第2話 サクヤ、巫女になる

一人の少女が、地面にひざまずき必死に祈っている。


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川の堤が壊されてしまい、田畑に水を引けません。

神さま、どうしたらいいでしょうか。

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祝詞のりとを唱え終わり、返事を待つ。

サクヤの心の中でコマのような回転体が高速に回転し、

軸が少しずつ向きを変えていくイメージだった。

そこへ。


ザッ


という耳障りな雑音が一瞬聞こえたあと、ラジオの周波数を

合わせたように急に耳慣れない音楽が聞こえてくる。

サクヤがそっと顔を上げると、目の前に神さまが居た。


(ええええええぇぇぇー!?)


桜色に輝く長い髪。

ふっくらしてぷにぷにしてそうな顔。

見たこともないほど白い衣。

目を引く鮮色の長いはかま


まさに常人とは思えぬ姿だった。


(ふわあああぁ♡ 素敵!!)


思わずサクヤはときめいてしまうのだった。

そんな可憐かれんで神秘的な存在としばし見つめ合う。


サクヤの気持ちを知ってか知らずか、

神さまはこちらに微笑むと、声をかけてくれた。


『にゃっはろ~』


言葉が通じなかった。



九州北部、後の筑前ちくぜんと呼ばれる地域にサクヤという娘が居た。


生まれは貧しかったが利発で見目麗みめうるわしく、周囲の若い者たちは

サクヤが成人する日を楽しみしながら可愛がっており、

その折には我こそと夜這よばい解禁後の算段を早くも始めるのだった。


だがそんな平凡な日々は唐突に終わりを告げる。

まだ肌寒い春先のこと、霧深い朝ぼらけにズドンと大きな音が鳴り響いた。


すわ何ごとかと若い者たちが家を飛び出し周囲を確認すると、

白く輝く矢羽根の矢が、寝屋の鴨居かもいに深々と突き刺さっていた。


無論、サクヤの家である。

男たちは集まり、口々に騒ぎ立てる。


やれどこから飛んできただの。

やれ見張りはどうしただの。

いやはや見事な矢だ、誰が作ったんだろうだの。


そこへいち早く察した若者がいた。


もしかしてこの矢、ヤバイ奴なんじゃ…。


鴨居に刺さった矢を手でつかみ強引に引き抜こうとする。

だが矢尻も見えぬほど深々と刺さった矢は容易に抜けぬ。

ムキになって男は両手でぶら下がるようにして遮二無二しゃにむに取り付いた。

だが家ごとギシギシ揺れるだけで抜ける気配がない。


たまらず家人が起き出し、出てきて開口一番。


「あれ、シロヒコじゃん、どうしたの? ってかうるさい」


サクヤだった。

シロヒコと呼ばれた若者は、挨拶もそこそこに矢との格闘を続けている。


「何としても、この矢を引き抜いてやらないといけないんだ」

「どうしても?」

「ああ、どうしてもだ」

「そこまで!」


あとからやってきた恰幅のいい男が、通る声で周囲の騒ぎを鎮める。

ムラの代表者であるタカクラジだった。


「シロヒコ、見せろ」

「くっ…」


シロヒコはどこか悔しげだったが、逆らうわけにもいかず場を譲った。


「これはまさに常ならぬ白羽の矢。ここに居る皆も相違はないな?」


皆、うなずく。

シロヒコは沈黙していたが、やがて力なく首を縦に振った。

サクヤは無表情で一同の様子を眺めていた。

恰幅のいい男は重々しく頷き、告げる。


「よし、掟に従い、この家の息女であるサクヤを巫女と定める。

 入内の日は追って知らせる。身を清めて待て」


こうしてサクヤはムラの巫女となった。



※入内 朝廷に出仕すること。ここでは巫女としての修行開始を意味する

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