切断妖精

馬村 ありん

切断妖精

 肉体カラダが疲れを訴えてるのに、精神アタマが眠らせてくれないのはどういうわけだ。

 就職してからというもの、長時間残業・休日出勤・ハードワークの毎日。久々に夜十時に家に帰ることができたというのに、ベッドに入ったらこの調子だ。

 脳内が興奮しているんだ。ドーパミンがドバドバと出てる。


 こうなると、目をつぶって黙っているのも苦痛になる。

 右に左に寝返りを打ってみたあと、意味もなく携帯電話でニュースサイトなどを開いてみると、普段は読まないような政治記事などを熱心に読み込んでしまう。

 そうして、画面のブルーライトに当てられた目はいっそう冴えわたってしまう。


 壁時計を見ると時刻は深夜一時半を過ぎていた。早く寝なくては明日に差し支える。ぎゅうっと目をつぶって身動きを取らないようつとめる。

 ようやく眠気が訪れたと思った瞬間、耳元でカサカサ、カサカサ音がした。ギョッとして目を開けると、そこには見慣れないものがあった。

 赤い豆電球が照らす闇のなかにはいた。目にした当初は人形だと思った。俺の手のひら大の背丈で、ボロ布の服を着ていた。耳は尖っており、子どもみたいな頭身のわりに、老人みたいにシワだらけの顔をしていた。


 見慣れぬ人形が枕元にあったとしたら、それは驚異だ。ましてやそれが手足を動かして俺の枕元をてくてく歩いているのを見るとなおさら驚異だ。

 そう、そいつは動いていた。

 俺の横たわるベッドの上を我が物顔で歩いていた。足を動かすたびに、ベッドはわずかにきしみ、振動が伝わった。

 見れば一人や二人ではなかった。似たような顔つきの奴らがぞろぞろと隊列を組んで行進していた。

 ベッドの横にある出窓にたどり着くと、カーテンをかいくぐり、開け放していた窓に向かって進んでいった。きいい。わずかに窓が動く音がした。

 奴らは十人ほどいて、ぱんぱんに詰まったバックパックを背負っていた。最後の一人は振り返り、俺に視線を合わせてきた。小豆よりも小さい二つの目が暗闇の中でランランと輝いていた。その後、きいい、窓の閉まる音が聞こえてきた。


 この間、俺は震えていた。理解できない現象を前になすすべもなかった。今見たものは本物か? 偽物か? 俺は狂っているのか? それとも正気なのか?


 その夜は一睡もできなかった。あの悪夢めいた小さい奴らの姿が目に焼き付いて離れなかったのだ。

 朝を迎え、はっきりしない頭で、エナジードリンクを朝食がわりにスーツに着替える。ロールパンの買い置きがあったが、食べる気がしなかった。

 朝日に打たれて通勤路を歩いていると、昨夜の光景は夢幻ゆめまぼろしだったのではないかと思われた。不眠症からくる幻覚症状だったのだ。今日のどこか空いた時間に内科に行って睡眠導入剤をもらってこよう。


 昼過ぎまで議事録をまとめ、そろそろ昼食を腹に入れておいたほうがいいだろうとオフィスを出ようとしたとき、係長に呼び止められた。係長は俺に目を合わせることなく、自分の机にプリントアウトの束を叩きつけた。

「なんだよ、これは」

 硬い声で係長は言った。

「こんなものは見積書とは言えないよ。引用した数字、これ一昨年のものだろ。表も空欄だらけ。ふざけてるのか、お前」

 まさか! 未完成版の原稿の方を提出していた。ありえない失敗をしてしまった。よりによって大事な書類で。

「今すぐ完成品を提出します」

 慌ててパソコンのなかを探すが、完成品の原稿はどこにも出てこなかった。体が芯から冷えていく。ちゃんと保存していなかったのだ。

 そのことを話すと、また雷が落ちた。

「ふざけるな! お前!」

「すみません、この頃疲れていまして」

「疲れを言い訳にするな。結果が全てだろ。どうすんだよ、今日締め切りなんだぞ」


 係長の小言は止まらなかった。

「お前、失敗しかしてないじゃないか。頑張ってるつもりなんだろうが、なんでも裏目、裏目だよ。

「向いてないんじゃないの、この仕事。あのさあ、お前の将来の夢ってなんだった? それを追いかけた方がいいんじゃないの。ここにいてもパッとしない人生しか送れないよ。お前がそれでいいならいいけど、それだと可哀想だから俺が言ってやってんの」

 ――ギョッとした。

 係長の机の上に、あの小さい奴らが現れたからだ。デスクの足をよじ登って天面へと上がってくる。先に登ってきた奴らが後から登ってきた奴らの手を引いてやり、あっという間に二十人ほどがデスクの上に姿を現した。


「増えてるッ……!」

「あ? なんだぁ? なんか言ったか、お前?」

 途中で俺が口を挟んだものだから係長はますます機嫌を悪くして、口調の激しさは増していった。小さい奴らのことは見えていないようだった。

 ということは、こいつらは俺の妄想ということになる。俺にしか見えない妖精のようなものなのか。俺はとうとう気が狂ってしまったのか。


 妖精たちはノコギリを持っていた。彼らの体長の二倍はある大きなものだ。両端に取っ手があり、二人で協力して丸太を引き切るようなタイプだ。

 彼らはそれを担ぎ、プリントアウトや閉じたノートパソコンの上を渡り歩くと、係長の左手の四つの指にノコギリの歯を当てた。

「さっきお前、自分の疲れを言い訳にしてたよな。俺はそれは最低の言動だと思うよ。何もできない奴に限ってそういうことを言い出すんだよねぇ。本当に社会を舐めてるよな。ねえ、毎日どんな気持ちで会社に来てんの?」


 ギコ、ギコ、ギコ。

 妖精たちはノコギリを弾き始めた。鋭利な刃はすぐに表皮に食い込み、毛細血管を切り崩し、血の滴が弾け飛んだ。

 幻覚にしてはやけにリアルだった。吐き気がしてきた。

「あのさあ、さっきからキョロキョロしてさあ。こっちの話ちゃんと聞いてるわけ? 誰のためを思って言ってやってるって思ってんの? 本当は俺だって説教なんかしたくないんだよ。疲れるだけだし。上司にこんなハナシさせない働きぶりを見せるのがさあ、会社員としてのあり方なわけ。そこ分かってるのかなあ!?」

 ギコ、ギコ、ギコ。

 刃が肉に食い込み、血はドロドロとあふれ出す。妖精と目があった。奴らはうれしそうに作業をしていた。

 キキィッ。キキィッ。キキィッ。

 刃が骨に到達したようだ。流石に硬いのか、妖精たちはノコギリを動かすのに苦労しているようだ。別の妖精が、ノコギリの妖精の額についた汗を拭ってやった。

 やがて、パキッ。

 小枝を折るような音がして、骨が切断されていった。


 そこからは刃の進みは早かった。ギコギコギコギコギコギコ。

 最初に千切れたのは小指で、最後は中指だった。妖精たちは切れた指を蹴飛ばし、薬指の切り株の根元に集まると、そこに収まっている指輪をヨイショヨイショと抜き取り始めた。

 妖精はそれをバックパックに詰めると、係長の指の付け根からあふれ出した血のプールをパシャパシャ歩いて、別のバックパックから長いロープを取り出して、ライトスタンドに巻きつけた。

 それからデスクの端まで行き、一人ずつロープを滑り降りていった。

 くるり。

 最後の一人が俺の方を向いた。そいつはシワだらけの顔に笑みを作ると、俺に向かってサムズアップしてきた。だから、俺もサムズアップを返した。最後の妖精は俺に背を向けると、ロープを滑り降りていった。


「お前、なんだよ、そのふざけたポーズ。俺がいま何言ってるのか分かってーー。アァァァアーッ! 指! 俺の指が! 俺の指ィィィィィィ!」

 昼食から戻ってきた社員たちがただならぬ係長の様子に気づいた。そして、係長の机の上で起きている惨状を目にして悲鳴を上げた。あー! わー! いやー!

 俺は口角をあげて、目尻のしわを下げた。

 安心したのだ。

 どうやら妖精は俺の妄想じゃなくて、実際に存在したみたいだから。そうじゃないと、ひとりでに指が切れるはずもない。


 その後、大きな騒ぎになり、駆けつけた警察官から事情を聞かれた。係長が何者かに指を切られた時、あなたもそこにいたんですよね。何か見てないんですか?

 ――妖精を見ました。

 絶句した後、警察官は渋面を作った。


 余計なことを口走ったせいだろう。警察から解放されて家に帰ってくるころには、夜九時を回っていた。

 ふと、タンスの扉が開いているのに気がついた。中にあった封筒が開封されていた。空だった。父から贈られた十万円が入っていたはずだ。何かあった時のために使えと渡されたものだ。直感的に、俺は妖精たちが持っていったんだと思った。

 夜飯を食おうと思った矢先、突然眠気が襲ってきた。

 久々の眠気だった。

 スーツ姿のまま、ベッドに潜り込んだ。心地よいまどろみが俺を包んで、その日は本当にぐっすり眠れた。



終わり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

切断妖精 馬村 ありん @arinning

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ