夢、幻。の裏側
彼女達の知らない現実
その日彼と見た映画は、ありきたりな青春ラブストーリーで、物凄くつまらなかった。元々僕は、ラブストーリーも青春物も好きではない。まともな青春時代を送らなかったし、まともな恋愛もしてこなかったから、心が捻くれているのだろう。
それでも付き合うのは、相手が彼だから。つまらない映画をキラキラした表情で見る彼が好きだから。それを見るために、決して安くはない映画代を支払う。我ながら馬鹿みたいだなと、映画の感想を語る彼を見ながら思う。
ちなみに、ベッドシーンが流れている間、彼はずっと顔を隠していた。そのことで揶揄ってやると彼は「だってちょっとしつこかったし」とごにょごにょ言い訳しながら顔を逸らした。
「動じすぎだろ。童貞じゃあるまいし」
「君が動じなさすぎなんだよ……」
「女が乱れてる姿は見慣れてるし」
「すぐそういうこと言う!」
「はははっ」
話していると、ふと見覚えのある後ろ姿が目に止まる。見間違いでなければ、元カノだった。高校生の頃に付き合っていた歳上の元カノ。好きな男性が出来たからという理由で僕をフッた元カノ。男性と一緒だった。見間違いかもしれないが、あまり長居はしたくない。
「海?」
「知り合いっぽい人居た」
「……出る?」
「……ああ。すまん」
「良いよ。お会計してくるから先出てて」
そう言うと彼は伝票を持ってレジへ向かった。彼女に見つからないよう、帽子を深めに被って外に出る。すれ違いざまに聞こえてきた声はやはり聞き覚えのある声だった。
「……はぁ」
ため息を吐き、近くのコンビニまで移動してカバンからタバコを取り出して火を付ける。子供のことを考えるなら、禁煙した方が良いのだろう。分かってはいるし、少しずつ減らしてはいるがなかなか完全にやめることは出来ない。しかし、自暴自棄になって寿命を縮めるために吸い始めた過去の自分を責める気にはなれなかった。あの頃の自分にはこんな未来はどうしたって想像出来なかったから。
壁にもたれかかって、タバコを吸いながら感傷に浸っていると「リクさん?」と、懐かしい呼び名が聞こえてきた。思わず声のした方に目を向けてしまうと、一人の女性と目が合ってしまい、慌てて逸らす。そしてタバコの火を消し、移動しようとした時だった。向こうから彼が慌てて走って来るのが見えた。彼は僕を「姉さん」と呼び、僕を隠すようにして僕の前に立って女性に言った。「姉の知り合いですか?」と。女性が「人違いでした」と気まずそうに答えると、彼は「行こう」と言って僕の手を引いて歩き出した。女性はそれ以上は追いかけて来ようとはせず、立ち尽くしていた。
「……大丈夫?」
「ああ。大丈夫。何かされたわけじゃないよ。ただ声をかけられただけ。……助かったよ。ありがとう。けど……どうして姉なんだ?」
「妹より姉の方が自然かと思って。俺、童顔だし。背低いし。海の方が大人っぽいし」
「いや、そうじゃなくて。……恋人でしょ。僕らは。兄妹のふりする必要がどこにあるんだって話。……変な気使わないでよ」
すると彼は質問には答えず、質問で返す。
「……リクって、海の源氏名?」
「……そうだよ。
「適当だなぁ」
「なんでも良いだろ。名前なんて。この見た目だからあんまりキラキラした名前は似合わないし。そんなことより、質問に答えてよ」
彼のことだから、何かに配慮して姉弟設定にしたのだろう。僕が未だに男性を好きになったことに対して罪悪感があると言ったから? そう問い詰めると彼は首を振って言った。「嘘にしたくなかった」と。
「嘘?」
「……お客さんの中にもさ、当事者はいっぱいいたでしょ?」
「まぁ、うん」
「海のことだから、そういう人の悩みをたくさん聞いてたと思うんだ。『自分もレズビアンだから、案外いるから、大丈夫だよ』なんて言って。……それが希望になった人が、きっと居ると思う」
そこまで聞けば、嘘にしたくないという言葉の意味は理解出来た。気を使った相手は僕ではないことも。が、口を挟まずに続きの言葉を待つ。
「君は、営業のためにリップサービスでたくさん嘘をついただろうし、お客さんもそれは気づいてると思う。というか、海のことだからはっきり言ってそう。勘違いしないように気をつけてねって」
確かに言ってた。流石幼馴染なだけあって、僕のことを理解し尽くしている。いや、ここまで彼が僕のことを理解しているのは幼馴染という理由だけではないだろうけど。
「でも……レズビアンであることだけは、嘘だと思ってほしくなかったんだ。だから恋人とは言えなかった。同性愛は治療すべきものだって考えの人が世の中には居て、そういった人達に傷つけられてきた人からしたらきっと、レズビアンだと言ってた君がレズビアンじゃなかったらショックだと思うから。いや、実際はレズビアンなんだけど。けど……俺と付き合ってたら、嘘だったんだって思うのも無理はないからさ……だから、知らないままの方がいいと思った」
やはり彼は優しい。呆れるほどに。普通、あの一瞬でそこまで考えるだろうか。
すると、彼は言った。「ずっと君を見ていたからね」と。
「僕?」
「うん。君が——君達が傷ついてきたところを、俺はずっと見てきた。……だからだよ。あんな悲劇は、もう二度と繰り返してはいけないから」
去年の11月22日、二人の女性が心中する事件が起きた。二人は僕と彼の同級生だった。彼の言う悲劇というのはそのことを指しているのだろう。
あれからもう一年以上経つ。きっと世間はもう、忘れかけている。だけど僕は死ぬまで忘れない。忘れられるわけがない。二人と約束したのだから。生きて、希望を振り撒き続けると。その約束はきっと、彼が居なかったら果たせなかっただろう。彼が居なかったらそもそも生きる希望なんて持てなかったから。
「……ごめんね。余計な気遣いだった?」
「……ううん。ありがとう。ごめん。僕はそこまで気が回らなかった。……ちょっと、動転してた」
「そりゃするよ。恋に狂った人間って何するかわかんないもん」
そういう意味でも、彼は夫婦であることを伏せたのだろう。異性を好きになるなんて騙したのかと逆恨みされないために。
「……仮に刺されても僕は構わない。自業自得だから」
「言うと思った。けど、そうなったら俺はきっと、君を庇って死ぬよ」
「だろうな」
「俺が死ぬのは嫌でしょう?」
確信するような言い方だった。愛されていることを疑わない顔だった。この一年、散々伝え続けてきた成果が出てきたことを実感して思わず笑ってしまうと、彼は何かおかしなことを言ったかときょとんとした。
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