バ先の先輩がどうかしている

二木弓いうる

嫌いにはなれない

 机の上には、食べかけのカレーライスが置かれている。


 だがそれを食べていたであろう彼女は、棒付きキャンディーを口に咥えていた。


 こじんまりとした部屋の中、机の前に置かれたソファに座っているのは彼女ただ一人。他に人はいない。ならカレーを食べていたのは彼女以外いないだろう。


 勿論俺でもない。俺はたった今ここに来たばかりだからだ。カレーを食うどころか買う時間もなかった。それに俺は、今日入ったばかりの新人バイトだから。初日のバ先でカレー食うとか、結構な勇気がいると思うんだけど。そう思うの俺だけかな。


 彼女は派手なネイル(爪の上に立体的なウサギがいるぞ)の手でキャンディーの棒を掴んでいる。口から出されたキャンディーは、半透明な赤でキラキラと輝いていた。彼女の唾液に包まれていたっていうのも、そのキラキラに拍車をかけているのだろう。カレーのせいでキャンディーの匂いはしないが、色から察するに多分ストロベリー味。


 彼女は俺の方に顔を向けた。そういうコンタクトなのか黒い瞳の中に白く小さいハートマークが入っている。遠くから見ても目立ちそうな赤髪ツインテール。その前髪には黒色のリンゴ型パッチンが付けられている。傷だらけのデカいハートが描かれた黒色パーカーに、丈の短い赤チェックのスカート。いわゆる病み系ファッションってやつ? 厚底の黒いブーツは、俺だったら転びそうで履けない。


 変わってるけど可愛らしい顔立ちなので、俺のような卑屈人間を視界に入れてくれてとても嬉しい。どうもありがとう。


「新人くんさぁ、人の食いかけ食べられる人?」


 突然話しかけられた。

 カレー食ってくれって事かな。カレーは苦しくて食えないけどデザートのキャンディーは別腹ですってか? そりゃ食べて良いのなら食べますよ。腹減ってるし。食べかけにした女子かわいいし。


 俺とは縁遠い存在の女子の食べかけを食べられるの? むしろ頂いて宜しいのでしょうか。なんて、下に出たら俺達の上下関係が決まってしまう。そりゃ先輩だから敬うべきなんだろうけど、パシリにされたくはない。ここは俺も、強気に行こう。


「まぁ、割と平気ですね」


 食わないとは言わない。そんな勿体ない事するわけないだろうが。


「なら良かった。これあげるー」


 そう言って立ち上がった彼女は、今まで舐めていた棒付きキャンディーを俺の口の中に突っ込んで来た。


 俺は彼女へ声をかける事も出来ずに、飴を口の中に入れたまま硬直。ただその場に突っ立っていた。


 えっ、先輩後輩同士で舐めかけの交換とかよくある事なの?


 恋人同士ならまだそういう事もあるかもしれない。いや、ねーわ。


 とりあえず、初対面で口の中に食べかけの飴ぶち込んで来られるとは思わなかった。甘い、甘いよ。ストロベリーとか普段好き好んで食べなかったから知らんかった。こんなに甘いものなのか。


「じゃあ先行くねぇ」


 そう言って部屋を出て行った彼女と入れ違いに、男が入って来た。店長だ。


「おっ、来たね新人君。ごめんごめん、電話してたわ」


 俺は棒部分を掴んで、いったん飴を口の外へ出す。


「……今の子」


「あぁ、君の先輩ちゃん。かわいいっしょ?」


「……ヤベー女だと思います」


「はは、確かに変わってはいるよ。でも良い子だから」


「……ちなみに、そこのカレーも食っていいと思います?」


「は? ダメだよ。これオレが食ってる途中のやつだもん」


「……そっすか」


 つまり彼が部屋を出ている間に、彼女が空席だったカレーの前に座ったという事だったのだろう。紛らわしい所にいないで欲しかった。


「それより、その飴食べちゃいなよー」


「いや、これは」


「まだ仕事前だから怒らないよ。オレもカレー食べちゃうし」


 店長はそう言って、皿を空にしていく。


 飴を食べないでいれば、その理由を問われてしまうだろうか。それは困る。説明が困る。


 意を決して、食べかけの飴を再び口にした。


 部屋の中に充満したカレーの匂いが、俺の集中力やら緊張感をそぎ落としていく。


 気を引き締めろ俺、何たって今日はバイトの初日なんだ。気合入れていこうぜ。


 ……あの先輩には今後一生逆らえない気がするけど。

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