望んだ品
かなぶん
望んだ品
小さい頃に貰った絵本。
文字のないその内容は想像力で補うようなものであり、当時、どういう話を描いていたか、ケティは全く憶えていない。ただ、とてもお気に入りの登場キャラクターがいたことは憶えていた。
「妖精が欲しい!」
そう強く言って両親を困らせていたことも、もちろん憶えている。
とはいえ、物語と現実の区別がつくようになった今も、あの時の熱量で同じことを願うかと言えばそれは話が違うだろう。両親とて――父とてそれは分かっているはずなのに。
一般的に大人と言って差し支えない年齢になった誕生日当日。
出稼ぎから帰ってきた父は、出迎えたケティににっこり笑って開口一番。
「ほら、昔欲しいって言っていた妖精を連れてきたぞ?」
「……は?」
自分でも驚くくらい低い声が出た。
もしかしたら、出稼ぎで精神を病んでしまったのでは、と疑いもした。
何せ、父がそう言って手招いたのは、どこからどう見ても人間だったのだから。
妖精という幻想生物を「美しい」というのなら、確かにその人間は美しかった。
白銀の長い髪に透明感のある肌。柔らかな微笑を絶えず湛えた瞳は澄んだ青で、唇は淡く色づいている。
ただし性別は曖昧だ。
背丈はケティより高いが、身体つきは男と女の中間を象る。もしも、村の女たちと並べたなら男だと思うだろうし、男たちと並べたなら女だと思うだろう。
発声を聞けば少しは見当がつくのもかもしれないが、彼の”妖精”はあれから一度も声を発していないため、今もって不明のまま。
そもそも、”妖精”を迎えた村人の誰もが、進んで交流をしようとしないのだから仕方がなかった。
真っ先に父の正気を疑ったケティは元より、普段はこちらが嫌になるくらい絡んでくる自称世話好きのマダムでさえも、”妖精”に声をかけることはなかった。
ただ、皆一様に、その姿を遠巻きに眺めるだけだ。
今もこうして、食堂兼宿の仕事場の窓の外に、”妖精”を見つけたケティのように。
(……また、あそこにいる)
宿の近くに生えている巨木の、人が座るためにあつらえられたような大きく湾曲した木の根に、もたれるように座る”妖精”。
名前すら依然として分からない彼の人は、いつもの微笑みを携えてそこにいる。
アレが極々普通の一般人であったなら狭い村の中、働きもせず等々と陰口を叩かれるところだが、その姿を見つけた村人の大半は一時夢見心地に魅了され、我に返っては誤魔化すように精を出すため、アレはアレで村の役に立っていると言えなくもない。
とはいえ、だ。
(……本当に、なんなんだろう、あの人)
正直なところ、ケティはあの”妖精”を今も不審に思っている。
今ではすっかり受け入れた様子の村人たちの中で、ケティの警戒っぷりは唯一と言っていいだろう。
(父さんも、あの人を連れてきた後に高熱を出してうなされて、回復したと思ったらすぐにまた出稼ぎに行ったっきり……結局、あの人がどういう人かも聞けていない)
まるで何かに追い立てられるようにいなくなった父。元気であることだけは確かなのだが、どうにも腑に落ちない。
父が去れば母と娘の二人暮らし、そんなところに性別不詳の身元不明者を置くのは忍びないと、特別に部屋を用意してくれた宿の主人でさえ、今現在は”妖精”を快く住まわせている。他の村人たち――ケティの母も似たようなものだ。
この村の中で今も”妖精”を受け入れられないのはケティだけ。
いや――村を囲う森を含めて、かもしれない。
座る”妖精”の元に、好奇心に駆られたように一羽の小鳥が現れ、伸べられた”妖精”の指にそっと掴まり小首を傾げる。その周囲には、普段は決して人里に来ない鹿や狐がいつの間にか集まっており、”妖精”を興味深そうに眺めていた。
元来、人間よりも野生動物の方が危険には敏感だ。
それがケティよりも受け入れている様子を見せつけられたなら、段々と自分の感覚の方がおかしいのではないかと思えてくる。
と、不意に窓向こうの”妖精”の顔がこちらを向く動きに気づく。
それとなく逸らしたケティは、視線を掠めただけの自然な動作で仕事に戻った。
だとしても――誰も彼もが”妖精”を受け入れようとも、やはり、ケティは相容れないと思ってしまう。
それは父や母、村人たちの様子があってのことではなく、ケティ個人の直感だ。
あの姿を見る度にどうしても違和感を覚えるのだ。
まるで何か別のモノを、無理矢理あの”妖精”の形に捻じ込んだような歪み。
アレは本当に、あの姿で真実生きているのか――と。
特別な力もないはずの自分だけが、何故そんな風に思ってしまうのか。
絶えずつきまとう違和感にケティは軽く頭を振った。
そうして”妖精”の存在が、すっかりケティ以外に馴染んできた頃。
村にろくでもない連中が訪れる。
国を掲げる騎士団――の末端中の末端が。
風の噂に聞く、良くない話があった。
本来の機能を忘れた騎士がごろつきのような真似をしていると。
村からそう離れていない場所の集落では、女子どもはもちろんのこと、男たちもあまり思わしくない状況に置かれたという。
都市部まで届けば粛正されるとも誰かは言っていたが、この村から都市部までの距離を考えるに、早急に正されることは難しい。
ごろつきまがいであっても、騎士は騎士。
国から正式に役職を与えられた力は、国が取り上げるまで行使される。
――ゆえに。
「酒だ酒だ! こんな村でもイイもん出せんだろ?」
「冬の備えなんか気にせずジャンジャン出せ! 後で荷馬車の十や二十呼んでやるからよぉ!」
「しけた面してんじゃねぇよ! そうだ、女連れて来い、女! 踊りに歌に、場を盛り上げさせろ!」
急に宿の奥へ押し込められたケティが聞いたのは、複数の野太い声だった。
何も恐れるものがない力任せの声は、それだけで震えを呼ぶほどおぞましい。
見つかれば何をされるか分かったものではない――この想像は的中したが、標的は潜んでいるケティではなかった。
「おっ! おおっ!? おい、見ろよ、あれ!」
一人が興奮を隠しきれずに声を上擦らせれば、もう一人が大きく息を呑む。
「すげぇ……こんな肥だめみてぇなとこにあんな別嬪がいんのか……」
「……おい、あの女を呼んでこい。いや、あいつだけでいい。あんなもん見せられた後じゃ、他のはゴミ同然だ」
声の主たちが誰のことを言っているのかはすぐ分かった。
(そんなっ! ダメ!)
日頃どれだけ不審に思っていようとも、見過ごせる企てではなかった。
すぐにでも裏口から出て、逃げるよう伝えるべく動きかけたケティ。
だが、その前に口笛が聞こえてきたなら、嫌な予感に足が止まった。
「おお、聞き分けがいいな、別嬪さん」
「へへ……見た目だけじゃなく、中身もお優しいことで」
「ほらほら、お前ら見せもんじゃねぇぞ。こっちはこれからイイこと始めようってんだから。ああ、飯は後でいい。まずはこの別嬪さんにたっぷり癒やして貰うからよ」
どうやら、止める間もなく”妖精”は入ってきてしまったらしい。
碌なことが待っていないとだけ分かった話に、恐々、彼らのいる扉へ手を伸ばしかけるが、それよりも先に手と口が押さえられたなら、驚き見た先には首を振る宿の主人がいた。
翌日。
促されるまま帰るしかなかったケティは、周囲の気配に神経を尖らせながら人気の少ない早朝の村を移動していく。
その足取りは、どこか覚束ない。
それもそのはず、”妖精”を犠牲にして助かったような罪悪感もさることながら、気が変わって襲いに来る想像が眠ることを許さず、母と共に暗い部屋で一夜を過ごしたのだ。
冬ではないことだけが救いだった、としか言えない時間は、母が止める間もなくケティの足を宿へと向けさせていた。
宿に何がいるのか忘れたわけではない。
どんな惨状が待ち受けているのか、想像できないほど子どもでもない。
それでも、何から逃げ出してしまったのか、知らないでいることはできないと訪れた食堂兼宿は――……。
「……何? このニオイ……」
全ての窓と扉が開け放たれた建物から、嗅ぎ覚えのない悪臭が漂う。
思わず鼻を押さえたなら、耳に届く、シュッシュッという聞き慣れたブラシの音。
水気を含んだソレに眉を顰めるが、見えた姿はよく知る宿の主人だったため、ケティは恐る恐る建物に近づいていった。
伺うように覗けば、昨日の声の主たちらしき姿もなく、少しだけホッとする。
次いで丁度近づく掃除中の主人に声をかけようとしたなら、
「!!?」
同じタイミングで見えたブラシの先のソレに、悪臭の正体を知って走り出す。
理解を拒否する頭が脇目も振らずに向かったのは、いつもの場所。
宿の傍に生える巨木、その湾曲した根にいつも――今もいる”妖精”。
何一つ変わらぬ姿で、昨日も同じようにそこにいたと言わんばかりに。
昨日のことなど何もなかったかのように、そこに……。
いつも通りの姿にホッとしたのは少しだけ。
「……なんなのよ、あんた」
気づけばそんな声がケティから出ていた。
凝り固まった不審そのままの声に、”妖精”はこちらを見ることなく微笑んでいる。
本当に、いつものように。
宿の主人が虚ろな目で、端布のついた何かの肉塊を食堂から出している最中だというのに、美しい姿はいつも通り綺麗で――歪だ。
その瞬間、怖いと思っているのに手を伸ばしたのは何故だろう。
きっと、精神的な疲労と寝不足のせいに違いない。あまりにも余裕がなかったがために、普段であれば遠ざかるところを腕など掴んでしまったのだ。
説明を求めようとして――人とでも誤認して。
「うけとった」
「っ!!」
それは音だった。
古びた金属を擦り合わせたような、木が裂けるような、悲鳴にも似た何十もの無機質な音の連なり。
決して大きくはない、しかし、耳をつんざく音。
耐えきれずケティはその場に崩れ落ちた。
本当なら耳を塞ぎたいところではあったが、”妖精”を掴んだ手は動かず、もう一方の腕も力をなくして地面に落ちている。
そして何より、腕を掴んだ瞬間から、向けられた微笑を背けられずにいた。
いつもより深まったと思しき笑みに囚われる。
ケティの顔色は蒼白となり、冷や汗が肌を伝うのに動く気になれずにいた。
そして気づく。
何故自分だけが”妖精”を不審に思い続けていたのか。
それはただ単純に、”妖精”の獲物がケティだったからだ。
だから、動物たちは自分たちに無関心な”妖精”の傍に今もこうして集まり、小鳥に至ってはその肩に止まってこちらを見ている。
無力化しているケティを。
何を持って選ばれてしまったのかは分からない。
ただ、発せられた言葉から、すでにもう手遅れであることだけは分かった。
これから何が待っているのか。
考えることさえ億劫な頭は、度重なる疲労に身体を起こしていられず、不用心に”妖精”の足にもたれてしまう。
一瞬、不快な音の連なりがまたしても響くのではないかと身構えるが、予想に反して届いたのは巨木の葉擦れの音だけ。
手放した意識の先に待つ未来に馳せる心もなく、ケティは眩む頭に目を閉じた。
望んだ品 かなぶん @kana_bunbun
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