第7話

「殿下!」

「この子を、頼む」

 梓丁は皇子の手から子供を受け取った。

 重荷から開放され、蒼斗は急流に流されそうになりながらも自力で立ち上がった。

 そこはまだ腰が浸かるほどの水深があり、油断はできない。

 梓丁は子供を肩に担ぎ上げ、足場を確認しながら岸に向かった。

 途中、何度も振り返り、皇子も無事についてきていることを確認する。


 岸にあがり、草の上に子供を降ろす。

「大丈夫……だよな?」

 追いついて水からあがった蒼斗が心配そうに覗き込んだ。

 飾り気のない筒袖を身につけた、小さな男の子。4、5歳か、もっと幼いかもしれない。

 冷えきった身体。

 意識はなく、唇も色を失っていた。

(息を、していない?)

 梓丁は子供の胸に手をかざした。

 心の臓は動いている。

 かざした手に、気を集める。

 やがて手は熱を帯び、ほのかに光り始めた。


 背後から覗き込んでいた蒼斗が、驚きを隠さずにつぶやく。

「光ってる」

 そのひと言に、梓丁もまた驚いた。

(修行もしていないのに、この光が見えるのか?)


 皇国において神祇伯を世襲する木河家は、仙道をも修める。

 嫡男である梓丁は、物心つく前から厳しい修行を積んできた。

 修行もせずに仙道による気の光を見ることのできる者など、多くはないはずだ。

(皇族の血は伊達ではないというわけか)


 子供の喉が、ピクリと動いた。

 梓丁は子供のあごに手を添え、横を向かせる。

 同時に、子供は水を吐き出した。

 最初は少量。

 続いて大量の水を吐き、むせて苦しげに咳をする。

 梓丁は子供を抱き起こし、下を向かせて背中をさする。もう大丈夫だ、自分で呼吸できている。

 体中に川底の石に当たった傷があるが、手をかざしているあいだに止血は済んでいた。

 あとは体を温めて、休ませてやればいい。


吾怜あれい!」

 草むらから顔を覗かせ、少女が咳こむ子供に気づいて駆け寄ってきた。

 少女もまた膝丈の簡素な筒袖まとい、きれいな色の腰紐を結んでいたが、全身が泥や草の汁で汚れ、乱れた髪には枯れ草が絡んでいた。こちらは10歳に満たないくらいだろうか。

 流された弟を追って、川沿いの草むらを掻き分けて走ってきたのだろう。一度、弟の名を呼んだきり、息があがって言葉もない。

「こいつは、おまえの弟か?」

 蒼斗が尋ねると、少女は何度も首を縦に振ってうなずいた。

 ようやく咳が落ち着いた子供が、姉のほうに手を伸ばす。

「姉ちゃ……ん」

 少女は弟を抱きしめると、閉ざした唇から声をもらすようにして泣き出した。

 心配して心配して、やっと少しだけ安堵して泣く余裕ができたのだろう。


 梓丁は少女が落ちつくのを待って、静かに尋ねる。

「家は、近いのか?」

 少女は涙でぐしゃぐしゃの顔をあげ、それからうなずいて言う。

「あの山のむこう」

 指さされたのは小さな山であったが、子供の足で越えるにはかなり時間がかかりそうだ。

「よし、近くまで送っていってやろう」

 当たり前のように蒼斗が言い切った。

 梓丁は意外に思いながらも、反対はしない。

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