妖精の選択
MACK
前編
「イェンス様、やはりこんな事はやめましょう!」
「うるさい! 俺はおまえの手足だけが必要で、茶色のボサボサ頭の中身はいらないんだ。逆らう事しか言わないならば、その口も縫いふさいでしまうぞ」
主人は淡い金髪とアイスブルーの瞳の持ち主で見目は美しいが、世襲の貴族らしい傲慢さと強引さの我儘に仕えた二年間の毎日を思えば、尊敬の気持ちも忠誠心も生まれるはずがない。
しかし両親を失い十四歳で天涯孤独となったロニーにとって、十歳年上の若き伯爵の召使として得られるわずかな収入、粗末でも衣食住の揃う環境を捨てるわけにはいかず、命ぜられれば従う以外の道はない。
「この辺りか。仕掛けろ」
「はい」
気乗りはしないがロニーは年の割に恵まれている長身を活かし、木の枝から枝に蜘蛛の魔物から採った粘り気のある頑丈な糸を渡す。自然の蜘蛛の魔物が渡したように、丁寧に幾何学的に織り上げるように組み合わせる。
「よし、それでいいだろう。明日が楽しみだな」
「はい」
さっさと愛馬に騎乗して帰途につく主人の後ろを、背を丸めてトボトボとついていく。何度も何度も振り返って願う。あの罠に、妖精がかからないようにと。
* * *
帰宅して、ろくにかいてもいない汗をたっぷりの湯で流し、イェンスはご機嫌な様子でワインを口にしていた。
ロニーは主人が眠りにつくまで、飛んでくる命令に応じるために部屋の端に控えている。今日の主人は饒舌だ。
「精霊の加護がある領は豊かになる。より多くの精霊に、そして確実に我が伯爵領に来てもらうには、やはり策略のひとつぐらいは繰り出さないとなあ。何匹かかるか楽しみだな」
「うまく、行くでしょうか。森の近隣の村には”人は妖精と関わってはいけない”という掟があると言います。何か恐ろしい事が起こるのでは」
「はっ、図体だけの臆病者が。そうか平民は知らないんだったな。特別におまえには教えてやろう。妖精と呼んでいるモノが生まれたばかりの精霊であるという事ぐらいは知っているんだったか」
「はい」
「満月の夜に変態し成体になるのだが、妖精はその際にふたつの選択肢を持っているのだ」
「精霊になる以外があるんですか!?」
驚いたロニーを見て、期待していた反応がかえってきた事に満足を覚えたイェンスは大きく頷く。残ったワインをぐっと飲み干し、グラスを差し出す。ロニーは慌てて次を注いだ。それを光に透かすようにゆっくりとまわして眺め、もったいぶるように口に含み、時間をかけて味わってから飲み下し、ロニーを焦らす。前のめりで話の続きを期待する少年を見てると、愉快な気分になる。
「なんと、だ。人間になる事もあるらしい。妖精が自分で、精霊になるか人間になるかを選ぶんだと。人が関わってはいけないというのは、妖精が人に好意を持つと人間になる事を選ぶ事が多いからだ」
「えっ、そうなんですか!?」
最近になって瞳の奥底に反抗心のようなものをチラつかせはじめた少年の、素直な感嘆の声に満足感を得る。
「明日が楽しみだな」
* * *
イェンスの計画はこうだ。
蜘蛛の魔物の巣に引っかかってしまった妖精を救う。
恩を感じてくれれば、変態の時に精霊を選ぶ事になれば伯爵領に加護を与えに来てくれるだろう。もし好意を持たれれば人間になるだろうが、妖精も精霊もとても美しい姿をしているから、人間になった場合も期待できる。連れて帰って召使にでもすればいい。
もし罠を仕掛けたのが人間だった事を知られ、人ならざる者の怒りに触れても糸を仕掛けたのは従僕のロニーであるから、呪いは自分にはかからない。呪いがあるという事は哀れな召使には教えてやらなかった。妖精の羽根の鱗粉の呪いを受ければ、全身くまなく爛れ、端から腐るという。無学で哀れな少年が怖気づかないよう、あえて教えなかった。
失敗しても己の損には一切ならない。
嬉々としてロニーを従え、森の中を馬で行く。罠が見える場所につくと、伯爵は音高く舌打ちをした。
「一匹か」
ロニーが馬の後ろから覗き見ると、両掌ぐらの大きさの虹色の美しい蝶の羽根が糸に絡まっているのが見えた。
「おまえはここにいろ」
「はい」
素直に膝をつく。夕べあれほどご機嫌だったのに、寝る直前、酔って自分がワインを夜着こぼしておいて召使のおまえが悪いと理不尽に鞭打たれた。彼はそういう主人なのだ。妖精がひどい目に合わないように祈るしかない。
心配をよそに貴族らしい優雅な仕草と微笑みで、イェンスは妖精に近づく。
「おや、これは魔物の糸ではないか。なんとかかっているのは妖精か!」
「たすけてください、旅の方」
主人の芝居がかったセリフと澄んだ美しく可愛い声はロニーの耳にも届いた。水晶のような声をしていると聞いた事はあったが、思わず聞きほれる。
若き伯爵は何食わぬ顔で、ねばついた糸を妖精から丁寧に外し、彼女を自由の身にした。
「ありがとうございます。蜘蛛の魔物が不在のうちに逃げられる事ができました。あなたはわたくしの恩人です」
「いえいえ、妖精をお助けするのは精霊の加護に頼り生きる人間の義務」
うやうやしくお辞儀を見せ、自分の美しい見目を理解している男は一番魅力的になるように微笑んでみせた。妖精は頬を赤らめた。
「わたくし、次の満月が大人になる日ですの。お名前をお聞きしたいですわ」
「この森からふたつ離れた湖の傍の領を治めます、イェンスと申します」
ちゃっかり自分の所在地を知らせ、立ち去る妖精を見送ったイェンスは馬とロニーの場所に戻って来た。
「一匹だが美しい妖精だった。満月が楽しみだな」
ロニーは妖精がこの伯爵に騙される事なく、煩わされずに精霊となってどこかもっと良い人が治める領に行くよう、心から願った。
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