第9話
「……嘘だろおい」
「ふふっ。私の家がお金持ちだって忘れていたのかしら?」
一般庶民が暮らす閑静な住宅街に佇むこれと言って特徴のない我が家の前に、黒くて長い車──リムジン──が止まっている光景の違和感凄まじいな。
当然と言えば当然なのだが月影がコレを運転している訳ではないから運転手と思われる白髪オールバックで執事服を着ている爺さんがドヤ顔の月影の隣に立って客人認定の俺なんかに頭を下げているのが凄い心苦しい。
「それにしても残念ね。寧暗君の事だから寝過ごしてくれると思ったのだけれど」
「あんな脅しされれば起きるさ」
「黙っていれば良かったかしらね。ところでご両親はご在宅かしら?今日一日、君を借りて行くからご挨拶ぐらいはしておきたいのだけど」
「……車庫に隠れてるぞ」
「ちょ!……あはは、えっと寧暗と仲良くしてくれてありがとうね。まさかこんな凄い子だとは思わなかったけど」
前日に月影が来ると話したら俺が友人と遊びにしかも休日に出掛けるなんて、初めてだとウキウキで挨拶すると言っていた癖に案の定、仕事で朝帰りとなったこの母親はリムジンと紙一重のタイミングで帰宅したせいですっかり出るタイミングを失って車庫の柱に隠れてチラチラこっちを見る不審者になっていた。
「いえ、私の方も寧暗君は色々と面白い方でとても楽しい日々を送らせて貰っています。お母様」
「あら、あらあら……私達が仕事ばかりで相手をしてやれなかったせいか、内気で自分の世界で完結しちゃう子だけど貴女みたいな子に好かれてるのなら良かった」
俺よりは幾分か生きてる目に薄らと涙を浮かべる母さんを見ると、特に直すつもりはない自分の性というものを反省する気は起きてくる。
両親揃って仕事ばかりの日々であり、碌に食卓を囲んで同じ飯を食べた記憶もないがそれでも親というものは確かに子を愛しているのだと分かれば余計な心配はかけたくないと思う。
「これなら孫の顔を見れる日も早いわね!」
「……そういうところだぞ母さん」
浮かべていた涙は何処へと呆気からんとした笑みを浮かべる母親のデリカシー皆無な言葉に芽生えた反省が一気に消し飛ぶ。
「気を悪くさせたらすまん。月影」
「大丈夫よ。寧暗君、ふふっお義母様のご期待に応えないとね」
「んんっ!じゃあ、俺達はもう行くから。しっかり休めよ母さん!!」
この状況で悪ノリされ続けたら絶対に俺だけじゃ収拾が付かないし、どう足掻いても俺が一番面倒な立場になるのは確実だ。
背後から感じる生暖かい視線と、前から感じる楽しんでる視線を無視し月影の背中を押してリムジンの中へと入るとそこはもう、完全に別世界だった。
一面、ベージュ色で車とは思えないまるでソファの様な椅子達に加え、俺達二人分にしては量の多いドリンクが並べられており勢いよく月影の背中を押したは良いが、車内で完全にフリーズしてしまう。
「驚いた?」
此方に振り返った彼女は悪戯が成功した子供の様なあどけない笑顔を浮かべながら、俺の手をゆっくりと引きソファへと共に座る。
「すぐ終わるでしょうけど大人達の話が終わるまで待ちましょうか」
「……ん、あぁ。そうだな」
何かがあれば責任問題だもんな、子供達の手前そういうのは隠したけど保護者だけとなれば変わってくるか。
互いに頭を下げ合ってる大人達を横目に月影が何処からどう見ても、シャンパングラスにしか見えない器にこれまた赤ワインみたいな色をした葡萄ジュースを注いだのを確認する。
「なにこれ」
「私の好きなブドウジュースよ。間違ってもお酒じゃないから安心して」
「そこは疑ってねぇよ?」
「なら頼んでもないのにってことかしら?あのね、寧暗君。流石の私も自分一人で飲み物を独占するほど我が儘じゃないわよ」
「月影が我が儘じゃない……?お前、一度鏡を見てきたらどうだ?」
「なるほどね。これは道中、たっぷりと話し合いが必要かしら」
いやいや、お前ここ数日の自分の行動を鑑みてみろ?俺がどんなに断ろうとしても押し切ってくる様は何処からどう見ても単なる我が儘でって、待て待て性格は兎も角、面が良いお前が無言で凄むと圧が凄いんだって!?
「ごっ!?」
「……全く」
後にも先にもブドウジュースで溺れかけた経験をした事がある人類は俺だけだろう……
「おぉ……」
車で揺られ続ける事、二時間程度で辿り着いたのは澄んだ青色が何処までも広がる海岸であった。
シーズンを過ぎているのもあって、人は少なく居たとしても静かに散歩をしている程度で普段、賑やかな人混みの中にいるせいか心が落ち着くのを感じるな。
「じゃあ、後はよろしく」
「はい。お嬢様」
降りた俺と月影の二人を置いて、乗って来たリムジンは何処かへと走り去ってしまった……え?置き去り?
「月影?」
「心配しなくても大丈夫よ。折角のデートなのに邪魔されたくなかっただけ。それに目立つしねあの車」
「じゃあなんでリムジンにしたんだよ」
「あら。寧暗君の驚く表情が見たかったからに決まってるじゃない。変に事を聞くのね」
その為だけにリムジンを手配するとか……やっぱり月影の感性はズレてんな。
だがまぁ、乗せられて来た以上我が儘を言う事も出来ないから此処は黙って受け入れるが。
「……」
「ふふっ、それじゃ観光をしましょうか。目的のものは夕方ぐらいだしね」
俺の手を取り歩き出す月影の後姿はいつもの見慣れた光景ではあるが、普段感じることのない潮の香りと頬を撫でる海風が彼女の黒くて長い髪を微かに持ち上げ、弾ませているせいだろうかなんだかとても楽しげにしている様に見え、妙なこそばゆさを感じた俺はほんの少しだけ歩く速度を上げて隣に並ぶと視線を向けられた。
「そんなに急がなくても街は逃げないわよ寧暗君」
「別に良いだろ。アレだ、少し歩きたくなっただけだ」
「ふふっ、変な寧暗君。これからたくさん歩けるわよ」
隣に並んだというのにこそばゆさは消えること無く、繋いだ右手からゆっくりと伝わってくる冷たい風に負ける事のない暖かさが何故か無性に胸の奥を騒がしくする。
歩きたくなったというのは別に嘘ではないが、月影に誤魔化す言葉を発したのは初めてで俺自身でも何故、誤魔化したのかはさっぱり分からない。
ただ、本当になんとなく俺なんかの手を引っ張って、心底楽しそうに歩く月影の後ろ姿をこれ以上見ていたら何かが保たない様なそんな気がしたかららしくない誤魔化しを口走ったのだろう。
「……貴方もそういう一面があるのね」
高鳴る心臓の音が五月蝿すぎて、小さく呟かれた言葉は聞き取る事が出来なかった。
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