第12話 恐ろしい噂
町の朝は、村とはまるで違う活気に包まれていた。露店が立ち並ぶ通りでは、行商人や旅人が行き交い、威勢の良い呼び声と人々のざわめきが絶えない。かつて一人きりで旅を続けていた頃の俺ならば、こうした雑踏にも煩わしさしか感じなかったはずだ。
だが、今は違う。
「すごいね、アレン! ほら、あっちに面白そうなお店があるよ」
シーナが子供のようにはしゃぎながら、あちらこちらを覗き込む。祭りのような喧騒に目を輝かせて、時折、興味深げに露店の商品を手に取っては「こんなものまであるんだね」と感心している。
「食べ物から道具まで、いろいろ揃ってるな。ここなら必要な物も大抵手に入りそうだ」
俺は周囲の様子を警戒しつつも、どこか新鮮な気持ちでこの町の朝を眺めていた。何度も転生を繰り返し、似たような風景を見ているはずなのに、シーナと一緒だとまた違った印象を抱かせるのが不思議だ。
「ねえ、アレン。昨日はゆっくり休めた?」
シーナが立ち止まり、俺の顔をのぞき込む。彼女の表情には優しい気遣いが滲んでいた。
「おかげさまでな。宿のベッドは意外に快適だった」
俺は軽く肩をすくめながら答えた。実際、一人旅ならテントや野宿が当たり前だったし、まともな宿に泊まること自体が久しぶりだ。
「そっか、良かった。今日はどうする? 情報を集めるんでしょ?」
「ああ。ここにはいろんな旅人が集まるし、冒険者や行商人も多いだろう。誰か面白い話を持っていそうな人間を探してみよう」
俺がそう言うと、シーナはこくりと頷いた。
「私も手伝うよ。あなた一人にばかり任せたくないもの」
彼女の健気さに、思わず微かな笑みがこぼれる。
(この世界で、俺にこうして寄り添ってくれる存在がいるなんてな……)
心の底で、わずかな温かさを感じながら、俺はシーナと共に雑踏へと足を踏み入れた。
俺たちは町の大通りを抜け、少し裏手にある酒場へと向かった。朝早い時間にもかかわらず、そこには既に数人の冒険者や行商人が酒を片手に情報を交換し合っている。
「ここなら有力な話が集まりやすい。行ってみるぞ、シーナ」
彼女は緊張した面持ちで頷く。酒場に足を踏み入れると、独特の酒の匂いと男たちの低い笑い声が満ちていた。
俺は空いている席を見つけ、シーナと腰を下ろす。店主らしき男が「あんたら、何にする?」と慣れた口調で尋ねてきたので、簡単な食事と飲み物を注文した。
「ここって、冒険者や行商人がよく立ち寄るんですか?」
シーナが興味深そうに店主に尋ねる。店主は皿を拭きながら口を開いた。
「おう、ここは街道沿いの情報が集まる場所だ。仕事や依頼、それに物騒な噂話まで、探せばなんでも転がってるぜ」
「物騒な噂話、か……」
俺の脳裏に、盗賊に襲われた村の記憶が蘇る。魔物や盗賊以外にも、この世界には数え切れないほどの脅威が存在している。いずれ大きな戦いに巻き込まれることも、そう遠くはないだろう。
食事を終えて席を立とうとした時、俺は背後から奇妙な視線を感じた。振り返ると、一人の男がじっとこちらを見つめているのが目に入る。
「……何か用か?」
俺が声をかけると、その男はニヤリと笑みを浮かべて立ち上がり、こちらに近づいてきた。年齢は三十代前半ほど、痩せ気味だが鋭い目つきをしている。
「いや、あんたら、ちょっと珍しい雰囲気を持ってるなと思ってな。それで、もし興味があったらだが……面白い話を教えてやってもいい」
鼻につく軽薄さをまといつつも、どこか情報屋のような匂いがする。俺は少しだけ身構えたが、シーナがそっと袖を引いて小声で囁く。
「アレン、話だけでも聞いてみない?」
彼女の言うとおり、情報を集めるのも目的の一つだ。俺は男に目で促すように合図する。
「いいだろう。話を聞かせてくれ」
男はにやりと笑い、カウンターに腰掛けるよう手招きした。
「この先の国境付近で、ちょっと大きな事件があったらしくてな。帝国軍の一部隊が魔物の群れと衝突したとか……ま、詳しいことは金を払ってくれりゃ教えてやるぜ」
出たな、金目当て。俺は軽く舌打ちしそうになるが、ここで高圧的に出れば情報を逃すかもしれない。
「少し考えさせてくれ。必要なら、後で話を聞く」
そう言って俺は男の横を通り過ぎ、シーナを連れて店を出た。男は「いつでもいいぜ、待ってるからよ」と背後で声を投げかけてくる。
(帝国軍……魔物との衝突か)
俺は心の中でその言葉を反芻する。いずれ帝国との因縁が生まれることは、これまでの転生でなんとなく察していた。だが、それがいつどんな形でやってくるかは分からない。
「どうする? あの人から詳しい話を聞くの?」
シーナが俺の顔を覗き込む。俺は小さく頷いた。
「話を聞くこと自体は悪くない。だが、奴がどれほど信用できるかは分からないし、情報料も必要になるだろう。まずは金策と、少し自力で噂を集めるか……」
そう言って俺は町の通りを見渡す。人々が活発に行き交い、それぞれの営みを持っている。ここで数日かけて情報を整理し、場合によっては帝国領や魔族の情報にも手を伸ばすことができるだろう。
同時に、シーナを守りながらこの世界を渡るという、新しい目的も芽生えている。
(今度は、ただ強いスキルを探すだけの旅じゃない……)
俺は口元に微かな笑みを浮かべながら、シーナと肩を並べて歩き出した。高く青い空の下、この先何が待ち受けているのかはまだ分からない。けれど、一人ではないという事実が、俺の背中を確かに押していた。
町の賑わう朝を堪能した後、俺たちはあちこち歩き回り、さらに情報を探っていた。露店や宿の主人、行商人などから耳にした噂は断片的で、まだ核心には遠い。
「あの情報屋の男に金を払ってでも、詳しく聞いたほうがいいんじゃない?」
シーナが提案してくる。街道沿いでの帝国軍と魔物の衝突は、どうやら本当にあったらしい。被害の規模や今後の動向は、あまり表に出ていないらしいが、すでに物騒な噂だけは広がっている。
「金を払うなら、確実に有益な情報が欲しい。だからこそ、もう少し様子を……」
そう言いかけた時、遠くから悲鳴に似た声が響いた。
「……なんだ?」
人々のざわめきが大通りを駆け抜ける。俺はシーナの手を引きながら急いで声の方へ向かった。
町の外れ、門の近くで集まっている人々の輪の中に、旅装をした男が一人、息も絶え絶えに倒れ込んでいた。
「あいつ……どこかで見たような……」
人垣をかきわけ、間近に行くと、そこには先ほどの情報屋が血まみれでうずくまっている姿があった。彼の服には何か鋭いもので斬られたような傷があり、赤黒い血が滲んでいる。
「おい、大丈夫か?」
俺が問いかけると、情報屋は苦しげに顔を上げ、うわ言のように小さく呟く。
「……帝国……魔物……破滅が、来る……」
その断片的な言葉に、人々が一斉にざわめき出す。
「どういうことだ? 帝国と魔物の衝突は聞いたけど……そんな大事なのか?」
「情報が正しければ、あっちの方ではとんでもない化け物が出現したって噂もあるぞ……」
周囲から不穏な噂が飛び交う中、情報屋はかすれ声を振り絞るように言った。
「……あんたら……聞くだけでいい……あの化け物は……人知を超えた……ああ、くそ……」
そのまま情報屋の意識は遠のいた。慌てた周囲の人間が駆け寄り、手当てを試みる。シーナが心配そうに彼に近づき、小さく叫んだ。
「しっかりして、まだ息はあるわ!」
俺は唇を噛み締めた。ほんの少し前に俺たちに接触しようとしていた男が、こんな有様で倒れ込んでいる。まるで口封じでもされたようだ。
「これは……ただ事じゃなさそうだな」
シーナが不安そうに顔を上げ、俺を見つめる。その瞳に映る恐怖を、俺は痛いほどに感じ取った。
「大丈夫だ。まずは彼を治療して、話を聞こう。すべてはそれからだ」
言葉では落ち着いているように見えても、胸の奥には不穏な重苦しさが広がっていた。
(もし帝国が魔物と本格的に衝突しているとしたら、この町にも影響は及ぶはず……いずれ、俺たちも巻き込まれるかもしれない)
ざわめく人だかりの中心で、情報屋の男が虫の息で横たわり、俺たちは動揺を隠せなかった。まるで、世界の歪みが次第にこちらへ迫ってきているかのようだった。
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