決断

「瑞穂、話があるんだけど」

 欄干で鴉と話した翌朝。

 俺は、朝餉の整った席で瑞穂にそう切り出した。


 目の前では艶やかな白飯や香り良い澄まし汁が湯気を立てている。だが、気持ちが決まった今でなければ、タイミングを逃してしまう気がした。

「……朝餉の後ではなく、今が良いか?」

 向かい側の褥に座る瑞穂は、普段と変わらぬ穏やかな眼差しで俺を見る。


「うん。すぐ済むから。

 ——俺、瑞穂と一緒に行くよ。初穂の星に」


「——……」


 瑞穂は一瞬目を見開いた。

 だが、その表情をすぐに元の静かな気配に戻し、淡く微笑んだ。


「他人の気持ちばかりを考えるそなたのことだ。私の心の奥を思った末の言葉であろう。

 だが、そなたには、無理をさせぬと決めている。

 そなたがどれほど人の世で味わったのと同様の静かな幸せを求めているか——今は、私もそれをよくわかっているつもりだ」

 

「そうじゃない。

 ——俺、実は少し怒ってるよ。瑞穂」



「…………」


 虚を突かれたような瑞穂の顔を、俺は強く見据えた。


「俺は、無力な人間だ。

 度胸もないし腕力もない、ビビリの意気地なしだ。

 けど、だからって、何一つ苦労をしたくないと思ってるわけじゃない。

 ——瑞穂が命懸けで仕込んだ『齢分』の酒が持つ力を、昨日鴉から聞いたよ。

 齢分って、ただ伴侶に寿命と力を分けるだけじゃないんだな。儀式を受けた伴侶は、半神にも近い存在になるんだって——その力で主となる神を守り、危機から救う力をも得られるだろうって、鴉が言ってた。

 俺は、そんなことこれっぽっちも知らなかった。この先も、手も足も出ないまま瑞穂の苦痛を見ているだけしかできないと思ったら、それだけで死にそうだった」


 膝に握った拳が、勝手にギリギリと固くなる。目の奥がじわりと熱くなるのを必死に堪えて続けた。


「齢分を受けることで、俺はもっと大きな力を持てる。瑞穂を守り、支えることができる。

 昨夜鴉からその話を聞かなければ、俺はそのことを何一つ知らないまま、瑞穂と永く一緒に生きられるっていう選択肢を捨てるところだった。

 瑞穂。俺の気持ちを考えてくれるのは、本当に嬉しい。

 でも、これほど大切なことを一切聞かせてくれずに、俺との別れに同意するなんて——あんまりだ」



 じっと俺の言葉を聞いていた瑞穂は、全てを聞き終えても表情を固めたまま、しばらく微動だにしなかった。


「……あの、瑞穂?

 俺の言ったこと、伝わった?」


「——そなたの言葉を、そのまま受け止めても良いのか」


 奥歯を強く噛み締めるように、瑞穂がやっと絞り出すような声で呟いた。


「そうだよ。昨夜はほとんど眠れなかった。嬉しかったり腹が立ったり、いろんな気持ちが収まらなくて。

 とりあえず、瑞穂にちゃんと伝えておかなくちゃ、っていう言葉はまとめたつもり。

 瑞穂。これからはもっと、なんでも俺に話してくれ。新しい星での瑞穂を支えられる強い伴侶になりたいんだから」


 その瞬間、瑞穂は勢いよく席を立ち、俺の前に跪くと凄まじいほどの力で俺を抱き締めた。


「うぐ……!! ちょ、苦しい……」

「これがまことならば、私も嬉しい。

 ——これほどに嬉しいことはない。

 もう、分別をつけたつもりであった。そなたと別れた来世でどのような生が待っておるのか、そればかりを思う日々であった。

 ここからも、そなたと共に歩めるとは……

 容易には信じられぬ」

 

 瑞穂の背に、俺も両腕を回す。

 微かに震えるようなその背の感触に、なんだか小さく笑いが漏れた。


「瑞穂って神様なのに、ちょっと神様っぽくないところあるよな。

 生きているものの運命を左右する立場の人が、『嬉しくて容易には信じられない』とか、あんまり言わないんじゃないかなって」

「何を言うておる。嬉しいものを嬉しいと言って何が悪い」

 抱きしめる力を緩めないまま、肩越しに少し照れたような呟きがもそっと答える。


「……うん。そうだよな。

 そういう瑞穂だから、新しい星で新しい神になってほしいって、初穂も望んでるんだな」


 今更のように、俺の目からも熱いものが一気に流れ落ちた。


「——良かった。

 俺も。この決断ができて、マジで嬉しい。心から」


「旭。

 齢分の日取りを、ここで決めぬか」

 肩から顔を離し、瑞穂が生き生きとした水の瞳で俺を間近に見つめる。 


「儀式の際にしかと呪言に念を込めるため、私も心身を改めて清め、研ぎ澄まさねばならぬが——長く間を開けたくはない。

 本日より十日を過ぎた夜に執り行いたいと思うが、どうであろう」


「うん。わかった。俺ももうグズグズしたくない。

 ……というか、若返ったりするために今から体力つけとかなきゃならないとかある?」

 つい不安げな顔をした俺に、瑞穂は明るく笑った。

「ははは……! 衰えた心身に力を注ぎ込むのが齢分の一つの目的だ。そなたは儀式に備え、毎日きちんと食事をして、充分に睡眠を取っておれば良い」

「わかった。そうする」

「私も、そなたとの新たな日々を思えば、儀式を無事執り行うための心身の力が既に全身に漲っている気さえしておる」

「……うん。だよね」


 そんなやりとりをして初めて、改めて何かとんでもなく気恥ずかしい思いが急速に思考を占領する。


 あの頃に戻れる……とか。

 なんなら、そういう以上のいろいろが待ち受けていることとか。


 新たに芽生えてくるさまざまな感情に、俺は瑞穂にバレないようにボッと熱くなる顔を俯けた。



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