全にして一なる梅

 ある所に梅干しが大好きな男が居た。

 男は毎日の食事に梅干しを入れるほどにそれが大好きで、自らも最高の梅干を作るべく日々の研究に励んでいた。しかし、どれだけの時間を費やしても男が認める梅干しはできなかった。


 ある時、男は町で美味しい梅干しがあるという店の噂を聞いた。男はすぐにそこへ行って梅干しご飯を頼んで一口食べてみる。


「これは美味い! 今までで一番美味い梅干しだ!!」


 男は遂に求めていた梅干しを見つけて大喜びだった。それから店主にどんな梅干しを使っているのか問い質す。店主は最初には口を閉じていたが、男のしつこさに根負けして話し始めた。


「この梅干しはとある山の山頂にある梅の木から作られています。その木は神様が育てていて、そこで作られる梅干しは神様しか食べられません。しかし私は神様と約束してその梅干しを分けてもらっているのです」


 話を聞いた男は半分疑っていた。そんな迷信のような話があるものか、きっと秘密の製法があるのだろうと。男は更に詰め寄ろうかと思ったが、一応店主の話も確認しておくべきと考え直す。


「なるほど。では俺がそこへ行って神様に分けてくれるか交渉してみよう。その山を教えてくれ」


 男は店主からその山の場所を聞くと、そのまま山へ向かって行くのだった。


 半日かけて山を登った男は遂に山頂に立つ立派な梅の木を見つける。男は本当に見つかったことに驚きつつも、その梅の木から実を取って見ようと手を伸ばす。


「待ちなさい」


 突然声がしたので男は驚いて振り向いた。するといつの間にか背後に神様が立っていた。


「これは私が神々の宴会で提供する梅干しを作る為に植えた木です。勝手に実を持って行くことは許しません」


 神様まで現れたので、男は店主の話が本当だと信じる他なかった。


「どうかお許し下さい。私はこの世で一番おいしい梅干しを食べてみたかっただけなんです」


 男は地面に伏せて頭を下げる。神様は悪意がない事を知ると少しだけ態度を改めた。


「ふむ、この梅干しの味が分かる人間がまだ居たのか。よかろう、少し分けてやるから待っていなさい」


 神様はそう言って何処かに消えてしまう。頭を上げた男は顔には出さなかったが内心ではお喜びだった。

 少し待つと、神様は梅干しの入った壺を持って再び現れた。


「これを持って行け。人間でも食べられるようにしてある」


 神様から壺を受け取った男は丁寧にお礼を言うとすぐ家に帰って料理した。色んな料理を試してみたが、どれも今までにない絶品の味だった。


「素晴らしい! これこそ俺の求めていた梅干しだ!!」


 男はその日の内に貰った梅干しの殆どを食べてしまった。そして残りは自分でこの梅干しが作れないかと研究サンプルにした。


  ●


 それから男はより研究に力を入れた。

 しかしいくら頑張ってもあの梅干しは作れなかった。仕方なく男はまた山に登り、神様に梅干しを分けてもらうことにした。山頂では神様が梅干しを壺に詰めているところだった。


「もう食べたのか? 今は宴会に出す梅干しを作っているから少し待っていなさい」


 事情を聞いた神様は作業を止めて姿を消した。男は静かに待っていたが、やがて神様が使っていた壺のひとつが開いていることに気づく。その中には神々の宴会で出される梅干しが詰まっていた。


(そういえば、前は人間でも食べられるようにと言っていた。それではあの梅干しの本当の味はどんなものなのだろうか……)


 男はそう考えるうちに好奇心に負け、開いている壺から梅干しを何個か掠め取ってしまう。それを隠し終えたところで神様が戻ってきた。


「宴会が重なっているから量は少ないが持って行きなさい。次はゆっくり楽しむと良い」


 神様は新しい壺を男に差し出すとまた作業に戻っていく。男は礼を言ってすぐに帰って行った。


  ●


 家に帰った男はくすねた梅干しを皿に乗せる。見た目は他の梅干と変わらないが、どこか神々しいオーラを感じた。


「神が食べるという梅干し……これに勝る梅干しなど存在しないだろう」


 男は鑑賞するように梅干しを見回す。やがて食欲が高まると、男は梅干しを箸でつまむ。

 そしてゆっくりと口の中へ梅干しを運んでいった。

 口に入ると、男はどんな味がするのか期待しながら梅干しを噛んだ。


 次の瞬間、男の意識は宇宙にあった。


 男の目の前に泡のようなものが浮かび上がってくる。そこには違う宇宙の男が映っていた。自分と同じように梅干しを追求する姿もあれば、人間ではない姿もある。そこにはあらゆる次元に存在する男の姿が現れては消えていった。


 男は理解した。自分はこの時間という流れの中で消えていく一粒の砂だと。自分が長い時間をかけていた研究も、この宇宙の流れから見ればただの一瞬であると。


 男は理解した。無限の次元に存在する幾多の自分の姿に、全てはひとつであり、始まりも終わりも無いと。


 男の目の前に門が現れた。それはとても広大で、端が見えなかった。男はこの門が何かを知っていた。そして門が開くと、男はそれを潜った。


  ●


 数か月後、ぱたりと姿を見せなくなった男を心配した者たちが家を訪れると男は消えていた。しかし姿は見えないのに、彼らはここに男がいるような気配をずっと感じていた。


 一方、神々の世界では宴会が開かれていた。梅干しを作っていたあの神様は酒を飲みながら他の神と喋っている。


「いやー本当に美味いな。見た目はただの梅干しだがどうしてこんなに美味いんだ?」

「それはあの木がただの梅の木ではなく、「全にして一なる御方」の力が流れているからです。我々には美味ですが、地上の生物が口にすればその全ての流れに飲み込まれてたちまち消滅するでしょう。時々分けて欲しいと言う人間が居ますが、彼らにはその力を取り除いたものを渡しています」


 神様は育てている木について話すと、相手の神は興味深そうにそれを聞いていた。


「なるほど……そういえば少し前に「門」を潜った存在が在ったな。人間の様だったが、我々と同じ境地に達したとなれば相当の賢者だったのだろうな」


 神様たちはそう言いながらまた酒を飲み交わすのだった。

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