2 これが現実

 夫の浮気が発覚した翌日。

 昨日の出来事が夢なのかもしれないと思えるくらい、私は普通に朝を迎えていた。


 天気は快晴、気分も案外爽快かな。


 ベッドから起き上がろうとすると、両サイドに愛しい我が子たちがいることに気づいた。今までになく、泣きじゃくったこともあってか、瞼が腫れているように見えた。


 母親である私がしっかりしないと!


 そう意気込んだものの、室内には夫の私物がいくつも残されている。衣服に書籍、趣味で集めていた数々のフィギア……。まずはこれらの思い出と化す品をどうにかしなければ、と私は思考を巡らせた。


 処分するより、売れる物は質に入れるか……。って言っても、物が多すぎる……。


 品定めをしようと行動を開始したが、時計の針が子どもたちの起床時間に近づいていたため、一旦中断するこにした。


「なっちゃん、はーちゃん」


 私の呼びかけに……反応はない。

 いつも一度では目を覚まさないことはわかっていた。ましてや、昨晩は泣き疲れてそのまま寝てしまったくらいだ。


 実家でお風呂に入れといて正解だったかも。


 そんなことを思いながら、私は丸まって寝ている子どもたちの背中を揺すった。


「なっちゃん、はーちゃん、朝だよ。そろそろ起っきしないと、保育園に遅れちゃうよ」

「……う~~ん」

「……ママぁ」


 私の宝物たちが目を覚ます。

 この子たちさえいれば、もう大丈夫。

 

「はいはい、ママはここにいるよ」


 寝起きの子どもたちは、起きている時以上に甘えただ。

 まだ眠たいのか、一向に瞼を開けない子どもたちを両腕で抱きかかえ、洗面台へと向かう。お湯で温めたタオルを人肌程度に冷まし、子どもたちの顔を拭いたところでようやく目が開く。ただいつもの様子と違うのは、瞼の周りに赤みを帯び、ぽてっとしているところだろうか……。


「はーちゃん。ママ、なっちゃんのお顔ふきふきするから、先にお着替えできる?」

「……うん」


 目をこすりながら洗面台を出る葉月に声をかけながら、葉月にしたように今度は夏希の顔を温タオルで拭いた。


「……ママぁ……パパがいない……ゔぅ……うぅ」


 葉月が今にも泣きそうな表情で洗面台へと戻って来るなり、夏希もつられて泣きそうになっていた。


 双子の共鳴……。このまま泣かれると大変っ……。


「はーちゃん、パパがいなくても1人で何でもできるって言ってなかった?ママ、はーちゃんは強い子だと思うんだけどなぁ」

「……うん。はーちゃん、ひとりでできるもん!」

「よし、いい子いい子」


 姉である葉月は、とりわけ聞き分けが良い子だ。一方、弟の夏希は、誰に似たのか甘えた体質で少しばかり頑固……。起きて行動を開始するまでに、少々時間がかかる面は私に似ている気がする。


「なっちゃん、お目々パッチしてよ」

「……うぅ〜ん」


 顔を拭き終わっても一向に目を開けない。


「……ふぅ」


 一呼吸置き、私は夏希を抱きかかえリビングへと向かった。タンスから双子の服を出していると、葉月と夏希がソファに座ろうとしていた。


「はーちゃん!なっちゃん!ちょっとこっちにおいで」

「なぁにぃ」


 得体の知れない女が寝転がっていたソファに、私の宝物が座るなんて……許せない。一刻も早く、あのソファは処分しないと……。


 そんな思惑を我が子に話せるわけもなく、私は葉月と夏希がソファに座らないよう何かと理由つけ、ようやく2人を保育園へと送り出すことできた。


 さて……、何から始めようかな。


 腰に手をあて、そんなことを考えていると、着信を知らせる音楽が室内に流れた。机に置いていたスマホ画面に映る着信相手を見て、私はため息しか出なかった。スマホをスワイプし、耳にあてる。


「……もし」

「真さんっ!良かったぁ、電話に出てくれて。……子どもたちは、もう保育園に行ってる時間よね?だったら、今お話しても大丈夫かしら」


 まだこっちは何も言ってない……。一方的にかつ、強引に話を進めようとする所はよく似ている。さすがは……親子。


「……お義母かあさん、おはようございます。お久しぶりです。お身体はいかがですか?」

「えぇ、お陰様で変わりなく過ごしているわ。それより、悠馬から聞いたのですが、貴女どういうおつもり?」


 どうもこうも……、お宅の息子さんから話を聞いてないんかぁい。まぁ、事細かくなんて話さないか……。


「悠馬さんからは、どういう風に話を聞かれているのですか?」

「話し合えないまま家を追い出された、と聞きましてよ。挙げ句、鍵まで取り上げられたと言ってました」


 あぁやっぱり、詳細は伏せているんだ……。にしても、こんな言い方だったら私が悪い、みたいな印象になるじゃない!そんなの絶対にイヤっ!


「確かに昨晩、私は悠馬さんを家から追い出しました。その理由はお聞きになられていないのですか?」

「……えぇ、特になにも聞いてないわ」


 都合の悪いことは言わず、助けだけを求めるなんて……。


 私は、昨晩のことを事細かく義母へ話した。時折息をのんで驚くようなリアクションが、電話越しでも伝わってきた。


「……あの子、そんな事なにも言わなかったわ……。なんてことっ」


 それがお義母さんの息子さんですよぉ。


 と言いたかったが、状況を理解してもらえるだけでも良いか、との思いで続けた。


「悠馬さんは今、そちらにおられるのですか?」

「えぇそうよ。昨晩遅くに来て、今朝はここから職場に向かったわ」

「そうですか」


 ……あんな状況でも仕事に行けるんだ。メンタル強っ。


 しばらく電話で話をした後、義母は私に言った。


「真さんは……大丈夫?」


 普通のか弱い女性であれば、夫の浮気を目の当たりにした後、心身ともに傷つき優しい言葉をかけてもらうだけで涙を流すのかもしれない。だけど……私はそんなやわな女じゃないし、めそめそもしてられないのよ!


「お義母様のご心配には及びません。お気遣いいただきありがとうございます」

「……私にできることがあれば、何でも言ってくださいね」


 追い出した夫の母に頼ることなんて何もないし、そっちだって頼って欲しくないでしょうが……。まぁでも、こうやって連絡をしてくれるだけでもマシか……。


「わざわざ連絡、ありがとうござました」

「えぇ、ではまた」


 電話を切った途端、どっと疲れが出てきた。


 ここは……家族の中でもひと際話しやすい、我が兄にでも聞いてもらうか。


 と意気込み電話を鳴らすも、ツーツー、と音が聞こえ、あいにくの通話中だった。


「どーしたものかなぁ……。保育園のお迎えまでに、ソファはどうにかしたい」


 リビングの椅子に腰かけ、淹れ立てのコーヒーを飲みながらスマホで新しいソファの検索をしてみた。すると、比較的安値で販売している日用雑貨を扱う店を見つけた。しかも、古いソファは引き取ってリサイクルまでしてくれるらしい。


 これいいじゃん!

 

 私は急いでコーヒーを飲み終え、出掛ける準備をした後、車へと乗り込んだ。車を走らせること数十分で目的地に到着。様々な家具が展示販売されており、私は目移りしながらも、これまでにない楽しさを感じていた。


 こんなにゆっくり物を見て回って買い物するなんて、いつぶりかしら。


 物珍しさを感じながらも、自宅にあるソファと似ているものを選び、夕方には配送と引き上げが可能であると確認した。送料やリサイクル代の出費はやや痛手ではあるが、これできれいさっぱり無くなるのであれば良いだろう、との思いで買い物を終えた。




「ママぁ~、ただいま~」

「なっちゃんも、たぁいましたよぉ」


 夕暮れ時、玄関から愛しい我が子たちの声が聞こえた。

 2人が通園する保育園は夜間部もあるが、今のところ夕方までしか利用はしていない。


 この先、私が働くことになれば、夜間部も考えないといけないかもな……。


 と、考えながらも、今は我が子との時間を有意義に過ごそうと思い、2人を笑顔で出迎えた。

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