパンと弾け飛ぶ花火にセツが悲鳴を上げる。
コボルトの全身は炎の塊となり、哄笑の反響を洞窟に残して外に向かって飛び出して行った。
「うーむ、妖精というのはせっかちじゃのう」
「落ち着いてる場合じゃないですよっ。もう金輪際、コボルトはお断りにしましょう!」
「ん〜いや、いまの花火は結構見応えあったぞ?隅田川の花火大会を思い出したわい」
セツには火の素霊が暴れ回った程度にしか感じられず、ハリーが言うことの意味は全くつかめなかった。
───だが。
次の日の朝、ハリー達の住居でもある治療所の前には山程の森の果物や芋類が置かれてあった。何の通告もなく渡されたそれがコボルトの照れ隠しである事は、どれもほんの少しだけ焦げ目がついている事で明らかなのであった。
オークあはき師くっ殺修行〜小妖精と大横 鱗青 @ringsei
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