湖畔に佇む恋多き死よ

無頼 チャイ

死のミューズ

 ◯月□日。

 俺が弱っていく中、彼女は献身的に接してくれた。手を伸ばせば包んでくれる彼女の手の温もりに、鈍くなる思考の中、彼女の存在を心で噛み締める。砂糖をまぶしたような幸福に、身動きが取れないことも忘れて、今日も、俺は幸せだった。

 彼女の側にずっといたい、日が過ぎるごとに溢れるばかりの思いがさらに強くなっていった。

 とある綺麗な湖の側で、彼女が俺を見つめていたのに感謝している。最初こそ、無視ばかりしてしまったが、こうして、天使のような微笑みを向けられると、なんて馬鹿な事をしていたんだろうと思う。

 濡れたように艶めく優しい金髪。海の宝石を嵌め込んだような美麗な瞳。女神のような美貌に、口元にはいつも微笑みを湛えて、柔らかでか細い指を伸ばしては、俺の手を絡め取り、静かに身を寄せる。

 けれど今は、まるで雨の続く日々みたいな、不安そうな顔をして、植物のように横たわる俺の身体を、毎日丁寧に拭ってくれる。

 申し訳ないと謝れば、大丈夫よ、と返す。そんな健気な姿さえ愛おしい。

 彼女がなんであれ、俺は今日も幸せだ。


 そう思わせる彼女の力に、なりたい。

 例え、最後の日になっても。



 ★月▲日。

 久々に外を歩いた。今日は何ともぱっとしない天気だった。雲が渋滞しているみたいだ、と言ったら、友人が笑った。「最近小説みたいな表現するよな」と言われて、恥ずかしさに頰を掻いた。


 「体調はどうなんだ?」


 と友人が聞くので、大丈夫、と返した。

 隣には献身的な彼女がいる、少なくとも、今の体調で倒れても大丈夫だろう。

 こうやって北海道の空気を吸えるだけで、心身共に生き返るような気がした。失った活力が戻ってくるような気さえした。そういえば、と友人が唐突に「湖で何かあったか?」と聞いてきた。なんでそんな事を聞くのだろうか? 疑問が顔に表れてたのか、答えるように口を開いた。


「せっかく北海道に戻ってきたのに、日に日に体調が悪くなってるだろう。それも湖に寄った日から、ずっと」


 この日はいつものふざけた雰囲気はぱったりしまい込んで、本当に心配そうに尋ねてきた。


「大丈夫。原因は何となく分かってるし、時期に……、まあどうにかなるよ」

「歯切れ悪いな、まぁ良いけど。あ、せっかくだし、今度二人で飯でもいかないか? 彼女の話とか聞かせろよ〜」

「止めろよそういうの」

「良いだろー、ってかなに、恋人出来たのかよ」


 肘で小突いてくる友人、何となく目の端で彼女を見ると、どこか不満げに頰を膨らませ、と思えば、腕に腕を絡ませてきた。俺は出来るだけなんでもないように装いつつ、しかし、腕に当てられた豊満な感覚と、甘い温もりに、正気を失いつつあった。


「あーあ、彼女欲しいな」


 切実に嘆く友人の背を、重くなった足取りで追った。

 頭がぼーっとする度、彼女が美しいと、そう思ってしまった。


 でも大丈夫、彼女に心を許さなければ、どうにかできる。きっと。




 □日×日。

 湖に住まう彼女の様子を見てほしい。俺は上司からの命令で東京から北海道へと向かい、湖の側に立つくだんの女性に無事惚れられた。

 彼女は『リャナンシー』という妖精。彼女に気に入られた男性は早死にする。本来アイルランドに住む妖精だが、どういう訳か、ここに迷い込んだようだ。

 俺達は、日本に住む怪異の存在を保護し、こうして見守る役目を担っている。このリャナンシーの厄介な所は、彼女が恋した相手以外には目に映らないということ。だからカメラなんかの映像機材は使い物にならない。不幸中の幸い、というべきか、リャナンシーは惚れっぽい。恋というのが何なのかよく分からないが、着いて早々に姿を現す程には、俺の事を気に入ったらしい。

 にしても、こうした事情で故郷に帰ることになるなんて思わなかった。せっかくだし、家族や友人に会えたらなと思った。


「……」


 彼女が俺を見つめる、綺麗な花を差し出して。

 なんて古典的何だろう、と思ったが、こうして向けられると嬉しく思える。

 何となくその花を受け取る。とその時、指が触れる。急に、頭がクラっとした。


「……あ!」


 俺は慌てて彼女から距離を取った。リャナンシーは気に入った男性から生気を吸い取る。担当した調査員の記録によれば、彼女は無自覚に吸い取ってるそうだ。基本的には無視をして、必要があれば構ってやる。最悪の場合は死に至るのだから、距離感には絶対の注意を払いたい。

 また、彼女に依存していくと詩的表現が増えていくようだ。霊感を与えるというが、そういった芸術的な面に顕著に表れるのかもしれない。日記でもなんでも記録を残して、自分の状態を確認したい。


 もし、彼女が都会何かで一途な恋を繰り返したら、男は全滅してしまうだろう。彼女自身に悪気はないのかもしれない。でも、彼女の恋は危険過ぎる。そのため、一般人に惚れられては困る。


「まあ大事にはならないか。本当に恋してしまっても、死を望む程に、彼女に夢中になったりしないか」


 こうして、妖精リャナンシーの観察が始まった。

 恋多き死は、今日一日、俺を見つめるだけだった。

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