11.二つの不審死
疑ってやまなかったアイドルへの呪いが、現実に存在した――。
動画配信は花音アンナの凄惨な現場をしばらく映していたが、通報を受けた配信アプリ企業によって強制終了された。
真っ黒な画面に「この配信は終了いたしました」の白文字だけが浮かぶ。
高柳田氏は私を気遣ってくれ、「すぐに帰った方がいい。今日はもうこのことは考えるな」と言い、解散となった。
初稿を編集長へ送っておいてよかった。
あの場面を見てしまった後では、とても原稿など書けたものではない。
*
花音アンナが配信中に死を遂げたことは、その日のうちにネットを駆け巡った。
こうして部屋に戻っても、化粧台に血塗れで突っ伏した花音アンナの姿が頭から離れない。
きっとファンは悲しみどころではないだろう。
私が責任を感じることは何一つないし、事前にわかっていたとしても防ぎようもない事件のはずだが、悔しさが心にじわじわと広がっていく。
もし、呪いにかけられたアイドルが高柳田氏の予想通りとするなら、これから私に何かできることはあるだろうか。
呪いのことをアイドル本人や運営に伝えても、とりあってもらえる可能性は低い。
ターゲットにされる行動があるなら、それを止めさせるか、生命力をもって呪いに対抗してもらうしかない。
もっともこの生命力による対抗は今ひとつ根拠のない話なのだが。
とりとめのない考えから抜け出したくて、カバンからワイヤレスイヤホンを取り出し、ペガサス★しゅ~ずのプレイリストを爆音で再生する。
不意にボリュームが下がり、スマホのAIが菊名編集長からの通知を読み上げた。
*
リモート会議アプリ経由とはいえ、マンツーマンで編集長と話すのは緊張を感じる。
編集長はサバサバしたところがあって、今やっている都市密着型カルチャー系ニュースサイトの『@シティポップ』以外にも、いくつかのジャンル特化型サイトを運営し、ニュースサイト冬の時代と呼ばれる今でもきっちり黒字化している。
知る限りではあるが、ライターを信頼して得意分野を任せることで特集や記事の品質を上げているだけでなく、メディアの作り方、流行らせ方、広告企画の進め方が上手いのだと思う。
それ以外にも、物販サイトへ誘導する広告系のサイトをいくつも持っていて、早期にAIを導入して大量に記事を作成するワークフローを作り、質を重視する情報サイトと、量を重視する広告サイトを両立したのだという。
元はオシャレな店を美女モデルを使って紹介するタイプの一時期流行った雑誌の出身だというから、生来の才能もあるのだろう。
そんな豪腕な編集長から、ライブレポートの原稿について「及第点ね」と言われた。
もちろん、最上級の褒め言葉としてではない。
「短期間で随分アイドルへの解像度を上げてきたって感じする。だけどまだ尖り足りないっていうか、包み隠さず言えば他社さんのサイトのライブレポと大差ない。要領良く書いたでしょ? せっかく現地へ行ったんだから、思い入れをちゃんと込めて、独自視点で突き抜けたほうが、こういうのって面白くなるから」
図星だ。
二時間で書き上げたのを見透かされている。
それに、美咲みつきに注目しすぎるのは公私混同だと思って、突き抜けられなかった。
何かに書いてあった「推しは推せるときに推せ」という言葉が思い浮かんだ。
結局原稿は、若干の修正をもって『@シティポップ』に掲載されることになった。
もちろんライター名は「さくまお」でお願いした。
「他の記事も振っていこうとは思うけど、並行して湾岸アイドルフェスティバル特集の構成案、作って出してみて。もちろんアイドル系やってる他のライターにも協力してもらうつもりだし、カメラマンもアサインして、いつどのアイドルのステージに誰を張り付けるかってとこまで考えてほしいから、それも含めた段取りもね。案ができたら、それたたき台に予算配分含めて検討しましょう」
「ありがとうございます!」
美咲みつきに出会ったことで、第一関門を突破できたようなものだ。
出会う前は、アイドルの記事なんて、いずれ私の目指すところへ行くための踏み台だと思っていた。
でも今は、私の中で生活と一体化しかけている。
これぞ推し活だ、なんて浸っていると、編集長が神妙な顔をしているのに気づく。
「あの、やはり私では不安なところがある感じでしょうか?」
「ううん。真央ちゃん、こんな話をするのも何だけど。私のところでアルバイトしてくれている間は、あなたに色んな事を覚えてもらって、取材や記事を書くだけじゃなく、段取りの技術や交渉の仕方も身につけてもらって、早くジャーナリストとして独立できるようになって欲しいって思ってる。ウチの『@シティポップ』じゃ、あなたのやってみたい政治の記事はなかなか載せられないから、いずれ窮屈になると思うし」
「覚えててくれたんですね、政治記者になりたいってこと」
「当たり前でしょう。『全然ジャンル違っても雇ってもらえますか』って言ってきたの、真央ちゃんなんだし。色々話してくれたじゃない、面接のとき」
そうだった。
バイトの面接で初めて編集長に会ったとき、この人に認められたいって思って、ありとあらゆるアピールをしたのだった。
高校時代に十八歳で選挙権を与えられ、その時に誰に投票したらいいか迷ったことから、自分のような若者にも政治や社会の情報を届けるメディアの必要性を痛感した。
いくつかの選挙で投票を経験したが、SNSに流れてくる候補者の情報にはゴシップも多く、紋切り型の言動で歓心を得るためにネットを使う候補者もいれば、恣意的に切り取られて批判される候補者もいて、情報を受け取る側のリテラシーも試されていると感じた。
減税なんてできっこないのにできると言ってみたり、陰謀論を掲げてみたり。
そういえば、私が小さい頃に「日本の政治には埋蔵金がある」なんて言って政権を担ったところがあったけど、結局そんなものはなかったし、あれと同じようなことを十五年経って繰り返している。
みんな忘れっぽい上に、たいした情報も得ていない。
閉塞的なSNSで友達相手にぼやいているだけでは、なんの意味もなかったし、だから一刻も早く、ブレない価値観で発信する側に回りたかった。
「窮屈なんて思っていません、編集長にそうおっしゃっていただけて心強いです。いい経験をさせてもらっています」と答えた。
これは本心だ。
「こんなこと考えたことないかもしれないけれど、あなたがこの先、ジャーナリストとして政治や社会を扱っていこうっていう時に、真央ちゃんくらい可愛いとね、女性性を武器にしなくても、勝手に相手のほうがそう受け取る。女だからと見下したり、何かの見返りに身体の関係を求めてきたりね」
さっきの神妙な顔は、その角度の心配だったのか。
意外だった。
菊名編集長は十分に成功しているように見えて、女性ならではの苦難の道があった、ということなのだろうか。
「今のところは、大丈夫です! もし何かあったら編集長にすぐ相談するようにします」
女だから、若いからと、勝手に外側からの評価が上下するのは、わかっているつもりだ。
「そうね。真央ちゃん、気は強そうだから心配は無用だったかな。でも、突っ張ったら突っ張ったで、フェミニズムを振り回しているとレッテルを貼られて疎まれる。そういうややこしい世界なのよ。愛想を尽かさずに、我慢するとか耐えるとか、そういうのではなく向き合い続けていけば、きっと、掴みたいものが掴めると思う」
「女性
きっと、女性であることやその性質を武器にしてしまうと、振るっているつもりで、自ら振り回されることになる。
編集長は振り回された側なのか。
もし女性性を縦横無尽に振るえたとして、使いこなせる人がいるとしたら、それはアイドルくらいしか思いつかない――。
「アイドルの取材や特集をお願いしたのは、なるべく明るい現場から始めてほしかったから。だって元気出るでしょ? フェス特集の企画、頑張って。私はね、バツイチってのもそうだけど、色々とうまくできなかった。その成れの果てだから。あなたには違う景色を見ていってほしい」
「私からは、編集長は成功者に見えます。こんなこと言ったら失礼かもしれないですが、ロールモデルとして参考にさせていただいてます。これからも」
「そう、ありがとう。真似しちゃいけないところは、じきに教えるわね」
リモート会議の終わった真っ黒なウィンドウに、疲れきった私の顔が映りこんでいる。
花音アンナの事件の話をしないように抑えていたのもあるが、編集長の話も正直ちょっと重かった。
***
翌日、大学へ行ったついでにアイ研の部室を覗く。
伊万里さんがいたので高柳田氏が来ているか聞いてみたが、今日はまだ顔を出していないという。
高柳田氏には名刺を渡しただけだったため、こちらから連絡する手段がなかった。先日受け取った同人誌の奥付にはアイ研のメールアドレスは書かれていたが、個人の連絡先は書かれていなかったのだ。
伊万里さんは「困りましたねぇ」とあざとく手を頬に当てて首を傾げた。
「もし差し支えなかったら、ここにDMしてって言ってもらえますか」
私は名刺にボールペンでSNSのアカウント名を書いて伊万里さんに渡した。
「わかりましたぁ。あ、でも先輩はOB接待に行くって言ってたんで、今度の六本木のイベントには行くんじゃないですかねぇ」
「OB接待って何ですか。飲み会?」
短絡的だが接待や六本木というキーワードからはそんなことしか思い浮かばなかった。
「アイドルのライブイベントに行くやつです。いくつかのアイドルさんが出るんですよ。けっこう年上のOBも何人か来るみたいで、週末だったか、来週だったか」
「その前には会いたいんですが、部員の人なら連絡先知ってますよね?」
「すみません、わたしはちょっと先輩の連絡先までは知らないです。チームも違うんで連絡用のグループにも入ってないし……」
「他に連絡先知ってる人いますか?」
「先輩の学年の人なら知ってるかなぁ。聞いておきます」
「お願いします」
話を終えようとしたが、伊万里さんがなんだかもじもじしている。
「あのぉ、もしアイ研に入るなら、コピーダンスとオリジナルアイドルのどっちのチームに入りたいですか? だってなんていうか、メロいっていうか、一緒にやれたらなぁ、って」
「ほんっと、私、そういう系じゃないんですよ、すみません……」
伊万里さんは「そうですかぁ」と残念そうな顔をして部室を出る私を見送ってくれた。
*
高柳田氏に会うアテが外れたので、後回しにしていた母への電話を先にする。
『どうしたの? 真央から電話してくるなんて珍しい』
「お母さんの実家のあったS市って、桜にまつわる伝説やゆかりの場所みたいなの、ある?」
『どうしたの、急に。行ったこと、あるじゃない。忘れちゃった?』
「なんかあったような、なかったような、って思ってて」
まったく忘れていたが、その先が聞きたいだけなので適当に答えた。
『あなたが小さい頃に二回は連れて行ったことあるはずよ?』
「二回?」
『桜町の家に生まれた女の子は、七五三に合わせてお参りするのよ。だから三歳と七歳の時。桜にお願いして無病息災でありますようにって。それ以外にも行ったことはあったと思うけど』
「そんなの全然知らない。お参りって神社か何か?」
『S市の東の土手、T川のところね。大きな桜があったの覚えてない? そこに小さいお
「うちの家ってその桜に何か関係あったりする?」
『そりゃ桜町の本家はあのあたりだし。ご先祖様が苗字にしたくらいだから、何かはあるでしょうよ』
「もっと詳しいこと知りたいんだけど」
『お社のところに駒札が立っててそれに何か書いてあった気はするけど……。今もあるのかしらね。ほかに桜の
「ありがとう。もし何か思い出したら教えてほしいの。え、あ、何でって、社会学の授業でちょっと郷土の伝承みたいなこと書かないといけなくて……」
まさかアイドルの呪いとは言えないので、理由はでたらめを伝えた。
花音アンナの件で有耶無耶になってしまい、高柳田氏から桜について聞きそびれたままなのは残念だ。
確か彼の実家もS市だと言っていた。
そこから都内のJ大学まで通ってきているのか。
***
それから二週間――。
授業や課題やフェス企画提案書の作成で慌ただしくしていたこともあり、アイ研を訪問する暇もなく、高柳田氏からの連絡もついに無かった。
無かったというか、伊万里さんに伝えておいたSNSのアカウント宛てに高柳田氏と思われるIDからのフォローがあったが、「ドルオタさんですか?」と尋ねた私のメッセージはずっと既読にならないままだった。
そのIDのタイムラインを覗きに行くと、日々投稿がされていて、推し活に励んでいるさまが手に取るようにわかった。
連日どこかのアイドル現場へ行ってのチェキ報告や、週末にはアイ研の仲間やOBと思われるオジさん達とのライブハウス前での記念写真がアップされていた。
だがそれも、先週までの話だ。
今週に入ってからは投稿が一切ない。
ブロックされているのかと思ったが、そうではなかった。
もしかしたら、呪いについて追究することは諦めたのかもしれない。
先日会ったときに高柳田氏が言っていた「真実を知った人間って、呪いの主体にとって邪魔だからな。邪魔者は消される」という言葉を思い出す。
実際に現役のアイドルが、見ていた配信の中で亡くなったんだ。
手を引きたくなるのは当然の気持ちだろう。
けれど、そのままだと美咲みつきがいつかは――信じがたいが、彼女の生命力が弱まった時に――呪い殺されてしまう。
それは正直困る。
私は呪いの件を諦めてしまうことはできない。
再びメッセージを送ろうとスマホを取り出した瞬間、
まさにそのIDからDMが届いた。
私はそれを見て、息を呑んだ。
『大輔の母です。突然の連絡失礼します。大輔が死にました。貴女にメッセージしろと伝言が残されていたので連絡いたしました。警察から連絡があった場合はお手数おかけしますがご協力ください。死に不審な点があるとのことです。もし警察の言っていることがよくわからなかったら、ご連絡ください』
(続く)
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