【KAC20253】社畜の男
雪うさこ
疲れ果てた男とコンビニ
人生に疲れ果てていた。
コンビニ弁当も食べ飽きた。今日もおれは『フェアリーマーケット』の自動ドアをくぐった。
フェアリーマーケット—通称『フェアマ』。これはおれが名付けているだけだが—はコンビニだが、全国チェーンではないようだ。確かに、おれの田舎にはなくて、ここに来るまでは聞いたことがなかった。つい先日。なんだか妙に気になってスマホで検索してみたのだが、この店しかヒットしなかった。単独コンビニなんて、この日本にあるのだろうか。店主がコンビニを模して作った店なのだろうか……。
おれは、この店が好きでも嫌いでもなかった。ただ便利がいいのだ。帰路の途中にあるから、深夜に帰宅するおれが食事を確保するには、ちょうどいい。それだけだった。
スマートウォッチは就寝時間を知らせている。いつもその時間に寝ていて、今日がたまたま残業していただけ——ではない。これがおれの日常。本当はこの時間に寝たい。だから、この時間に設定している。
弁当売り場に置いてある弁当は数少ない。のり弁、ハンバーグ弁当、助六寿司、それから、ペペロンチーノだけ。選択肢と言えるほどのものでもない。しかし、疲れすぎて、それらの弁当から一つを選ぶこともままならない。もう頭が働いていないのだ。
スマートウォッチが就寝時間を知らせる。そんなものを設定したところで、その通りに寝たためしはない。無理なことは重々承知。叶わぬ夢。だけど、おれの希望。ほんの些細なことなのかもしれない。けれど、思い切り寝てみたい。
おれの仕事は下町の印刷会社。納期、納期に追われ、ほぼ休みはない。せっかくの休みだって、上司からガンガン電話がかかってくるものだから。家にいるより会社にいたほうが気が楽。だから、休日も、いつものように起きて、会社に行くのだ。
「お前は馬鹿か」「小学生からやり直せ」と罵声を浴びせてくる上司。期日が迫っているというのに、のらりくらりとオッケーを出すことはない。いつもいつも。ギリギリまで追い込んでくる奴だ。
休みだってお構いなしだ。家でゆっくりしていようものなら、ガンガン電話がかかってきて、デザインの手直しの話をされる。あの電話が嫌で。だったら仕事に行こう。休日でも出勤することが、いつのまにか日常になってしまっていた。
ついさっき。実家の姉から電話が来た。母さんが死んだそうだ。去年、10年ぶりに帰省したら、おれのことなんて忘れていた。認知症だったのだ。別にいいや、って思った。その反面、どこか寂しかった。母さんに忘れられたってこと。おれは忘れていたというのに——。
おれは助六寿司を手にレジに近づく。金髪に染めた長い髪を一つに結わえ、猫背で痩せているチャラチャラしていそうに見えて、ちょっと冴えない兄ちゃんが、おでんの具を補充する手を止めてから、レジに戻ってきた。この兄ちゃん。いつもいる。おれと一緒だ。そう思ったら、ちょっと親近感がわく。おれは兄ちゃんに軽く会釈をしてから、弁当売り場へと足を運んだ。
本当はこんなことしている場合じゃない。けど、仕方ないじゃないか。もう田舎に向かう新幹線は終わっている。明日、朝一で帰らなくちゃ。ああ、上司に怒鳴られるだろうな。きっと。「おれが若い頃は、私生活なんて二の次だった」が口癖だもんな。この時間にかけたら怒られる。ともかくメールだけしておこう。
兄ちゃんは、助六寿司を見下ろしてから、「買わないほうがいいっすよ」と小さい声で言った。
「は?」
「この寿司。いらないっす。今晩は——」
「な、なに言ってんだよ。あんた」
兄ちゃんは口角を上げただけで、なにも言わずに助六寿司を売り場に戻した。まるでキツネにつままれたみたいだ。しかし、すぐに馬鹿にされたと思った。くそ。面白くない。なんなんだ。
おれは「こんな店来るか! 客に物を売らないってどういうことなんだよ」と叫ぶ。しかし、彼は笑ったままだった。
「売らないとは言ってないっす。もう代金は頂戴しているんです。さあ、お帰りなさい。早く」
「頭おかしんじゃねーねの? クソ」
あんまり頭にきたのでおれはフェアマを飛び出した。
会社も大変で。
母親にも忘れられて。
しまいにはコンビニ店員にも馬鹿にされて。
おれの人生最悪じゃん。
おれはアパート目指して深夜の繁華街をかけていった。
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