第50話

 ――駐車場から坂道を少し歩いた先に、思いのほか簡素な建物があった。ここにどうやって一、二年生の全員が宿泊するんだと思っていたが、どうやら別に宿泊棟があるようだった。


 一年生は建物の広間に集められ、施設の職員が前に立ち、歓迎の挨拶を始めた。

 その言葉の端々に、少し皮肉めいたジョークが混ざり、俺たちは戸惑いのあまり顔を見合わせる。


 要は。

 昨年ぼやを起こした別の施設での騒ぎを、辛辣なジョークのネタにされていた。心地悪く、居たたまれない空気が流れ、俺たちはうつむいて話を聞くしかなかった。


 普段ならばこういう空気を、クラスのお調子者アッキーが一変してくれるのだが、生憎あいにくアッキーの姿がどこにもない。

 合宿に来ていないのだろうか。アッキーと仲の良いなごさんにでも、あとで聞いてみればいいか。


 職員の挨拶に続いて、玻璃先生が生徒たちの前に立った。


「それでは宿泊棟に行って、荷物を置いてきてもらいます。運動着に着替えた後、外の広場に集合してください」


 こうして見ていると、玻璃先生は担任という役割を完璧にこなしている。転移前の職業は全然違ったらしいが、元々責任感が強い性格なのだろう。


 ――職員の先導で、俺たちは宿泊棟の四人部屋に案内された。部屋割りはあらかじめ決まっていて、俺はなごさん、ぶんちゃん、わだっちと同室だ。

 普段から話すことの多い彼らと同じ部屋なのは、ラッキーなことだ。


 しかし本来ならば、俺の代わりにアッキーが同室になる予定だったんじゃないだろうか。彼らはいつも学校で四人で行動しているグループなのだから。


 それぞれに荷物を置き着替える中、俺は誰ともなしに話しかけた。


「なあ。アッキーどうして合宿に来てないんだ?」


 わだっちが口を開く。


「あいつ、体調不良だってさ。意外とナイーブなとこあんのよ」


 アッキーはいつも教室でふざけている陽気な生徒だ。空気を読まずに授業中でも冗談を言い、頻繁に先生に叱られている。そんなアッキーのことを、わだっちがナイーブと評するとは意外だった。


「アッキーの分、部屋の盛り上げ役頼むぜ。でんちゃん」

「え、俺? 俺は単なる陰キャだぞ」

「新田王国の話が聞きたいんだよう……」


 ぶんちゃんが絡んでくる。


「だから、その王国ってのはなんなんだよ」

「委員長と童子山さんだけにとどまらず、最近では比延さんや箸荷さんとも楽しそうに話しているんだよう。より取り見取りの王様なんだよう」

「同じ部活なんだから仕方ないだろ」


 全員オルタナティ部のメンバーだ。言い換えれば、俺はそれ以外の女子生徒とまともに会話したことさえない。

 中学時代のチャラそうな俺ならともかく、今は陰キャ眼鏡野郎として過ごしているのだ。


「着替え終わったら、外の広場に集合。ほら、もたもたしない」


 なごさんが手を二回たたき、駄弁だべっている俺たちをかす。ぶんちゃんの話に困っていたが、結果的に副委員長に助けられた。


     ☆★☆★☆


 校長がこの世界の管理者であることは、言うまでもなく把握している。だが、直接話したことはなく警戒を怠っていた。


 宿泊棟から戻り、一、二年生全員が外の広場に集まっての喜多垣きたがき夜澄よすみ校長先生の挨拶。出だしはいつも通り――おそらくこういう場で、合宿の初っぱなにいかにも学校長が話そうな内容――それそのものだった。


 「高校生としての自覚」といった、お決まりの話に差し掛かった時、突然それは始まった。


『ああそうだ自覚。自覚ね。転移の自覚のあるみんなに、呼び掛けておかないとね』


 校長が話している最中、まったく同じ校長の声が、もっとくだけた話し方の校長の声が、テレパシーのように頭の中に直接流れ込んできた。


 校長の隣に立っている玻璃先生は狼狽うろたえた様子で、首を大きく振って辺りを見回した後、校長の方をにらみ付けた。


「曽我井先生、どうしました? 何かありました?」

『玻璃さん、普通にしててね。目立っちゃまずいわよ』


 二つの声が――一つは目の前の校長から発せられた音、もう一つは頭の中に入り込んでくるメッセージ――混在し、何人かの生徒は動揺のあまり、バランスを崩してよろめいた。


 俺たちは――ひとやるるは、脳内に語りかけられる感覚に対して、日頃のチーさんとの会話で慣れている。


『校長として話している私は適当な話をしているだけだから、そっちは聞かなくていい。この声だけに集中してください。喜多垣夜澄校長ではなく、管理者オペレーター・ヨスミの声に』


 若く穏やかな校長の声とは違い、管理者オペレーター・ヨスミの声にはいかめしいものを感じる。俺の前に立っていたひとが後ろを向いて目を合わせ、互いに軽くうなずき合った。


『みんなに正体を明かすのはこれが初めてだから、まずは初めまして。私はこの世界の管理者オペレーターのうちの一人です。管理者オペレーターという存在を知っている者も、知らない者にも転移者ならば私の声は届いているはず。最初に言っておくけど、私はあなたたちの敵ではないわ。味方。だからまず信頼関係を形成しなければならない。今は二年生の転移者たちと曽我井先生に協力してもらって、校内にいる残りの、主に一年生の転移者の数を把握しようとしているんだけど、野良……失礼、まだ報告が上がって来ていない、勝手に隠蔽している……いえ、抱え込んでいる生徒がいるはずなの。だからそれをあぶり出し……いえ、私は安全だから、安心して名乗り出て頂戴ってこと』


 言葉の端々に、情け容赦ない冷酷な印象を受ける。ていうか、ヨスミこええ……。心の中まで読まれたりしねえだろうな。


『もしひとりでいるのが不安だったら、保健室の曽我井先生か、あとは二年の市島さん、関所せきしょくん、どっちか信用できる方に相談してみるといいかもね』


 関所さん……って誰だ? どっちか信用できる方という言い方は、市島部長とその関所さんが対立関係にあることを示している? 関所さんもまた、オルタナティ部のようなグループを率いているのだろうか。


「長くなりましたね。ではこれで、私からの挨拶は終わりです。匣庭はこにわ高生としての自覚を持って、楽しい三日間を過ごしてください」

『じゃあ、私の方の話もこれで終わり。これから苦難だらけだと思うけど、転移者としての自覚を持って、レッツエンジョイ!』


 ふたりのヨスミの話が終わると同時に、俺が小さな声で「いやできるかぁ!」とツッコミを入れると、ひとが笑い声を押し殺して肩を震わせていた。


 かくして合宿一日目は、転移者にとって不穏な空気のままスタートした。これから何が起こるのか、俺にはまだ何も見通せていなかったが、こんなことは嵐の前触れに過ぎなかったのだ。


 たぶん、な。


(了)

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匣庭高校オルタナティ部 水本グミ @mizumotogumi

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