第8話
母は怒鳴って鏡を取り上げ、家庭教師の頬を叩いた。
「余計なことは教えないでと言っただろう!」
私は慌てて泣きそうになりながら母の袖にしがみつく。
「やめてください、お母さん。この人は素晴らしい人なんです」
「素晴らしい人だろうがなんだろうが、私の言ったことに逆らう奴は出て行ってもらうよ!」
「鏡なんかもう見ようとしませんからお願いです。この人と一緒に勉強をさせてください」
私は母の足元で土下座をした。自分に罰を与えるつもりで首輪ももっときつく閉める。
母はそれを見て安心したのか、いつもの穏やかな表情に戻った。
「いいね。もう鏡を見ようなんておぞましいことは考えるんじゃないよ」
私は何度も頷き、わかりました一切そんなことはしませんと頭を下げた。
母が鏡を持ったまま部屋を出て行こうとしたとき、「ちょっと待ってください」と家庭教師が立ち上がった。
「あなたは僕たちの会話を盗み聞きしていらっしゃったのですか」
「当たり前だろう。見張っとかなきゃこの子がなにをされるかわからないからね」
家庭教師は初めて私を見たときと同じように目を丸くさせる。
「僕をそんな目で見ていらっしゃったのですか。遺憾です。心外です。プライバシーと人権の侵害ですよ」
「これでも大目に見てやっているほうなんだ。この子を街へ連れ出そうなんて思ってごらん、ただじゃおかないよ」
母は家庭教師を不快そうな目で見て出て行った。家庭教師も母に不快そうな目をしていたが、緩やかに表情が変わり、やがて私に微笑んだ。
「勉強しようか」
頷くと、椅子に座る。
それからは静かに勉強をした。家庭教師はなにごともなかったかのように私に振舞ってくれる。
勉強が終わると小さな、小さな声でおしゃべりをした。
話が尽きる事はなかった。家庭教師は私をたくさん笑わせてくれる人だ。
母が怒った後だったので、とても温かい気持ちになれた。街にはこういういい人もいるのだなと思い、ずっと一緒にいられたらいいのにと考えた。
家庭教師が帰るとき、ふとこう言った。
「君の両親は……今国で問題になっているような親だ」
理解できなかったが、いいことを言っているのではないと考えられた。
家庭教師が帰り、家庭教師の言うことを反芻しているうちに日が暮れる。
母の不快にならないようになるべく鎖の音を立てずに階段を下りて、ごはんを作った。
まだ怒っているかもしれないと恐れたけれど、母はごはんを作った私を褒めてくれたので一安心だ。
寝床につくとき、私は自分に繋がれている鎖を見つめる。
金属でも姿を映すことができるというのを思い出したのだ。母に自分の姿を決して見ないと誓ったのに、母の意志に背こうとしている私は腕一本もぎ取られてもおかしくないほどの愚か者だ。
鎖はどこの繋ぎ目も錆で赤くなっていて、結局私は姿を見ることができずに眠った。
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