春晴天気
UedaMasaki
春晴天気
「......天気は晴れ。花粉がピークの時期です。マスクはお忘れなく...」
病室から窓の外を眺める。
点滴につながれた腕を僅かにさすりながら春の匂いを嗅ごうとするが、無機質で機械的な人工臭だろうか?
そんな匂いが僕の眠気を擘いた。
病室は静かで、少し物足りない朝食が湯気を立てて揺れていた。
コンマ数秒がたったと思うと、その時間に取り残されているのではないかという恐怖じみた感情へと誘われる。
「おい、大丈夫か?」
いつの間にか扉が開いていて父が来ていた。
「差し入れだ。看護婦さんに確認を取ってるから、小腹がすいたら食べろ。」
父は少し乱雑で、僕が入院する前まではあまり育児に関心がなかったように感じていた。
だけど、こうして僕がいなくなると必ず毎日朝か夕方のどちらかで顔を見せに来る。
「苦しいことはないか?一応、先生はこのままいけば、なんとか夏頃、外に出られるとは言っていたが......」
僕は原発性免疫不全症候群。
免疫力が通常より格段に弱く、アレルゲンがあったり、花粉がひどい時期には一切外に出られない。
生まれてから外に出た時の記憶なんてもう朦朧としている。昔から体が強かったわけではなく、長生きはできないんだそう。
今年の夏に一旦は回復するなんて言っているが、今まで友達を作ったことはなく、外に出たとしてもうまくやっていけるかなんて......わからない。
ただ、そんな僕にはひそかな楽しみがある。
春になると学生は春休みで寄宿舎から実家に帰省する。
小さい時、一緒に遊んでくれた幼馴染がこっちに帰ってくるのだ。
僕は今までそれだけが生きがいだった。春は嫌いだが、彼女は好きだ。
「かよこちゃんが来てるから、あとで会えるぞ。じゃぁ俺は仕事があるから行ってくる。」
「いってらっしゃい......」
作業帽をかぶって出ていく父の背中は、僕が年を重ねるごとに小さく見える。
外で桜が散るのが見える。
綺麗だ......
僕もあんな風に死ぬときはきれいに咲き誇ってからがいいな......
声に出して言ってみたが、そのほとんどは吐息となっていた。
誰もいないのに何かを心配して最近は小声で独り言をつぶやく。
時計の針を見ると、ちょうど八時になりかけている。
「早くご飯を食べないとな...」
相変わらずおいしいわけではないが、味噌汁に口をつけ、一日の始まりを啜る音でスタートした。
「やまちゃんによろしく言っておいてね」
「うん!また連絡するね!」
電話を切って歩き出す。
透き通った肌は太陽光を跳ね返して美しい艶となる。
「さてと!やまちゃん元気してるかな...」
エレベーターで上がり、待ちわびた幼馴染との再会。
これほど嬉しいことはないが、そこまで急ぐ気分でもなかった。
扉が開き、数歩進むとお目当ての部屋が目に入る。
取っ手に手をかざして、ばれないように静かに扉を開けると、そこには目をつむって居眠りしている幼馴染の姿がある。
そっと扉を閉め、クーラーの効いた涼しい部屋に入り、ひんやりと冷たい椅子の支柱をやさしくベッドの隣へと持ってくる。
荷物を作りへ置いたとき、少し音が鳴り、彼女はゆっくりと目を開ける。
「おはよ!山君!」
「あ......かよこ......おはよう。ひさしぶり......」
ちょっとした驚きと、少しだけの恥ずかしさを暗に隠しながら返事をする。
少しだけ視界がぼやけてきた。
「ひさしぶり!元気?」
「だいぶ回復してきて、今年の夏には外に出ても大丈夫だって......」
「そうなんだ!よかった~......」
明るい笑顔は部屋に差し込む太陽光すら打ち負かしそうだ。
「ここで食べたら、うちに来ない?寮からマンションに引っ越したんだ!どうせ親が来ないんだから、ばれないばれない!」
「いつも楽観的だなー、そりゃまずいよー」
「そう思う?」
彼女の笑う姿を見ると、心が軽くなっていく。
「一緒にアニメ見ない?」
「うん、見よう!」
冷やされた部屋は二人の温もりで温かくなったような気がした。
肌に触れる空気は二人の温かさに反応して蕩けている。
こんな日々が続けばいいのにと思うが、今はそんなことはどうでもいいくらい、ただただ気分がよかった。
それから数日がたった。僕たちは毎日のように会って一緒にリハビリをしたりゲームをしたりしてその時間をつぶした。
課題をすっかり忘れて急いでやっていたあの時は、まだあまり時間が過ぎていないのに、遠い思い出のような感覚がした。
彼女が帰るまであと3日......全力で楽しもうと決めた。
夜になると、ふとそう考えてしまい不安になる。
1秒でもいいから彼女の隣にいたい。
そう思いながら目をつむり、静かで冷たい部屋は眠りのムードに包まれる。また1日が終わっていった。
朝、僕は起きると、管をのどに詰められていた。
医師たちは引きつった顔をしながらファイルを読んで話している。
父は少し離れたところから僕を見つめている。
「あぁ...」
声にならない声を出す。苦しい。
それから少し後で、僕の容態が急激に悪化。体中がガタついていた。
原因がわからず、とにかく応急処置するしかなく、このままだともう生きられない。
その日は面会が途絶え、彼女に会うことができなかった。
このまま死ねない......
涙が零れる。
頬を伝い、枕へ染み込んでいく。
彼女の手を握って歩く練習をしたあの日。
一緒に勉強して教えあったあの時。
卑猥なシーンを見て気まずくなったあの場面...
嫌だ......このまま終われない!
僕は本能のまま病室を飛び出した。
まだ動かし慣れない手足をばたつかせ、外に出る。
外にはまだ花粉が残っている。離れた山から風がそれを運んでくる。
医師と警備員が僕を追いかけてくる。小さい体を使って何とか振り切る。
彼女の家へ向かう。
連絡を受けた彼女は玄関で待っていた。
僕は彼女の手に触れる。
その瞬間、接続遅延で飛び飛びになっている映像のようになっていた視界が、いつものような、はっきりとした状態へ戻る。
綺麗で、バツの付け所が思いつかない彼女の瞳を見つめて抱きしめる。
彼女はそれに応じるように腕で僕を捕まえた。
これでよかった。
そう、これでよかったんだ。
春、飛んでくる花粉が僕の全身を包む。
そして、僕はそれを受け止め、その瞬間を大切にかみしめる。
僕は春が嫌いだ。春は嫌なものを運んできて、僕を苦しめる。
だけど、僕はそんな春が好きだ。たった一つの大切な人を連れてきてくれるから。
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