Depth7 魔弾

 奴――(草場とか言ったか?)の能力は、恐らくだが液体を何らかの形で射出する能力だとみて間違いないだろう。太陽は黒い霧雨の中をバディに乗って泳ぎつつ思考する。放水用のシャワーヘッドみたいなものか……初撃は純粋な水を一点に凝縮した弾丸。そして今は墨か何かを霧のように噴射している。こちらの目をくらませつつ、バディ能力を無効化しようとする意図に違いない。他にどんな攻撃パターンがあるかは分からないが、液体の種類に加えて射出方法も含めるとかなりのバリエーションがある。予測がしにくい分、厄介な能力だ。それに、敵はの能力についてなんらかの情報を得ているらしい。


 彼は能力を使ったまま、その霧雨を突き進む。真っ黒でずぶぬれになっているのだが、不思議なことに敵は気づいていないようだ。実のところ、彼の能力は単なるではない。それは相手の認識に作用し、日高太陽という存在を見えなくさせる。彼の発した音や痕跡すら、相手には認識できない。それは一見凄まじい能力だが、もちろん万能ではない。使用する際に心息を大きく消費する上、敵に攻撃などをするときには姿を現さなければならないのだ。


(このまま大人しく近づかせてくれればいいが……)


 そう思っていた矢先に雨は上がった。上階を見るが敵影は見えない。魔弾――なかなか慎重な男らしい。しかし朗報もある。ある程度の情報を握られているらしいが、正確な能力についてはバレていないようだ。それもそのはずで、この能力について知っているのは彼自身と女王蜘蛛くらいである。相手の思い込みは逆に利用できる。


 彼はロイの背に乗ってショッピングモールの最上階へとたどり着いた。タイル張りの床は単純な幾何学模様で彩られ、ガラスの扉やシャッターで閉じられた店が多く並んでいる。ただ、すべてが静かで、人の気配は全くない。どこを見ても朽ちてひび割れているし、カビ臭い匂いと、じっとりからみつく湿気はここも同じだ。


 彼はバディと共に軽く一周し、中央広間を見下ろす円形の通路を見回したが、目立つ人影はやはりない。しかし、どうやら先ほど使ったらしい墨が少量垂れているのが数か所あった。不規則に滴ったらしいそれは狭い通路の奥へと続いている。その通路の見通しは悪く先までは見えない。


「まあ十中八九、罠だろうな」


 太陽はバディの背から降りると独り言ちた。だが進むしかない。どこまで依頼の内容が正しいかは謎だったが、ジョーについて少しでも手がかりを持つ可能性があるならば、選択肢はなかった。依頼主の事も聞く必要があるだろう。それに……殺そうとしてくる奴は殺す。それがこの世界における正当な権利であり、生き残るための条件だった。


 彼はしばらくかけて作戦を練り、準備を整えたあと歩き出した。不気味にも見える真っ黒い跡をたどって。


 ――


 草場は待つことに慣れている。今までも堅実に、自分は死なず相手だけが死ぬように立ち回ってきた。どれだけ準備や手間がかかろうとも、生き残った方が勝者なのである。ヒダカもなかなかに手練れらしいが、どう足掻いても籠城戦の方が有利だ、そう確信していた。

 

 実際にこの通路にも多くの仕掛けを施してあった。まずは単純に足元の水。ワンパターンだが、ある程度の注意を引く効果はある。そして足元に気を取られれば張り巡らせておいたワイヤーがある。さらに、ワイヤーに気が付いてカットしたりしても、つけられた鈴で大きな音が出る仕組みになっていた。たとえ透明化していようと、そこにいることさえ分かってしまえば、殺す手段はいくらでもある。この狭い一本道なら草場の攻撃から逃れる術はない。


(にしても……想定よりだいぶ遅えな)


 草場はコルトを構えながら、じっと通路の奥を見つめる。


(佐々木小次郎もこんな気分だったのかねぇ……まあその程度の小細工は俺には通用しないがな)


 彼の心の中は注意散漫なようにも思えるが、じっと見据えた目とコルトの口から覗く銃口は寸分のブレもない。苛立ちや焦りも心息の消費につながる。殺し屋としての長いキャリアによって、居るだけで不快感を催す心海においても、彼は心の落ち着きを保つことができていた。


 しかし、事態は突然動いた。パリンと鋭く乾いた音が響く。どうやら通路の奥で蛍光灯が割れたらしい。一本道の入り口付近が暗黒に包まれている。「ばかな、透明なくせにご丁寧に来たことを知らせたってのか?」彼は少し不思議に思いつつもヒダカの意図は読めなかった。確実に仕留めるには距離がまだ遠い。だが、電気を消せばワイヤーに気が付きにくくもなる。むしろ好都合だろう、そう判断した。


 ――パリン、パリン……。続けざまにガラスの割れる音が鳴り、どんどん暗闇が迫ってくる。「あともう少し……」無表情は崩さずに心の中で少しの笑みがこぼれる。自分の策がハマるのは気持ちがいい……そのカタルシスが待ち遠しかった。


 しかし、それからまたも沈黙の時が流れた。聞こえるのは自身の鼓動の音だけ。少しばかり不気味だった。


(止まった?それとも一度来て引き返した?どちらにせよ足音の1つくらいはしても良さそうだが……)


 声には出さないが彼は少しだけ困惑していた。こんなことは今までになかったのだ。予測していない事態が起きすぎている。だが、この結界は完ぺきなはずだ。予め下調べは済ましているし抜け道や穴などもない。


 また少しして、通路の奥から物音が聞こえた。真っ暗闇で姿は見えないが、何か仕掛けてきているのかもしれない。それでも草場は動かない。ワイヤー付近まで待ち、確実に仕留める。彼は必殺の範囲攻撃を準備していた。一度間合いに入れば殺せる。その確信があった。ここで下手に動けばヒダカの思うつぼだろう。奴は恐らく俺をおびき出そうとしてやがる、そう判断し、近づいてくる音の正体を見定めようとした。


「足音……じぇねえな……心海魚のノイズか!?」


 ザザザと鳴る耳障りなそれは、間違いなく心海に暮らす唯一の存在が放つ音だった。まだ視認はできないが、結界を壊される前に片づける必要がある。なるほど、自分は姿をくらましつつ、心海魚をけしかけてきたわけだ。


「モード:ストレート」


 液体を変えている暇はなかった。少々もったいないが使わざるを得ない。彼が浸している液体はVXと呼ばれる強力な毒だ。1950年代にイギリスで開発された化学兵器用のもので、致死量は僅か1ミリグラム。これでかすり傷でも受ければ人間は即座に死亡する。噴霧して吸い込ませるか、広範囲にシャワーのように降らせるか……どちらにせよ確実に殺せるまさに必殺の弾丸だったのである。彼自身は防護服とガスマスクをしており、安全もばっちりだった。


 草場はそのVX弾を通路真ん中に向かって真っすぐ放った。ワイヤーが多少ちぎれても致し方がない。そう考えて放った一撃はベルを鳴らしつつも、確かに物体に被弾した音が聞こえた。しかしノイズは止まない。


 「心海魚には効かねえのか?」


 彼の専門は対人戦であり、心海魚に対して毒を試したことはなかった。致し方なく、ボトルを取り換える。ここでこの液体を消費するのは得策ではなかった。量も限られている。けち臭いが仕入れるのも非常に難しいのだ。ベルとノイズの音がうるさく、少しのイラつきを覚える。そして、多少手間取りつつ、水のボトルに取り換えた。「モード:マシンガン」彼は真ん中あたりに標準を合わせて水の弾丸を連射した。


「やっと殺せたか」


 草場はノイズがしなくなったことを確認し、少し安堵と共に声を漏らした。中央辺りに張り巡らせたワイヤーは少しばかり壊れてしまったが……それよりもボトルを替えなくては。そう思った矢先だった。ボトルは消えている。なぜ……?その答えは明白だった。


「動くな。動けば容赦なく殺す」


 暗い声は彼のすぐ近く、真後ろから響く。それは草場にとって死神の囁きのように思えた。

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