第12話 早乙女たちの到着

井原の村に、今年も早乙女さおとめたちがやってきた。


早乙女とは若い女性たちの集団で、

農繁期のムラからムラを転々とし、

農作業の手伝いをすることを生業なりわいとしていた。


この集団の主は早乙女巫女さおとめみこと呼ばれる女性で、

曲がりなりにも政治と宗教が分離されていたムラの社会と異なり、

純粋な宗教の活動だった。


早乙女たちが派遣される流れも特徴的で、

一括先払いで村々から早乙女の

本拠のムラまで寄進きしんの形で貢物を提供し、

その恩恵として早乙女たちが派遣されるという仕組みだった。


早乙女たちが手伝う期間の滞在費用も

全て呼んだムラ側の負担であったが、

手が足りない農繁期に手を貸してくれ、

周囲の村から中立的である早乙女は

ムラの長たちからは重宝がられた。


また、もう一つ別の目的もある。

それについては今後描いていく。


早乙女の一行は、8人抱えの立派な輿こしを先頭に、

乙女たちの行進がしずしずと続く。

目の覚めるような鮮やかな同じ柄の紺色の衣に山型のかさ

脚絆きゃはんを縫い付けた足袋(たび)姿で統一されており、

大変見栄えがするものだった。


一行をムラ人総出で出迎える。

輿は神殿前のタカクラジ、オババの前で止まり、静かに地面に降ろされる。

中から現れた女は――


「すっげえ美女!」

「あれが噂の…」


早乙女巫女本人だった。


「今年もお日柄よく、賑やかにお出迎えくださり、

 感謝いたします。ご機嫌よろしゅう」

「ようこそおいでくださった。これで今年も安泰あんたいじゃ」

「いやあ、大儀たいぎ、大儀。長旅お疲れであろう。

 準備は整っているので、母屋で休まれよ」

「お気遣い痛み入ります」


その日はムラ総出の夕食会にとどめ、

夜這よばい遊びもつつんで皆早々に寝入った。


輿(こし):

 人が座って移動するための乗り物。車輪はついていない。

 前後に人が担ぐための長い竿が差されており、

 通常2人または4人で肩に担いで移動していた。

 早乙女の巫女の輿は女性が担いでいるため8人輿としている。

 見た目の優雅さと裏腹に、大変揺れがひどく車酔いしやすいらしい。


笠(かさ):

 日除け、雨除け用のかぶり物。

 竹ひご、イグサ、ワラ、菅(すげ)の葉などで編んで作られた。

 戦国時代には薄い鉄板を漆で継いだ構造の陣笠が大量生産され、

 盾代わりにされたり鍋代わりにされた。


脚絆(きゃはん):

 脛(すね)に巻き付ける履物の一種。

 足の疲労を軽減し転倒時のけがを防止する役割がある。


田植え:

 弥生時代に苗代なわしろづくりと田植えが行われていたかは議論の余地がある。

 万葉集に収録された和歌には田植えの言及よりも播種はしゅの言及のほうが

 はるかに多く、古代においては播種のほうが主流だったことが伺える。

 一方、岡山県原尾島遺跡では約1800年前の田植え株跡が

 発見されており、地域によっては古くから田植えが行われていたと見られる。


早乙女:

 若い女性たちが集団で近隣の集落を巡り、

 畑仕事を手伝って回った風習、人々。

 人の出入りが厳しく制限されていた江戸時代においては貴重な出稼ぎ仕事の手段であり、一時的な口減らしであり、男女の出会いの場でもあった。

 一部は歩き巫女などと呼ばれ一種の固定身分となり、諸国を練り歩いて年に一度本社に帰参するという放浪生活を送るものもいた。

 早乙女の風習は機械化によって農繁期の人出が

 不要になるまでの昭和の時代にも存在しており、

 そのありさまは宮本常一著『忘れられた日本人』に活写されている。

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