妖精さんはすごかったわよ

嬉野K

 妖精になりなさい。

 妖精のように生きなさい。


 それが私の母の口癖だった。


 ダンス教室。水泳教室。通っている習い事で私が失敗をするたびに、母はため息をついた。


「なんでそんな事もできないの? 妖精さんは、それくらいの年齢のときはできてたのに……」


 そんなこと知らない。私は妖精じゃない。妖精と比べられても辛いだけ。


 それでも母は私に妖精として生きることを強要する。私にとってそれは重荷で、決して届くことのない理想とのギャップを思い知らされる。


「妖精さんはすごかったわよ」母はうっとりとした口調で、「どこに行っても天才って言われて、人を魅了したの。そんな姿はまさに妖精」


 それは私も知っている。子供のおぼろげな記憶の中に、妖精の優雅な演技がこびりついている。


 母は言う。


「なのに、あなたはなんでできないの? 妖精さんは、あんなに簡単にやっていたのに?」

「だって私、妖精さんじゃないから……」


 口答えした瞬間に、右の頬に強い痛みが走った。

 平手打ちされたということはすぐにわかった。何度も経験したことだった。


「何度も言っているでしょう? 妖精さんのようにやりなさい。あの子は見たことをすぐにマネできたの。あなたもできるわよね? 妖精さんの演技を見てたんだから」


 見ていたのなんて物心がついているかも怪しい時期だ。本当におぼろげな記憶で、夢の中にいるようなあやふやなもの。


 そんなものを頼りにマネをする? できるわけがない。


 でも口答えすると殴られる。結局はやるしかないのだ。妖精のように生きることを目指すしかないのだ。


 私はダンスを再開する。しかし萎縮しながらの踊りはとても小さく、妖精の踊りとは程遠かった。


 母は大きくため息をついて、


「何度言ったらわかるの? その踊りじゃなくて、妖精の踊りを見せなさいって言ってるの」


 妖精。妖精。妖精。


 そればっかりだ。


「だから……!」私は思わず大声を張り上げた。「私は妖精じゃない……!  お母さんの理想お姉ちゃんを私に押し付けないで……!」


 幼くして亡くなった私の姉。


 姉が亡くなってから、母は私に姉の幻想を押し付ける。姉のように生きろと強要してくる。


『あの子はまるで妖精のようだった。なにをやらせても天才的だった』


 それは母の口癖みたいなもの。そして事実だ。私の姉はまさに天才と呼べる人物だった。人間ではなく妖精だと、本気で思ったこともあった。


 ……


 だが私はただの人間だ。ただの凡人だ。母の期待には応えられない。姉に追いつくことはできない。


 ……


 追いつけないことは別にいいのだ。私にとって姉は自慢の姉で、理想で天才的で、遥か遠くにいる憧れの存在。それでいい。


 だけれど……


「私を見てよ……! お母さん……」


 私は姉の代わりじゃない。私は私だ。


 私のことを私としてみてほしい。それが私の願いだった。


 だが……


「言いたいことはそれだけ? 余計なこと考えてないで、早く練習を再開しなさい」

「……余計なことって……」

「あなたは姉になることだけ考えていればいいの。妖精のことだけ考えていればいいの。それがあなたにとっての幸せなのよ」


 私にとっての幸せ……


 それは母に愛されること。母に私自身を愛してもらうこと。


 ……


 その願いが叶うことは、遠いようだ。

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