第10章 自分勝手

「二人とも遅いなあ」


 日菜は約束どおり、人間界への入り口で待っていた。双子に何が起こったのか知らないまま、もう一時間ほど立ち尽くしている。


「日菜ちゃーん!」


 遠くに見えたのは手を振るララの姿だった。


「あれ、トトは?」


 合流したララに日菜が質問する。


「兄ちゃんはちょっと、まだ用事が終わらないみたいでさ。先にフェアリーランドで買い物しとけっておつかい頼まれたんだよ」


「そうなんだ」


 日菜の悲しそうな顔に、ララは少し申し訳なくなった。本当は悪魔の森の入り口で倒れていたトトをララが城に連れ帰り、今は女王が看病している状態だ。


 日菜とララは手を繋ぎ、買い物のためフェアリーランドへと向かうのだった。




「なあ、お母様」


 意識が戻ったトトは城で女王と話していた。まだ熱は下がっておらず、苦しそうに話しかける。


「無理しなくていいんですよ」


「どうしてあの時、俺を止めなかったんだ?」


 それは女王自身もあまりわかっていなかった。悪魔の森に行く、といったトトの真剣な顔が、女王の脳裏に浮かぶ。


「あなたが、本気だったから」


 ベッドの横の小さな丸テーブルに温かいスープを置き、女王はその横の椅子に腰掛けた。


「そうか、ララは、いつから待ってたんだろうな」


 トトが目を覚ました時、ララはすでに城を出ていた。女王から、ララが城まで運んできてくれたことを聞き、疑問に思っていたのだ。


「あなたが出ていってすぐ、ララは追いかけて行きましたよ」


 女王が優しく答える。確かに、あんなに都合よく、悪魔の森から出てきたタイミングで来れるはずがない。ララはずっと、トトの帰りを一番近くで待っていたのだ。


「あいつも言うこと聞かねえなあ。俺にそっくりだ」


 トトは小さく笑いながら、ララのことを思い浮かべる。


「さあ、温かいスープを飲んでゆっくり寝てください。起きた時にはきっと、良くなっていますから」


「そうだな。ありがとう、お母様」


 トトはゆっくりと目を閉じ、そのまま眠りについた。




 フェアリーランド中央広場。


「日菜ちゃん、待ってよー」


「まだお買い物始まったばかりだよー?」


 紙袋を二、三個持ち、日菜の後を追いかけるララ。妖精界の珍しい食べ物を買いまくっている日菜は手ぶらで、のんびりと歩いていた。


「も、もう無理。ちょっとだけ休憩!」


 ララは修復された噴水の縁に座り、日菜を呼び止める。


「えー、体力ないなあ、ララは」


「日菜ちゃんが荷物全部持たせるのが悪いの!」


 買ったものは全て食べ物で、いろんな匂いが混ざり合っている。


「まあ、私もお腹すいたからそれ食べようかな」


 ララの隣に座った日菜は、紙袋の中から目当てのものを探す。


 その時だった。


 大きな地響きが起こり、あちこちで建物が崩れ、煙が舞う。


「何が起きたの?」


「またあいつらがやってきたのかも。今度は、本気で」


 ララの予想通り、見覚えのあるカメの怪物が街を荒らし始めた。


「どうしよう!」


「ここは一旦逃げるよ! 街の人もみんなが戦いに慣れてるわけじゃないし、僕一人じゃ限界がある」


「でも、トトは?」


 日菜の手を引くララの動きが一瞬止まった。トトは、女王は、大丈夫だろうか。本当に逃げてしまっていいのだろうか。


 ララは深呼吸をして、悪い考えを払拭する。


「大丈夫。兄ちゃんは強いから」


 必死に街を駆け抜ける。周りが火の海と化している中、瓦礫を避けながら人間界への入り口を目指す。


「もうすぐだよ! 日菜ちゃん」


 国を出て、草原の向こうに人間界への入り口を認識する。


 あと少しあと少し、息を切らしながら必死に走っていた二人の目の前に、怪物の軍団が立ちはだかる。


「もうなんなんだよ!」


「うう、これじゃ通れないよ」


 軍団は二人を囲み、徐々に近づいていく。


 やられる、そう二人が覚悟した時、救世主が現れた。


「火飛円陣!」


 空中から火の粉が円状に降り注ぎ、怪物の体に触れた瞬間、激しく燃え上がる。


「え、燃えてる……?」


「まさか……!」


 顔を上げた日菜は周りが燃えていることに驚いていた。ララはこの魔法を見て察する。


 怪物が倒れ、道が開く。空から一人の妖精が舞い降りる。


「やっぱり俺がいないとだめだな」


「に、兄ちゃん!」


 トトは目を覚ましたと同時に、外が騒がしいことに気づいた。そして、慌てて駆けつけてきたというわけだ。


 個人魔法『炎』を持つトトの能力変化技『火飛円陣』は、空中から下に向けて円状に火の粉を飛ばし、触れた相手を発火させる。


「他が来る前に行くぞ!」


 三人は手を繋ぎ、人間界への入り口へと飛び込んだ。


「ふう、また危機一髪だったな」


「数も増えてたし、やばいよあれ」


 双子は焦り始めていた。前回ですら倒すのに苦労した奴らが、倍以上の数で戻ってきたのだから。


「妖精界、どうなっちゃうのかな」


 日菜が不安そうに、妖精界への入り口を見つめていた。


「とりあえず今日は帰るぞ。今妖精界に行ってもやられるだけだ」


 トトの体力も完全に戻ったわけではない。ララもそれはわかっていた。


 日菜に悟られないよう、家に帰って休むことを優先した。


「そういえば、トトの用事ってなんだったの?」


 トトがびくっと肩を震わせる。説明してくれ、とララに無言で目線を送る。


「あー、えっとね、夢の中でちょっとお仕事って感じかなー、なんてね」


 誤魔化しが下手くそすぎて日菜は固まっていた。トトが見かねて口を開く。


「はあ、絶対に笑うなよ?」


 トトが日菜に念を押す。ララはどんな言い訳をするのか想像がつかなかった。


「女王様に、なでなでしてもらってたんだよ」


「「え?」」


 二人の声が裏返る。何度考えてもはてなしか浮かんでこない。


「ほら、ララがいたらあれだよ、甘えようにも恥ずかしくてできねえだろ?」


 なんかもうフォローすらできず、ララは思考停止していた。


「そ、そんな理由?」


 日菜が戸惑いながら聞く。


「あのな、兄ってのはかっこよくいなきゃ務まんねえの」


 トトも自分で何を言っているのかわからなかった。


 よくわからない時間が流れていく。


「も、もうこの話は終わり! 家までダッシュだー!」


 ララが変な空気を切り裂き、急にレースを始めた。


「あ、ちょっと待ってよ!」


「はあ、疲れた」


 急いで追いかける日菜と呆れ顔のトト。三人は仲良く家に帰るのだった。




 翌日、妖精界の時間軸ではかなりの時間が経った。様子を見に、三人は再び妖精界へと向かった。


「な、なんだこれ」


 目の前の光景にトトは唖然とした。


 草原は焼け野原となり、かつて見た美しい自然は消えていた。


「数日でここまでなんて、国もきっと大変なことに……」


 ララも口を抑え、変わり果てた妖精界に絶望する。


 三人はフェアリーランドへと向かった。


「誰もいない……」


 日菜は辺りを見回したが、壊れた家や剥がれたタイルが目立つだけで、国には誰一人としていなかった。


「だめだ、女王様もいない」


 城の様子を見に行っていたトトが戻ってきた。城は崩壊寸前だったという。


「これからどうしよう。あいつらは何が目的なんだろう」


 ララはかろうじて残っていた噴水の縁に座り、考え込んでいた。


「私、探してくる」


 日菜の言葉に、当然双子は反対する。


「だめだ、危険すぎる」


「そうだよ、何があるかわからないし」


 反対されるのは日菜も予想がついていた。どうせついていくと言っても、帰れと突き放されてしまうことも。しかし、日菜は諦めなかった。


「ずっとこのままなんて嫌だもん、私だって役に立ちたいもん!」


 そう言って、日菜は森の方へ走リだした。


「おい!」


 トトが声をかけても止まらない。日菜の初めての反抗だった。


「どうしよう」


「行くしかねえだろ」


 双子は見えなくなった日菜の後を追いかけていくのだった。




 森の中で一人、日菜は呼びかけながら歩いていた。


「誰かいませんかー! 返事してくださーい!」


 もちろん見つかるはずもない。普通の森でも、夜になると危険なことに変わりはなかった。


「暗い……」


 灯りなどなく、道標は月明かりだけだった。


 森の中に日菜の声がこだまする。今歩いているのは『鈴鳴の森』、コノハと初めて会った森だ。


 夜風が吹くたび、綺麗な鈴の音が鳴り響く。これは本当に鈴が鳴っているのではなく、木々の葉が擦れ合って鈴のような音色を作り出しているのだ。


「コノハさん……はいるわけないよね」


 期待も虚しく、一人とぼとぼと歩き続ける。悪魔の森のよどんだ空気とは違い、涼しくさっぱりとした夜風に思わず身を委ねてしまう。


 今この時、日菜は背後から近づいてくる影に気づくことができなかった。


 後頭部に鈍い衝撃が走り、日菜はその場に倒れ込んだ。


「だ、誰……?」


 意識は途切れ、日菜は動かなくなった。


 そんな日菜を軽く持ち上げ、影はどこかへ消えていった。




「本当にこっちで合ってるの?」


 ララがトトを疑いの目で見ている。


「手がかりがねえんだから、とりあえず進むしかねえだろ」


 こんな頼りない兄についていっていいのか、ララは静かにため息をついた。


 日菜を探し始めて一時間、全くといって見つかる気がしない双子。


「何か悪いことに巻き込まれてないといいけど」


「この状況だからな、怪物がうろついてるかもしれない」


 国やその周辺は崩壊寸前だったが、鈴鳴の森やその他の森はまだ被害を受けていないようだった。


 妖精界の大半は森や草原だ。一部例外はあるものの、町は森の中に存在することが多い。つまり、森が焼ければ、ほとんどの町や集落が消滅してしまう可能性がある。


「これから、どうなっちゃうんだろう」


「今考えても仕方ねえ、日菜ちゃんを見つけるのが最優先だ」


 しばらく歩き続け、ララがあるものを見つける。


「これ、なんだろう」


 地面に付いた少量の何か。トトはこれが何なのかすぐに気がついた。


「血だ……。もうすでに巻き込まれたみたいだな」


 その血は一定間隔で先へと続いていた。


「じゃあ急がなきゃ!」


「待て、大体見当はついてる。二人だけじゃ無理だ、誰か呼んでこよう」


 そうは言ったものの街には誰一人おらす、女王さえも未だ見つからない状況だ。トトは一人だけ目星をつけていた。


「そういえばこの近くだよな?」


「え、何が?」


 ララはまだ気づいていないようだ。


「もう一つの入り口だよ、人間界への」


「もしかして、コノハを呼ぶの?」


 妖精界と人間界を繋ぐ入り口は各地に存在している。日菜の家の近くの森とフェアリーランドを出てすぐの草原が一つ。もう一つは、コノハの家の庭の木と鈴鳴の森だ。


 二人は急いで入り口を探す。


「あった!」


「行くぞ」


 人間界に着くと、目の前には心乃葉がいた。


「あれ、二人ともどうしたの?」


 心乃葉は妖精界で起きていることを知らなかった。


「今妖精界が大変なことになってるんだ。巻き込みたくはなかったんだが、ちょっと、日菜ちゃんがいなくなってしまって」


 トトが心苦しそうに説明する。


「僕たちだけじゃ手に負えなくて、お母様も見つからないし、どうしよう」


 ララは半泣きで心乃葉を見つめている。


「わかった。私も協力する。妖精界のみんなにはお世話になってるから」


「ありがとな。本当に助かる」


 人間界の時刻は夕方五時。心乃葉は夜七時には家にいないといけないため、妖精界に居られる時間は約四日。


「四日あれば充分!」


「ああ、後は俺たちが引き継ぐから安心しろ」


「別に私は……」


 心乃葉は何かを言いかけ、言葉を飲み込んだ。その様子にトトは察して言った。


「人間界も、悪いことばかりじゃないぞ」


 トトはそれだけ言って入り口に飛び込んだ。


「ん? どういう意味?」


 ララはある程度の事情は知っているが、深くは知らない。


「気にしなくて大丈夫だよ」


「そっか」


 トトに続いて、ララと心乃葉も妖精界へと向かうのであった。

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