第9話
またあの夢を見た。
夢の中の女の人は相変わらず黒い服を着て、こちらを一度も振り返らず、森の中を信念のあるような固い足取りで歩いている。
なんとなく森を抜けたいのだということが後ろ姿から見て取れたが、女の人は森から出られず迷い歩いているようだった。
起きた時はやはり頭が鈍くて、頭の中が軋んでいた。女の人の顔が見られず残念な気持ちになる。
家庭教師に夢の話をした。すると家庭教師はゆっくりとその話を聞いて分析してくれた。
私が塔にいるのは、この家から出られなくて窮屈な思いをしているのかもしれない。森の中を彷徨っている女の人は私自身で、本当はこの家から出て自由になりたいと願っているのではないか、全体的に夢が黒々としているのは、私の気持ちの中に暗い部分があって、それが全面的に象徴されているのかもしれない、そして女の人の顔が見られないのは私が自分の顔を知らないから、という。
「家を出たいと思ったことも、窮屈だと思ったこともありません」
私が言うと家庭教師は、私の意識していない森のように深い心の奥で、もしかしたらそう思っているのかもしれないよ、と温かな眼差しで微笑む。
大好きな人が三人に増えた。
父も母も大好きだが、見守るような目でいつも私を見てくれるこの三人目の家庭教師も私は大好きになった。
もしかして自分の名前を私の口から名乗ったら家庭教師は喜んでくれるかもしれないと思って、度々両親に私の名前を訊くことを試みた。
六回訊いたとき、「いい加減にしなさい!」と言われて母にぶたれた。
両親が私に求めているものと、家庭教師が私に求めているものは両極端に違っていた。
みんな同じように好きだから、どうすればいいのかわからずに何日も悩んだ。
ある日の夕方、勉強とお喋りを終えて家庭教師が帰って行くのを私は部屋から見送った。
いつもならすぐに家から家庭教師の気配が消えるのに、この日は長い時間が経過しても家庭教師の気配が消えない。
気になって階段の途中まで下り、そっと居間の様子を窺う。父はまだ帰ってきていない。居間の空気は熱を帯びていた。
鎖が音を立ててしまったが、母も家庭教師もそれに気づかないほど真剣な顔をしていた。
「……あの子をいつまでこんなところに閉じ込めているつもりですか。あなたたちは本当にそれでいいと思っているのですか。これは深刻な問題ですよ」
閉じ込める? 私に閉じ込められているという意識はない。両親はそのつもりなのだろうか。
「あれがあの子への愛情なんだよ。部外者が口を挟むんじゃない」
「鎖で繋いで家から出さないことが愛なんですか。あなたたちは愛という言葉であの子を縛りつけ、自立心の芽を摘み取り、自由を奪ってただの人形や機械みたいに扱っているだけじゃないですか」
心臓がどきどきいいだした。
家庭教師さん、それは本当ですか。私は心の中で問いかけていた。
両親は愛という言葉を使って私を人形にしていたのですか。
街へ行ってみたいという好奇心も行動も名前も年齢も自分の容姿さえ、私は今まで愛という言葉で押さえつけられ、奪われていたのですか。
「あの子はこの家にいてくれればそれでいいんだ」
「それはあなたたちの都合でしょう。あの子の意思は聞いてやらないんですか? この家にいる限り、あの子はいつまで経っても幼い子供のままだ。十六歳と登録してありますが、改竄していますよね? 本当はもっと年齢が上でしょう」
そうなのだろうか。私にはそんなに生きているという感覚がまるでない。
開き直ったように母は叫ぶ。
「それのなにが悪いんだ。機械のように扱ってなにが悪いんだ!」
「あの子は人間です。あなたたちがあの子に向けているのは本当の愛情と言えるのですか。軟禁ですよこれは。広い世界を見せて、もう自由にしてやったらどうですか」
「うるさい! それ以上言ってごらん。あんたを殺すよ」
二人の様子が怖くてパニックになって私は階段で丸くなり、膝を抱えてしくしくと泣いた。
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