第30話

「ものはまあ、女の子の気持ちとかまるで考えられない人だから……」

「物朗くんの恋愛観は、ラブコメ漫画の中にしかないからな……」


 ひとるるコンビに盛大にディスられている気がするが、気にしない。あと、その漫画を貸してくれたのはるる、お前だろ。


「もっと、二人の会話の手助けができていればよかったの……。あちきのようなモブキャラは影に徹して、主役二人の物語が円滑に進むよう絶妙なタイミングで相槌あいづちを打って、二人が快適でいられることだけを考えて、目立たず、邪魔せず、ちょっとした溝を埋めるだけの存在でいないといけないの。なのに……。やっぱりあちきには二人の近くにいる資格なんてないんだ……。本当に役立たずだ」


 卑屈すぎるほど卑屈な物言いだ。俺は比延さんの態度に、だんだんと腹が立ってきた。

 そこまで自分をおとしめる必要があるか? なくないか?

 まるで柏尾くんと蒲江さんが、彼女にそういう役割を押しつけているみたいじゃないか。

 だいたい彼女がここまで考えていることに、本当に二人とも気づいていないのだろうか。


「あのさ。そんな役目、柏尾くんも蒲江さんも望んでないと思うぞ」

「そ、そんなわけないでござる! あちきにとって二人は、憧れの推しカップルでしかないのでござる! あちきは遠巻きに観察しているだけのファンでしかないのでござるよ!」


 比延さんは慌てたように、両手を振りながら必死に否定した。

 だけど――そうなのか? 少なくとも、今の三人の関係性はそんなものではないはずだ。


「あのね、比延さん。あたしは自分の幼馴染なじみが、友達がそんな風に考えていたら悲しいな」


 ひとが優しい声で語りかけた。


「友達同士なら、誰かが特別で誰かがその影に隠れるべきなんて、そんなことはないよ。もしあたしの幼馴染なじみが自分のことをそんな価値がないように思っていたら、あたしはとても悲しいし、自分が何か間違ったことをしたんじゃないかって不安になる」

「ぐふう……」

「柏尾くんや蒲江さんも、きっと同じだと思うよ」


 そうだな――二人は決して、自分を推してくれる人が欲しくて比延さんと一緒にいるわけじゃない。


 比延さんはこの世界の記憶が欠落しているから、この世界の自分が本来の自分ではないように感じてしまっているのだろう。だが実際は、彼女以外の比延さんなどどこにも存在しない。どの世界でも彼女は比延叶実という、決して代替えのきかない存在なのだ。

 だから――彼女は彼女のまま、柏尾くんと蒲江さんの幼馴染なじみで、友達でいるべきなのだ。


 アッオー! という変な鳴き声のような音が響き、比延さんは慌ててスマホを取り出し、画面を確認している。何の着信音だよ、それ。


「あ……七海から……。ものすごく長いメッセージが来てる。読むの怖いから、委員長……先に見てくれる?」


 そう言って比延さんは画面から視線をらしたまま、ひとにスマホを差し出した。ひとは真剣なまな差しで画面を見つめ、慎重に指を滑らせながら蒲江さんからのメッセージを読んでいる。


「大丈夫だよ。比延さんに謝りたいって。最近不安定な気持ちになっていて、比延さんに甘えてしまっていたって。あとはずっと謝ってる」


 ひとの言葉に安堵あんどしたのか、比延さんは自分の目でメッセージを確認し始めた。そして読み終えると大きく息を吐き出した。


「あちき、行ってくる」


 そう言って、比延さんは小走りで部室を出て行った。


「大丈夫かな……比延さん」

「大丈夫だよ、きっと。蒲江さん、よっぽど比延さんのことが大切みたい。文章から比延さんラブが伝わってきてたよ」


 心配そうなるるに対して、ひとが微笑ほほえむ。

 さあ、ここは俺のセリフだよな。俺が調子に乗って何か言う。ひととるるが俺を下げるようなことを言って落とす。

 このパターンだよな。


「お前らの俺に対するラブも、いつも伝わってきてるぜ」


 さあ。あきれてくれ。

 ひとはまず――そうだな。「もの、悪いものでも食べたの?」ぐらいかな。あまりキツいことは言えない性格だからな。

 続いてるる――「物朗くんは平気で落ちてるものを拾って食べるからな」とか、そんな感じだ。いいぞ、もっと強い言葉でもいい。

 それで、ちゃんちゃんだ。


 けれど。俺の期待もむなしく、ひととるるはお互い顔を見合わせてから、怒ったようにこう言った。


「当たり前でしょ!」


 ああ――そのパターンはない。

 二人の予想外の返答に、俺はどう反応していいかわからず固まってしまった。

 こんなシナリオは頭になかった。想像もできない。


 なんなん。なんなん。これ。


 俺の知ってるひとは、そんなこと言わない。

 俺の知ってるるるは、そんなこと言わない。

 俺の幼馴染なじみは、そんなこと言わない。

 俺の知っている世界では、そんなこと言わない。


 なんなん。なんなんなんなん。


 体が右に、左に、傾いては戻り、傾いては戻り、次第にゆっくりと揺らぎ始め、四肢から力が抜けていく。

 視界がシャッターのように徐々に閉じ始め、光が少しずつ遮られていく。

 周囲の音が遠ざかり、ひととるるの声が水の底から聞こえてくるようにひずんでいく。

 最後に目に焼きついたのは、俺に駆け寄るひととるるの必死の形相だった。


 世界は闇に閉ざされた。


(了)

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