第18話 永遠

◇◆◇




その日の夜。時刻は二十三時過ぎ。


「眠れん……」


ベッド上で寝返りを打ちながら、虚空に呟く。

やはりレルンさんと水島二人の事を考えてしまう。それだけじゃない。那奈美の講堂での発言についてもだ。結局あれからも彼女は部屋から出て来ず、そのまま夜を迎えてしまった。


永遠の命。そんなものを俺に与えてどうするつもりなんだ。

俺が釘を刺しておけば、取り敢えず不穏な行動は取らないだろうが……油断は出来ない。


明日からは講義も始まる。現時点で俺らに対するホムンクルス達の評価はかなり危ういが、何とか打ち解けて素敵な大学生活を……


『せいぜい化物共とのキャンパスライフを楽しむといい』


突然、水島の言葉がフラッシュバックし、飛び起きる。苛立ちと悲哀が綯い交ぜになり、柔らかいシーツに拳を振り下ろしていた。


「クソッ……!好き勝手言いやがって!!」


だが、いちいち腹を立てていたらアイツの思うツボ。研究者を志す者であれば反論に憤るのではなく、覆す為に頭を回すべきだ。それを叶えるには何より……睡眠である。


と、深呼吸をして再度シーツに体を潜らせた所で、ドアの向こうから小さなノックが聞こえた。



「……誰だ?」


「あっ………哉太?……少し、いいかな……」


「な、那奈美!?……あぁ。今開けるから待っててくれ」



今朝とは真逆と言えるほど神妙な声色だった。取り敢えずベッドを抜けて歩み寄り、ドアの鍵へと手を掛ける。


ゆっくり扉を開けると……黒ジャージ姿の那奈美が、俯きながら立っていた。



「ど、どうした……?」


「入って……いい?眠れなくて」


「あぁ、別に……いいけど……」



いつもの内耳まで破壊し兼ねないテンションは何処にいったのか。入室を促すと、彼女は首を一度こくりと落とした後、虚ろな足取りで部屋に入って来た。


……だが、何故か向かう先は俺のベッドで、さも当然かの如くシーツに身体を入れ込んでいる。



「いやいやいや、何してるの那奈美さん」


「……哉太も入って」


「いやいやいやいや、何言ってるの那奈美さん」



流石にその要求は聞き入れられないので、ベッドの傍らにある簡易的な椅子に腰かけた。



「何してるの哉太。布団に入って。………入らないと消すよ、西日本」


「ここ東日本なのに………!?」



那奈美であればギリッッッギリで実現してしまいそうな脅迫に負け………俺はおそるおそるベッドへと登り、彼女から出来るだけ遠くの端の方へ腰を落した。



「照れてるの?………もっと近くに来てよ」


「いや……流石にこれ以上はちょっと……」


「西がどうなってもいいの?与那国島まで沈めるよ」


「見方によっては最西端じゃねぇか………わ、分かったよ」


与那国には何の所縁も無いが、俺が少し彼女に寄れば何の罪も無い国民は助かる。

謎の責任感を以って、再びおそるおそる彼女の方へと身を寄せ、シーツに少しだけ体を入れた。



「………近いね」


「そりゃ……そうだろ、寄ったんだから……」



何なんだいきなりこの状況は。………ていうかそもそも、那奈美と出会ったあの日いきなり抱き着かれた時も爆裂するくらい心臓が跳ねていたのに、こんな同じ空間で近い距離となると……爆裂とまではいかなくとも炸裂くらいはしそうだった。



「やっぱり、意識はしてくれるんだ。ホムンクルスでも」


「か、からかってんのか?……って………うぉっ……」



突然、横から那奈美が飛びこんでくる。反射的に受け止めてしまった結果……腕を自然と彼女の背中側へと回してしまっていた。



「わっ、大胆だね」


「ちがっ……!!ビビって、つい……」


「ねぇ哉太、分かってる?」


「………な、何がだよ?」


「今この部屋に居て、哉太に抱き着いてるのは、世界一哉太の事が大好きで……哉太の事を本気で自分のものにしたいホムンクルスだって事」


「ぐっ………んな……なっ……」


「テンプレートなラブコメヒロインみたいに、なんだかんだで一線は超えないなんて……思わない方がいいよ。私は、最短距離で哉太と結ばれたいの」



そう言って、徐に俺の右手を掴んで引き上げる。……もう頭の中は何が何だか分からなくなっていた。



「お、おい……なに考えて……」


「ねぇ哉太。


「は、はぁ!?」


「とぼけなくていい。………しても、いいよ」



いつしか赤面していた彼女の表情を見て、そしてその言葉の意味について思考した結果、ついに脳が沸騰した。


荒れ狂う呼吸と鼓動を、辛うじて残っている理性が決死の想いで抑え込んでいる状況だった。



「だ………だぁあああぁ!!!何言ってんだ那奈美!!……も、もう出てってくれ!!」


ベッドから飛び起きて降りようとする。しかし後ろから腕を掴まれ、ギリギリと身を引かれてしまう。


「やだ。絶対する」


「ぐっっ……力強っ……!!」



情けなくも非力な俺の腕は逆らえず……どんどんと彼女の身体へと引き寄せられていく。



「お、おい那奈美!!やめろ!!!こんな事……!」


「……怖がらなくていいよ。ほら哉太」


「や………やめろおおおぉぉお!!」



最後の理性を振り絞った俺の慟哭は、夜の静寂へと呑まれていくのだった。











「はわぁあ~~~………!!きもちぃ……最高ぉ………」


「…………」



………夜。時刻は二十三時十分頃。


先程、魂ごと燃やし尽くす勢いで理性を振り翳した俺の汗だくな身体、もとい右手は今……椅子に座る那奈美の頭頂部にて、一定のリズムで左右に揺れていた。



「あっ……やば……最高過ぎる……」


「那奈美………。これって……」


「えっ?………あっ……頭……撫でられるのって………ん……最上級の……愛情表現なんでしょ……?」


「………」


「だからずっと私……哉太にしてもらうの……夢だったんだぁ……あぁ~~やば……白目剥きそう……」



……無知とは、ここまで人を躍らせるものなのか。


これでは完全に俺一人だけ勘違い変態男エンドじゃないか。


だが、彼女の知識の乏しさ故に無用な過ちを犯さずに済んだ。……いや、乏しくなくても誤らなかったんですが。絶対に。



「ほらもっと撫でて哉太ぁ。手の表皮から遺伝情報スキャンすると子供出来るんでしょ?」


「そんなタッチ決済みたいなプロセスで出来てたまるか!!」


無知どころか、とんでもない解釈してやがる。

一体どこでこんな歪曲した知識を……

取り敢えず、今の所はそういう事にしておいて無難にやり過ごそう。


「わ………んぐ………ぅ……わはぁぁ……!!」


「変な声を出すな!頭撫でたくらいで……」


「な……撫でたで!!?……もしかして他の女の頭撫でた事あるの哉太……」


「あるわけないだろ!!」


「っていうか、昼間から会わないうちに……埜乃華と、もう知らない女の匂いするんだけど」


八雲とレルンさんと……水島の事か?どんな嗅覚してるんだ……


「こないだの東雲って子と、同じ討究学部のホムンクルスの子、あとは……同期の研究員だよ」


「んなっ!!知らない間にもう女侍らせてる!!?………くっ……明日にでもそいつらの頭皮剥がして……塩酸に付けなきゃ……」


「スプラッター映画でも出てこない文字列を出すな!!ただ知り合っただけだから……!」


………相変わらずの発言をあしらい、許しが出るまで頭部を撫で続ける。


はじめはいちいち変な声をだしていた那奈美だったが、いつしか口数が減っていき……最終的には俺を含め、無言になった。


寝ている様子はない。だが妙に静々とした雰囲気を醸しつつ、まるで探るような声色で、那奈美が口を開く。



「哉太。昼間はごめんね。いきなりあんなこと言っちゃって……」



考えずとも分かる。

”全てのホムンクルスを消して、コアを奪う”。あの発言についてだ。



「………いつから、そんな事考えてたんだ?そもそもコアを奪って永遠の命が手に入るなんて話、何処で……」


引き続き撫でながら、会話を紡ぐ。


「聞かなくたって、身体で分かる。ホムンクルスの底知れない力を人間に移せれば、永遠の命なんて簡単に手に入るって」


研究が始まって、まだ五十年あまり。その間、寿命を迎えて世を去ったホムンクルスは一人として公表されていない。憶測は飛び交っているが、病も老化も無い彼らの寿命は現状、半永久的と考えられている。


だからこそ、魅入られた研究者達は禁忌に手を出してしまうのだろう。


「どうして、お前はそんなものを俺に……」


「哉太と一緒に居られる時間は限られてる!!それを一秒でも伸ばしたいからに決まってるでしょ!!?」


問いかけた俺を振り返り、彼女は声を張り上げた。思わず撫でていた手を止めてしまう。


理屈と詭弁が頭を這い回るが、それらを捨て去るように首を振る。

腰を屈めて、視線を那奈美の高さまで下げた。


「……正直に言って、嬉しいよ。そこまで俺の事を想ってくれて」


「それなら……!!」


「でも、だったら分かるだろ。俺がそんな事を望んでないって」


唇を噛み締め、那奈美は視線を逸らす。そのまま言葉を続けた。


「死を恐れてない訳じゃない。お前とずっと一緒にいたくないって訳じゃない。……でも、弱くて儚くてどうしようもない俺達人間は、先に死があるからこそ本気で何かに打ち込める。時間に限りがあるからこそ、誰かに本気で向き合える」


「………」


「俺も、お前と本気で向き合いたい。だから……このままでいいんだ。那奈美」


薄暗い空間に、沈黙が続く。彼女は俺に視線を向けたまま、悲痛に苦しむ様に顔を歪ませている。


「………私だって、弱いし、儚いし、どうしようも……ないよ」


突然立ち上がった那奈美は、そのまま逃げる様に扉に向かう。


「お、おい……!」


「哉太が言うなら、今の所は何もしない。でも私……諦めてないから」


俺の制止を振り切って、彼女は部屋を去ってしまった。


取り残され、沈黙がより一層鋭く体に突き刺さる。

気の抜けた様にベッドに腰掛け、項垂れた。


「那奈美……」


彼女の意志は途方も無く固い。それだけは分かる。

これから始まるキャンパスライフに於いて、その意志が常に俺の前に立ちはだかるだろう。


考えなければならない問題は山積み。


だが何より俺は……彼女から永遠の命を授けられないよう、細心の注意を払う必要があるのだ。



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