タイム・コックローチ

ささやか

第1話

 魔法学的見地からすると、ゴキブリは時間を司る妖精であると判明した。

 妖精は科学的実体を持たず、稚児のような無垢の可愛さを有する存在だと説明されてきたし、実際これまで発見されてきた妖精は司る事象によって多少のズレはあろうとおおよそこの説明に収まるものであった。

 だがゴキブリ。

 科学的実体を有し、知性の欠片もなく、おぞましい外見と生態と不潔さで人類から唾棄された昆虫。

 それが妖精。

 ゴキブリが妖精であるという発見は極めてショッキングなニュースとして世間を賑わせた。

 いやいや。何かの間違いじゃないですかゴキブリが妖精なんて。ニュースキャスターは半笑いを浮かべて言う。だって虫でしょ。

 科学的見地から見れば確かにゴキブリは昆虫です。有名私立大学の妖精学者はニュースキャスターの発言を肯定する。ですが今回の発見は魔法学見地から見るとゴキブリは妖精であるということなのです。人類は科学を学び、その結果、科学では説明できない非科学な事象を認知し、そこから魔法学を発展させてきました。今まで科学的見地でのみ考察されてきたものが魔法学的見地から見直され、新たな発見がなされることはあり得ないことではありません。

 じゃあつまりゴキブリは虫でもあり、時間を司る妖精でもあるということですか。

 そのとおりです。ゴキブリは科学的性質と魔法学的性質を併せ持つ生物ということです。ゴキブリは極めて生命力の強い虫だと認識されてきましたが、その秘密は妖精としての力を使っていたからかもしれませんね。

 なるほど。他ににもそういう生物っているんですか。

 いますよ。ニュースキャスターの疑問に妖精学者が答える。人間がそうです。

 この妖精学者の一言は人間とゴキブリを一緒にするとは何事かと世間から顰蹙を買うことになったが、それでもゴキブリが持つ可能性には熱い注目が集まった。

 やがてゴキブリから時間を司る妖精としてのエッセンスを抽出することに成功し、そのエッセンスで人間の時間を停滞させることができるようになる。人間がゴキブリと同じように二つの性質を併せ持つからこそ可能な所業であった。

 これが魔法学的アンチ・エイジングのはじまりである。

 時間タイムエッセンスは、美容や医療の分野で熱狂的に歓迎された。より多額の資金がゴキブリの研究に投資され、その成果として時間の停滞のみならず僅かだが逆行を可能にするにまで至った。

 これは大変なことですよ。ニュースキャスターが大声をあげる。言ってみれば人類の夢が叶うわけですから。このまま研究を続ければ永遠の若さが実現されるわけです。

 理論上そうなりますね。美容研究家も同意する。今はまだ若返られる時間や停滞時間が短いため実用的ではありませんが、このままその幅が伸びていけば永遠の若さも実現されるでしょう。

 でもゴキブリから作った時間エッセンスを体に入れるのはちょっと抵抗ありますね。やっぱりおぞましい。年嵩のコメンテイターがゴキブリに対して抵抗感を示す。ゴキブリが妖精であるとわかってから相当な年月が経過し、世間のゴキブリに対する忌避感も随分と薄れてきたが、それでも中高年層にはまだ強い嫌悪を示す者もいた。

 何か悪影響はないんですか。

 今のところ確認されていません。このまま安全性が確認され、実用化するといいですね。

 コメンテイターの疑問に美容研究家が答える。

 結果として、彼女の回答は必ずしも正確ではなかった。

 まず、若返りと不老化が普及すると、老化を原因とする死者数が減るにつれて出生数も減っていった。理由は科学的見地でも魔法学的見地でも判然とせず、世界的な少子化対策が議論されたが根本的な解決には至らなかった。だがある段階で人口の増減が収まり、実際的な問題が生じることはほとんどなかった。

 次に時間エッセンスを取り込み続けることは、魔法学的見地においてゴキブリと同化することに等しいことが判明した。長期間にわたり不老を継続できるほど時間エッセンスを取り込んだ人間の有する魔法的素質はゴキブリのそれと置換されるようになる。科学的性質が顕性であるため、実体としてはホモサピエンスのままだが、魔法学的にはゴキブリとしてみなせるというのだ。

 このことから一部の魔法学者は時間エッセンスの摂取にやめるよう警告を発したが、魔法学的素質の置換は実生活になんら影響があるものではなく、そのような微々たる変質は若返りと不老という人類の夢の実現に必要なコストとして処理された。人類は永遠の若さを我が手にした。

 人類の夢が正夢になった後の世界はペシミストにとっては意外なことにおおむね平穏だった。この頃になると人類はゴキブリに対する嫌悪感をすっかり拭いさり、社会に不可欠なものだと認知され、一次産業としてゴキブリ繁殖工場がすっかり定着していた。人類はゴキブリと共に生きている。

 ゴキブリに対する研究も引き続き進められた。ゴキブリは時間を司るが、それは現在から過去方向に限定され、未来方向への権限を有していないことが判明する。つまりゴキブリ以外の未来方向に時間を司る妖精が存在するのか、あるいは妖精の上位存在たる妖精がおり、この精霊が未来方向と時間を司るのかなどと議論された。

 そういった中で時間エッセンスはどこまで人類に影響するのかが研究されていた。時間エッセンスを取り込むことによって人間は若返る。理論上、老人が赤子になることだってできる。

 ならその次は? 赤子は胎児になるのか? 胎児は受精卵になり、受精卵は精子と卵子に分離するのか? その後はどうなる?

 その結果自体はともかく、時間エッセンスの限界を知ることは有用であった。

 同じく時間エッセンスの限界を探る研究としては、作用する対処の拡大があった。

 時間エッセンスは人類の他、一部の生物にも作用することが発見されていたが、大多数の生物や無生物への作用は確認されていなかった。これをどうにかして作用する範囲を広げられないかが熱く研究されていた。

 そうして文字どおり時間を持て余した一部の妖精学者は、これらの疑問を解釈するための実験を敢行する。魔法学的に閉鎖した空間に大量の時間エッセンスを凝縮させ、それを被験者に摂取させようと試みたのだ。

 それが人類滅亡の引金だった。

 被験者は胎児まで戻る。しかしその後が続かなかった。圧縮された時間エッセンスは魔法的爆発を引き起こし、地球の魔法的バランスを崩壊させた。魔法的性質が科学的性質よりも顕性として表れるようになったのだ。つまり人類はゴキブリへと変質した。

 じわじわと進行するゴキブリ化により世界は阿鼻叫喚で包まれた。だが人類にそれを止める術はなく、一匹、また一匹と人類はゴキブリになっていた。

 そうしてすっかりと人類が二足歩行から六足歩行になった後、元凶となった実験の跡地に生じた時間的の歪みを通じ、時間を司る妖精は遥か古代にまで時間を遡行していった。

 だからゴキブリは遍く時代に存在する。

 そして、あなたは部屋の隅に唐突に現れたゴキブリに眉をひそめ、これを退治すべく新聞紙を丸めはじめる。

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