契約魔女ふたりぐらし
白里りこ
第1章 始動 - ケインジー領
第1話 エニッカ、新たなる出会い
何という陰鬱な魔女か。
以前からここの領主と契約しているというリンシーと対面したエニッカの感想は、これに尽きた。
死んだように影の濃い仏頂面。
俯きがちな目元に目立つ隈。雲に覆われた新月の夜空を思わせる黒闇の瞳は、先程から一向にこちらを見ようとしない。
顔周りを縁取る、癖の強い傷んだ長い黒髪も、暗然とした雰囲気を醸し出すのに一役買っている。
声はやたらと小さくて、こちらに聞かせる気があるのかと訝しくなる。
エニッカとしては、こいつとは仲良くなっておきたい。これからは自分もまたケインジー領の契約魔女となって、彼女と共に働き、共に暮らすのだから。
だが果たして打ち解けられるのか。甚だ怪しい。エニッカは日々を明るく愉快に生きていたいのに、今日からこんな辛気臭い奴と毎日顔を突き合わせることになるなんて。絶対楽しくない。不満でしかない。
面倒臭すぎて、無意識に口を尖らせてしまう。
とはいえ喫緊の課題として、今すぐリンシーと最低限の意思疎通を図る必要がある。どうしたものか。
エニッカがこのような困った状況に陥っているのは、任務である魔物討伐に行き詰まっているからであった。
時は少し遡る。新たに魔物退治の任務を言い渡されたエニッカは、単独で現場へと向かっていた。
魔物とは百害あって一利なし、迷惑千万なだけの存在だというのは、あまねく人間たちの共通認識だ。だがエニッカのような魔女にとってはその限りでない。討伐すれば仕事になり、召喚すれば奴隷になるのだから、便利な道具といった認識に近い。
涼風が渡る初秋の農村は、伸びやかな活気に溢れている。
秋耕地では今まさに人々が小麦の種を蒔いている最中。遠くに見える春耕地の畑には、大麦や燕麦が丸々と実っている。
牧草地では鶏や豚や山羊などの家畜たちが、各々草を喰んで丸々と太っている。
果樹園から戻ってきたらしき子どもらが、籠を手に歓声を上げながら道を走り抜けていく。
己には縁遠いそれらの営みに背を向け、エニッカは土埃の舞う坂道を下った。肩の上の辺りで無造作に切った茶髪が軽やかに揺れる。
その後ろからは、橙色の毛並みをした仔兎のような魔物が、ぽてぽてと懸命についてくる。更にその後ろからは、全財産の詰まったずっしり重たい麻袋が一つ、ふよふよと宙を浮いてついてくる。
エニッカは新しく領主と契約を結んだばかり。遠方の別荘にいた領主本人に挨拶を済ませて、ついさっき本家の屋敷に到着したばかりだというのに、もう領主の家臣が仕事を言い付けてきた。
転居先の家へ荷物を置きに寄る暇もなかった。文句を言いたいのは山々だが、下賤の魔女に口答えは許可されない。渋々言われた場所に向かっている。
腹いせに屋敷でこっそり魔法を使って失敬してきた焼菓子を、口に放り込む。サクサクした生地の食感と、濃厚な蜂蜜の風味。つましい生活に慣れ切った舌が、久々の刺激に小躍りしている。
「ふふん」
一人満足げに、
ケインジー領にはもう一人、領主と契約を結んだ魔女が住んでいる。彼女に任せないのかと尋ねると、三日前に指示を出したのに未だに手こずっているのだと聞かされた。
転居早々、難しい仕事にぶち当たってしまったらしい。億劫に思う気持ちはあるが、手柄を立てられるなら悪い話ではない。他の魔女を出し抜いて出世する機会を得られたと思えば良い。
所々ほつれた臙脂色の上着を翻し、踏み固められた道を辿って前へ前へ。後ろからは相変わらず仔兎と荷物がついてくる。
問題の橋はすぐに見えてきた。近付くまでもなく、真ん中に異様な影が陣取っているのが見て取れた。
「でっかいな」
牛三頭分くらいの大きさがありそうだった。整形したパン生地のように丸く、藻に似た色合いの表面はぬめぬめと光っている。頭頂部でふすふすと息をしている他は、全く動かない。
こいつが魔物であることは間違いなかった。
一口に魔物と言ってもその形態は様々だ。基本的には魔界を棲家にしているが、ふとしたきっかけで亜空間移動を経て人間界に出てくる。しばしば理性をなくして暴走するため、人間たちに恐れられている。
一方、魔女に召喚された魔物は魔女に従う。橙色の仔兎もそうだ。また魔女の産む子は必ず魔物になるが、こちらはあまり例がない。
このぬめぬめは姿形からして急所が分かりづらい。一息に終わらせてやりたかったが、難しそうだ。
エニッカはつかつかと橋を渡って魔物に近づき、細帯に提げた小さな麻袋から小刀を取り出した。これを浮遊魔法で操り敵を滅多刺しにすれば、いずれ弱点を突ける。
「多分痛みが長引いちゃうけど、悪いのは迷子になったドジなあんただから」
毅然と言い放ち、高速で小刀を振るう。ぎらりと昼光を反射した刃は、魔物に刺さる直前で、つるりと軌道を逸らされた。小刀が橋の上に落ちて跳ねた。
「は?」
おかしい。こんな初歩的な魔法をしくじるとは。
試しに再度放った小刀は、またもやつるんと魔物の頭上を滑った。
「こいつ」
間抜けな姿に似合わず、一丁前に回避の魔法を使っている。
「生意気!」
四方八方から刃を降らせたが、ことごとく逸らされ、かすり傷一つ与えられない。魔物は依然、ふてぶてしく橋の真ん中に居座っている。
しかし、反撃は来ない。加害性は低い。勝利条件は回避能力の無効化のみ。だったら手はある。
エニッカは、取替魔女の異名を持つ。
視界に入った二者間の持ち物を瞬時にすり替える独自の魔法、取替魔法を使用する。魔女はこういった固有魔法を一人につき一つだけ習得できる。
先程、領主の屋敷で焼菓子をくすねた時は、対価として干からびたパンの欠片を床に転がしておいてやった。性質が近しいほど魔法は成功しやすいものだ。パンと焼菓子。酒と水。魔法と魔法。
今回はエニッカの持つ基礎魔法の一つ、風魔法を対価に、魔物の回避魔法を一時的に借りる。
己の腕を眼前に掲げ、きりりと魔物を睨み付け、エニッカは得意の固有魔法を発動した。瞬時に正確に鮮やかに、最小限の力で使うのがコツだ。丁度、都市に巣食うごろつきが財布を掏るように、相手に気付く隙を与えずに済ませる。
自信はあった。取替魔法ならば、浮遊魔法よりも効果が強い。
にも関わらず、発生させた魔力は、呆気なくぷつんと途切れた。
「うわ」
これも失敗。
この感覚には覚えがある。魔法自体が回避された訳ではなく、交換対象の価値が釣り合っていなかったのだ。魔物の回避魔法が強力なため、エニッカの風魔法が対価として見合わなかった。
舌打ちが出た。
如何に優秀な魔女でも、魔法が通じなければ、ただの非力で卑賤な女に過ぎない。
さて、何か他に攻略法は無いか。しばし沈思黙考する。
日の光は相も変わらずうらうらと降り注ぎ、川の水は泰然と止まることなく流れ続け、魔物は身じろぎ一つしない。
やがてエニッカの耳が、コツコツという木靴の足音を拾った。
橋を渡って近付いてきたのは、つぎの当たった深緑の長衣を纏った猫背の女性だった。左手には肩幅ほどの長さの、木で作られた笛のような物を持っている。
彼女は魔物を前に、微塵も怯えた様子を見せない。
「……倒せない、でしょ。そいつ」
ぼそぼそと、聞き取りにくい低い声だった。顔をやや伏せていて、目線が合わない。
「うん。あんた、リンシー?」
声をかけると、彼女はこくりと頷いた。
ケインジー領の先住魔女。領主と契約を結び、村外れの小屋に住む許可を得ている。エニッカもこの後そこに身を寄せ、共同生活をする手筈になっていた。
「あたしはエニッカ」
にっと歯を見せて笑いかける。
「これから世話になるよ。よろしく」
「……よろしく」
リンシーの表情は死んだように動かない。エニッカはうっと息を詰まらせた。
暗いにも程がある。如何にも口下手で取っ付きにくい感じ。全身から醸し出される雰囲気もずんと沈んでいて、まるで葬式からの帰りのよう。
一緒に住む相手がこんなに陰気で大丈夫だろうか。室内の空気が澱んで、気が滅入りそうだ。
こっちは早めに領主との契約を切って他所に移る予定だから、無理に仲良くなる必要もないが、出来れば快適に過ごしたいと思うのが人情である。
「私が使える魔法は、全部試した……」
リンシーはまたぼそぼそと言った。一応、対話の意志はあるらしい。
「固有魔法は、魔笛魔法って言うんだけど……」
どうやらその魔法は、笛の音を聞いた者の感覚を自在に操れるものらしいと、エニッカは何とかリンシーの言葉を汲み取った。
「へェ。じゃあこっちの攻撃を感知できなくさせらんないの?」
「できない」
「何で」
「多分あの子、耳が聞こえない」
「フーン。そう来たか」
エニッカはがしがしと後頭部を掻き、足元に控えている橙色の魔物を見下ろした。長い耳をぴこぴこと揺らしながら、しきりに鼻先を蠢かせて周囲の匂いを嗅いでいる。
「うん、分かった」
「何が……?」
「あいつの倒し方。ちょっと協力してもらうけど、良い?」
リンシーは初めて顔を上げ、闇色の目をほんの少し瞠ってエニッカを見つめた。
しばしの時が経ち、リンシーと作戦を共有したエニッカは、改めて橋の上に足を踏ん張って立った。兎の魔物の首根っこを左手で掴んで目の前にぶら下げる。リンシーはその後ろに背筋を伸ばして立ち、横笛の歌口を唇に当てがっている。
「行くよ」
「ん」
リンシーの返事とほぼ同時に、エニッカが魔法を発動する。兎が驚いて首を振り、四肢をばたつかせた。敵は依然として動かないが、手応えはあった。取替魔法は成功で間違いない。
「よし。頼んだ」
油断なく敵を見据えたまま声をかけると、リンシーは即座に笛を奏で始めた。
素朴な柔らかい音色が鳴り渡った。
音楽には詳しくないが、優しくゆったりと染み渡る旋律に、どこか懐かしさを覚えた。暖かい。昔、雪の降る日に、母に抱かれて炉端で暖を取っていた時のことを思い出す。
感情を押し殺したような顔をしたこの女が、こんなにも情感豊かな、包容力のある柔らかい音楽を生み出すとは。
ちらりと振り返ると、リンシーが微かに頷いた。無事に魔笛魔法が効力を発揮したようだ。敵の魔物は体の感覚を狂わされ、今まで通りに魔法を発動できなくなっている。経験的に習熟したはずの魔法の使い方を見失い、初心者未満の状態に陥っているという。
エニッカは兎からパッと手を離した。ぼとりと落下する小さな魔物には目もくれず、例の小刀を宙に浮かせ、敵に向かって鋭く発射する。今度こそ刃はそのぬめっとした表皮に深く突き刺さった。敵がぷるりと不快そうに身を震わせた。
「よっしゃ」
作戦は的中した。あとは急所に当たるまでひたすら続ければ良い。
先程エニッカは取替魔法を使って、ぬめぬめの魔物の嗅覚を取り上げ、代わりに仔兎の魔物の聴覚を与えたのだった。
相手に聴覚が無いなら付与すれば良い。呼吸はしているようだったから嗅覚は備わっていると予想していた。五感同士ならば性質が似ているため、すり替え可能だ。
相手に聴覚が備わってしまえば、リンシーの魔法が効くようになる。回避魔法を使用不能に追い込めば、後は小刀を刺し放題である。
「オラ、さっさとくたばんな」
魔物は、決定的な打撃を受けると、身体の状態を保てなくなる。心臓を破壊されない限り死ぬことはないが、決定打を受けた魔物は塵のように霧散して、魔界へと強制送還される。
リンシーが演奏を続ける中、エニッカが立て続けにグサグサ攻撃していく。ぬめぬめの震えが大きくなる。ぶるぶると全身をわななかせ、時折身を捩るような動きも見せ始める。更に十回程刃を突き刺すと、突如パァンと破裂音がして、ぬめぬめの全身が勢い良く弾け飛んだ。
「うわ!?」
エニッカは反射的に後退り、巻き散らかされるヘドロのような体液を避けようとした。しかし魔物の体は、飛び散った先から細かな塵へと変わっていった。あっという間に風に攫われ、全身が跡形もなく消滅する。
無事に魔界に帰還したようだ。
こうして、人々を阻む障害物は駆除された。木製の橋は、鱗雲が浮かぶ空の下、まるで何事も無かったかのようにただ横たわっている。任務完了だ。
「フー……」
エニッカは額の汗を拭った。リンシーも横笛を下ろし、小さく息を吐いた。
「ありがとね。助かった」
振り返ってぞんざいに礼を述べると、リンシーはふいっと目を逸らし、「別に」ともごもご口を動かした。
「こっちこそ、助かったから」
「そう」
短く返すと、リンシーはそれきり黙して下を向いてしまった。やはり、どう接したものかいまいち分からない。じろじろと観察していると、リンシーは何か言いたそうに、口を開けたり閉じたりし始めた。
「ん? どした?」
「……」
リンシーは目を閉じて何か考える素振りを見せたが、結局無言で首を横に振った。エニッカはうっかり苛立ちそうになるのを努めて抑えた。せっかちなのは自分の悪癖だ。人には人の速度というものがある。
「じゃあさ」
エニッカはずいっと一歩踏み出した。たじろぐリンシーにはお構いなしに、前歯を覗かせて笑いかける。
「一旦、あんたの家まで案内してよ。荷物置きたいから。それ終わったら一緒にお屋敷行って、任務完了の報告しよ」
リンシーは狼狽えつつもこくんと小さく頷き、エニッカに背を向けて無言で歩き出した。エニッカはその黒髪の後ろ姿を追いながら、また一瞬だけ唇を尖らせた。
確かにリンシーは、必要な意思疎通はできる。意外にも豊かな感性を持っていそうでもある。頭の中では色々と思考しているだろうことも推察できる。素っ気ない態度がわざとではないことも。
それでも、新居で快適な住環境を築くのには、少々時を要するように思われたのだった。
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