第三章 知恵熱






 誘拐騒ぎの顛末は、一週間のうちにニコの元へと知らされた。


 ヴァンパイアから人間へのクローンの売買は、ここ数年、世間に認知はされないまでも警察関係者の間で大きな問題となっていたらしい。

 人身売買に関わるやからが摘発される度、不憫なバウトゥーラが保護されるという事態が頻発しており、人間に友好的なヴァンパイア――ヴェイルの他にもいるようだ――と警察は協力関係を築きつつ解決に向け尽力していた。


 この問題がすんなりとは解消しない理由は大きく二つある。


 一つは人間の側がこれを取り締まる明確な法を持たないことだ。いや、人間同士の問題ならば、法はある。けれど、そもそもバウトゥーラは『人』なのか。バウトゥーラの未成年は、人間の未成年と同じものなのか。そこから議論が必要だった。


 二つ目は、同胞と人間とを繋ぐパイプ役となっているヴァンパイアの行方が一向につかめないこと。のらりくらりと姿をくらまし、首謀者を叩くことができない。捕まるのは"買った側"の人間ばかりで、"売った側"のヴァンパイアが逃げおおせている。


 

 淡々と事件の概要を包み隠さず話してくれたヴェイルに、ニコは感謝していた。

 この前もそうだ。

 ヴェイルは、ニコに気を遣って事実を隠すようなことはしない。お前は当事者だからと、可能な限りの情報を開示した上で「守るがお前も自衛しろ」と言う。それがどうしてか、すごく嬉しいのだ。


 「なんで守ってくれるの?」という疑問については、結局、最初の日からずっとヴェイルに聞けていない。返ってくるかもしれない答えが怖いから。今は別に考えることもある。


(バウトゥーラは人なのか、か……)


 考える。

 ニコは「バウトゥーラは人ではない」と本能的に思った。

 人というのは人間の女性の子宮から生まれた存在で、一卵性双生児など例外はあるものの、物理的にも遺伝子的にも唯一無二だ。

 社会的に尊厳が守られるべきとされている存在だ。

 そんな相手と自分たちが同じだなんて……思えないだろう。

 やがて世の中が変われば、この実感も変化するのだろうか。

 わからない。わからないから、もっとたくさん調べようと思った。ありがたいことにダニからは立派なPCを貸してもらった。


 ふと、トビーからの新着メールの通知が画面に浮かんだ。マウスカーソルを動かして開く。アドリアンとトビーとはあれから毎日、メールのやりとりをしていた。そのお陰もあって修道院側の様子も知ることができた。

 

 あの日、建物の裏でカランカランと鳴っていたのは、紐で吊るされた金属プレートだった。金に目が眩んだ修道院の庭師たちが、犯人に買収され仕掛けたもので、周囲を警備しているヴァンパイアの注意を引くためのおとりだったらしい。


 ジェンナが車の中でニコに言っていた「修理が必要な破れたフェンス」というのは、庭師たちがもしもの際に使えるよう確保していた逃走ルートで、怪しげなプレートとフェンスの穴に気を取られてしまった金髪のヴァンパイアは、エンジン音がいつもと同じだったこともあり、庭師の軽トラに特別な注意を向けなかった。

 そして庭師二人は干草を入れるための袋にトビーとニコを押し込め荷台に積むと、修道院を出た。


 (五感が鋭いことを逆手に取られたんだな)


 庭師二人と、誘拐犯三人、そして誘拐犯の上役の男とその取り巻きは全員まとめて既に身柄を拘束されている。が、やはり”売った側"は捕まっていないのだ。


 考えすぎて気が散漫になってきた。

 昨日、トビーが言っていた猫の動画を息抜きに見ようと、ニコはキーボードを叩いた。動画の投稿主はブリティッシュショートヘアを飼う若い夫婦で、トビー曰く、猫だけでなく二人のふわふわとした会話にも癒されるらしい。

 

しばらく見ていると夫婦の馴れ初めの話になった。


『彼が授業の休み時間に「君も食べる?」って自分のお菓子をわけてくれたんです。それが好きになったきっかけかな?』


 旦那さんが言った。『え、そんな理由?』と。

 ニコも同じことを思った。奥さんが返す。


『そんな理由でも重なれば心の中で重く意味を持っていくんです。で、ある日、ちょっとしたきっかけでドーンと落ちる。ニュートンが万有引力を見つける前から、人は「恋は落ちるもの」って表現してたんだから、落ちゃったらもう、落ちちゃうんですよね〜』


『ニャーン』


 空からヴェイルが落ちてきたあの日以来、明らかに、少しずつ、自分に変化が起きていた。

 硬質な銃。トビーの悲痛な声。

 二度と同じことが起こらないように、もし二度目があってもどうにかして守れるように。ニコはあの後、PCで銃について調べた。

 銃の種類。安全装置の解除方法。構え方。撃ち方。知っていれば万が一のときに身を守れるかもしれない。そうして様々な知識に目を通し思うのだ。


(かっこよかったな……)


 守られるだけの自分は情けない。でも、ヴェイルが守ろうとしてくれたことが嬉しい。圧倒的な強さのなんと眩しいことだろう。強いという事実そのものへの憧れがどんどん高まって、脳が焦げそうになる。

 どうすべきかわからない。とにかくもっとヴェイルと仲良くなりたい。

 ヴァンパイアにはバウトゥーラの雌雄に特別なこだわりを示す者と、そうでない者がいる。パックから飲むとしても、ヴェイルは男性と女性ならどっちの血がいいんだろうかと、本人にはとても聞かせられないことまで考えて我に返る。しっかりしろ。もっと他に真剣に考えることがあるだろう。右手の包帯が目に入る。巻いてもらった包帯だ。


――遺伝子元オリジナルは関係ない。こいつが勇敢なんだ


 ヴェイルの側にいると、『自分は自分一人だけなんだ』と感じられる。自分だけの呼び名も与えてもらえた。あのときは何も思わなかったけど、じわじわと実感が染みて"僕がニコだ"と解る。


 バウトゥーラであることを、ニコは別に卑下していなかった。

 みんな同じ名前であることに不服を感じたこともなかった。

 ただ、一つだけ。昔から譲れなかったのは【飲み物バウトゥーラであっても、心はそれぞれ。一つずつ】ということ。

 それはニコが一番、大切にしていることだ。

 "大きいニコル"に向け誓ったことだ。


 猫の動画が終わって、関連動画が画面に挙がる。

 頭が現実に引き戻された。

 この関連動画という機能に関して、実は最近すごく、恐怖していることがある。

 インターネットの怖いところだ。ネットが使用者の好みを探って動画コンテンツをサジェストしてくるのだ。



【効果抜群】クールなあの人にアプローチする5つのテクニック


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 「恋愛」などと言われると、むず痒くて小っ恥ずかしくて、ちょっと今はまだそこまでは無理なのだが、それはさておき、ヴェイルが気になる気持ちがPCにバレている。困ったことだ。動画を見てみようか。

 いや、もっと時事問題とか社会問題とか、クローンに対する世間の意見とか他に見るものがある。


(見ない。僕は見ないぞ)


 そして五時間ほど真面目に学ぶ。するとまた、ヴェイルに救われたあの日のあの瞬間に意識が戻る。ぐるぐる。ぐるぐる。ぐるぐっ


「あのさ、ヴェ……ヴェイルは?」


 とても一人ではいられず、気づくとニコは自室を出て一階のリビングに下りていた。今日は土曜。ダニの大学もヴェイルの仕事も通常通りなら休みの日だ。

 ダニとジェンナが長ソファの両端に離れて座り、それぞれゲーム機で遊んでいた。


「あいつは仕事だよ。何か用事あったの?」


「いや、そういうんじゃないんだけど」


「ふうん……?」


「え、なに。ジェンナ」


「べ〜つに〜? ほら、あんたもこっちおいで」


 呼ばれたので長ソファの真ん中に座る。

 ふわぁ〜っと、ダニが欠伸あくびする。ふと天井の隅を見上げると、いつかの監視カメラが目に入った。


「カメラあるとやっぱりちょっと緊張するね」


「昔はそうだったかな? でももう慣れたよ、防犯には代えられないし。はぁ。ヴェイルの奴、土曜日も仕事なんてさ。うちの会社ってブラックなのかな? よくやるよ。僕、百年社会人続けろなんて言われたら嫌だよ」


「おい次男坊しっかりしろよ」


「ヴェイルの年齢のことで何か……仕事で不都合があったりしないの?」


 ヴァンパイアは人間に比べて加齢が遅い。


「その辺はお祖父様たちがうまくやってるよ。定期的に名前も変えてるし、あいつには幻術もあるしね」


 やはり。

 ヴェイルがヴァンパイアであることは公にはされていないようだ。修道院も公的には"人間の"身寄りのない子どもたちの施設ということになっている。あの子たち全員がバウトゥーラであることは伏せられているのだ。だからこその隠れ蓑として、宗教施設である修道院を利用しているのかもしれない。


「はぁ……」


「どしたの、ニコちゃん? 溜め息なんかついて」


「世間知らずを治したくて色々調べるのに、調べると悩みが増えるっていうか。……トビーの言ってる流行りも全然、わかんないし」


「街に出てみるのはどう?十代、二十代が多いエリアに行くとかさ」


「遊び行くなら、あたしが服を選んでやるよ。ニコが選んだらチョッキにハンチングにつえ持ってきそうだから」


「いつまで続くのそのいじり」


「じゃあ、どんな服で行くつもりか言ってみなさいよ?」


「……シャツにスラックスとか?」


「少年合唱団じゃん」


「でも若返ったね!」


ハハハハ。ギャハハハ。

笑い声がこだまする。


「これ人によっては嫌がらせだよ?」


「ごめんごめん。人によらなくても、揶揄からかいすぎだね。……あれ、ニコちゃん、なんか顔赤くない?」


 ジェンナによって、額に手が当てられた。


「え?……あ、ちょっとあんた! 熱あるんじゃないの?」


 わあわあと騒ぎ出した二人によって、すぐにソファに寝かされ、脇に体温計を差しこまれた。


「なんか僕、ここにいると甘ったれになりそうで怖い」


 容赦ない揶揄からかいすら嬉しくて、優しい時間を際立たせるスパイスのように感じてしまう。

 

(今度からもうちょっとリビングに下りてこよう)


 体温計が鳴るまではと、ニコは目を閉じた。




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