ズレ

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ズレ

「最近なにか、変に思うことって………ないか?」

ぽつりと、佐藤がこぼした。

昼休みの教室。佐藤はトランプの束を、わざわざ六枚に分けてシャッフルしている最中だった。ババ抜きをするだけなのに、なんで六枚切りなんてするんだ?聞こうか迷っていた矢先に、これだ。

変って、例えば?

私が尋ねると、佐藤は意を決したように口を開いた。

「例え、例えか。簡単なところなら………スマホの電池の減りが速い、とか」

それは単に、端末の寿命が近いだけじゃないか?

私の返しはお気に召さなかったらしい。何の反応も示さずカードを切り続ける佐藤は、少し不機嫌そうな口調で言葉を続ける。

「あとはそう、スマホから話題を繋げていくなら、ある時ある瞬間だけ、電波状況が異常なほどに悪化する、とか」

それは………

それらしい原因が思い浮かばず、言葉に詰まる。でもそれは、そんなことはありふれているじゃないか。日常茶飯事とまではいかないが………むしろ、それが日常茶飯事になるなら、機種を更新するのも………

キャリアショップの店員のような反応しかできない私を遮って、佐藤は話を続ける。相も変わらず、シャッフルを続けたまま、だ。

「………予報外れの小雨が降る夜、雨の中で、どこからか視線を感じた………とか」

それは………

言いかけて、今度は止まらなかった。それは、ないだろ。あり得ない。ストーカー?身に覚えがあるなら然るべき機関へ相談を………

「………昨日の話だよ、お前も一緒にいただろ?気付かなかったのか?」

佐藤はカードを切る手を止め、私をまっすぐに見ていた。その視線に込められた素直な驚愕が、私の背筋に冷たいものを走らせる。

………だから私は、それをすぐに否定した。

あり得ないだろ、ないに決まってる。そんな視線は感じなかったさ。いいやだからこそ、一緒にいた私が感じなかったのだから、そんな視線はただの妄想だと割り切れるんじゃないか。

「………お前は、まあ、自信があっていいよな。時々不安になったりしないか?」

何が?

「昨日物理の授業で取ったノート、見せてくれよ。お前の方にはコリオリの力について書いてあるか?寝てなかったなら、坂本先生が大学時代に………」

いや、寝ていた。ノートも取っていないから、あとで宮本に見せてもらおうと思っていたところだ。でも、それがどうかしたのか?今までの話に何の関係がある?

「俺のノートには、コリオリの力のメモがある。でも中村がな、そんな話はやっていないと言うんだ。あのクソ真面目な中村が、だぜ?赤井や吉村にも聞いたが、誰も地球の南北で渦の巻き方が違うなんて話、昨日の授業じゃ聞いてないって言うんだよ」

話す間も佐藤はカードを切り続けていたが、ようやく作業を終えた。片方のジョーカーを抜いた五十三枚のカードは、綺麗に六つの束に分けられ、て………いや、そんなはずは──

「……そうだろ?こんなはずないんだ。五十三枚の束を六つに分けたら、九枚の束が五つと八枚の束がひとつになるはずなのに」

机の上には、少しの過不足なく綺麗に分かれたトランプが並んでいた。

………いや、なぜ私は慌ててしまったんだ?カードの枚数なんて、見た目だけですぐに判断が付くようなことじゃない。一枚ずつ確かめればいい。大方、三組の内田あたりに貸したときに、同じメーカーのトランプが混ざってしまったんだろうさ。あいつはガサツだから。

「そうならいいさ。そうなら、どれほど………」

「………いや、そうだな、確かめよう。一枚ずつ表にして。順番に並べていこう」

こうして、六つの束を半分ずつ、私と佐藤で確認していく作業が始まった。

さっきの口ぶりからして、佐藤は最近、こういったミスを繰り返しているのだろうか。普段の佐藤には、うっかり屋のイメージはない。今度は私から話題を切り出すことにした。

なあ、こういう『数え間違い』や『勘違い』は、いつから増えだしたんだ?

佐藤は私を一睨みしてから、言葉を返す。

「………ああ、そうだな、こういう『数え間違い』に気付いたのは、三日前からだ。そして『数え間違い』をするのは、これで二十回目だ。自室や空き時間に、何度もこうして切ってみた。トランプだけじゃない、ウノとか、他のカードゲームでも試した。昨日はクリップでも試してみたよ」

………それで、結果は?

「場合によりけりだが、計算が合わない結果になったのは共通してる。クリップが一番わかりやすかったよ、カードと違って重ならないからな」

わかりやすい?

「そう、ひとつ、ふたつ、と数えていくうちに、数が分からなくなる。自分が数えているクリップは何個目だったか?メモに数を刻みながら数えても、客観的な事実と主観の認識にズレが生じて、どんどん噛み合わなくなるんだ。つまり、口では二十五個目のクリップだと言えるのに、頭でそう認識できない」

それは何かの病気なのでは?という私の、本心からの心配を無視しつつ、佐藤は続ける。

「………根拠も論理もないから、ただの妄想でしかないが………もしかしたら、俺は、大きなズレに巻き込まれているのかもしれない」

ズレ?

「そう、ズレ。よく言われる異次元、のような………何かの理由で、俺と俺の周りの限られた事象だけが、なんていうか、別の位相に引きずり込まれている………みたいな。昨夜の視線も、別位相に引きずり込まれた俺の精神が、元の位相に残り続ける肉体を見ていたと考えれば説明がつく。そう、いわゆる幽体離脱のような………」

そんなバカげた話があるものか、と言いかけたところで、ようやく全てのカードを並び終えた。

余りなく六等分されていた五十三枚のトランプが、一枚の過不足なく整然と並べられていた。

私は絶句するしかなかった。確かにさっき………いや、違う、そこじゃない。問題点はそこじゃない。そもそもだ、私はどうしてあの時、あの六つの束を見た途端に、それが『有り得ない状況である』と瞬時に把握できた?いまこうしてスートごとに並べられたトランプを、数えもせずに五十三枚であると認識できた?

………わかった、ちゃんと一枚ずつ数えさせてくれ。震える私の声が、自分の背後から聞こえた気がした。クローバーのA、2、3、5、あれ?4、5、9、8、7………数えていくうちに、視覚情報と脳の認識がズレていく。

「明晰夢って知ってるか?」

また、こんな時に関係のない話をしないでくれ!

「意識を保った状態で見る夢、それが明晰夢だ………が、実はそうではなく、意識だけが全く別の位相、異なる世界へ接続されてしまう現象を、夢として解釈しているのが明晰夢である………なんて話もある。疑似科学だけどな」

佐藤の声がどこから聞こえているのか、わからなくなってきた。五十三枚のカードが五十四枚に重なって見え、私の席が遠くへ離れていくような錯覚に陥る。いや、離れていくのは私の頭?空間が球状に膨らんで奥行きを増していき、平衡感覚を喪う。佐藤の方を見ようとしても、視線は合っているはずなのに、左藤は私と目を合わておらず、私は手で佐勝を掴もうとしても、私は利自身の静神が視界を脊後に五十参枚の整然とズレていくのを惑じて

「………どうやら、ダメみたいだな」




チャイムの音で目が覚めた。

せっかくの昼休みを眠り呆けてしまった。おかしな夢のおかげで寝覚めも最悪だ。佐藤だなんて居もしないクラスメイトの夢を見るとは、疲れが溜まっているのかもしれない。

私は不愉快な悪夢を記憶の彼方へ押しやりつつ、なぜか机の上に整然と並ぶトランプを片付けはじめた。




ズレ/諸井込九郎

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