書き下ろし~妖精のようなあの娘~
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妖精のようなあの娘
時計の針が夜の九時を回った頃、あおいはようやく仕事から帰宅した。
夕方の会議で、上司から書籍売り上げの現状が芳しくないことをひたすら追及され、分野を限らず、売れそうな作家や作品を探してこいとの号令をかけられた。
おまけに、翌月の売り上げも回復しなかった場合は、営業部の人員総入れ替えなど大規模なテコ入れを行うと宣言された。
上司の追及にぐうの音も出なかったあおいは、精神的に疲弊し、帰り道はずっと気持ちが重いままだった。
「ただいま……」
あおいが沈んだ声を出して玄関のドアを開けると、エプロンをかけた文美音が腰に手を当てながら怪訝そうな表情であおいを睨んだ。
「おかえりママ。今日も遅かったね」
「ごめん、文美音。今日はもっと早く帰れると思っていたのに、急に会議が入って」
「言い訳は聞きたくない」
文美音は憮然とした表情でそう言い放つと、あおいは何も言い返せず頭を下げた。
「夕飯、私とパパで作っといたから。冷蔵庫から取り出してレンジでチンしてから食べてね」
文美音はあおいに背中を向けると、「パパ、洗濯は? お酒なんか飲んでる暇あるの、もう」と、居間にいる夫の隆介に向かってやるせなさそうな声で呼びかけていた。
あおいは申し訳なさそうな表情で、身体をふらつかせながら玄関で靴を脱いだ。その瞬間、体のバランスを失ってそのまま転倒した。
「ママ!」
文美音はあおいが廊下に倒れた音を聞いて、慌てて戻ってきた。
「イタタタ……」
「大丈夫? どこかぶつかったの?」
「ひざをぶつけただけだから、大丈夫だよ。ちょっと青あざが出来ちゃったけど……」
「大事でなくてよかった。でも……」
文美音は心配そうな表情であおいの顔をじっと見ていた。
「な、何なのよ? 不気味ね、ずっと私の顔を見てるなんて」
「すごく疲れた顔をしてるなぁって。目の下にクマできてるし、顔色も悪いし」
「……」
「何があったの? 私で良かったら聞かせて」
「文美音に話しても解決しないと思うから、気にしないで」
すると文美音は眉間に皺をよせ、あおいの肩に手を置いた。
「……そんな怖い顔しないでよ。わかった、じゃあ話すから」
あおいは、夕方の会議での出来事を文美音にも分かるようにかみ砕いて話した。
「そうか。大変だね、大人は。売上げかあ……私には何もできないな」
「でしょ? 簡単に答えがでない問題だから、気にしないで」
「要は、売れる本を出せばいいんだよね?」
「ま、まあ……そうだけど」
すると文美音は、高校受験で合格して買ってもらったばかりのスマートフォンをポケットから取り出した。
「これなんか、どう?」
「なになに?『現世では社畜の僕が転生したら、妖精の国で貴族になっていました』??」
「ネット小説なんだけど、中高生にすごく人気あるんだよ。作家の
「でも、ネット小説でしょ? 本にしたら買ってくれるのかなぁ?」
「そりゃ買うでしょ。本の表紙とかも人気のあるイラストレーターさんに書いてもらったりしたら、みんな飛びつくと思うけど?」
文美音が自慢げに話すのを聞きながら、あおいは手帳を取り出し、メモを取っていた。ネット小説の世界は正直あおいの会社の範疇外であるが、今の業績を考えると、そんなことにこだわっている場合ではなかった。
「ねえ、もっと詳しく教えてくれるかな? あと、作家さんとアポイントとる方法ってある?」
「いいよ。ネットから美杉さんにファンレターとか送れるから、ママの話を伝えてみるね」
数日後、あおいは文美音の仲介を受けて作家の美杉アレグラ本人と会い、彼女の作品を出版することになった。美杉はまだ大学生であったが、ネット小説界では出す作品が全て高い評価を受け、自費出版した作品の販売の場である「文学フリマ」でも、出品した作品が軒並み売り切れたとのことであった。本人もいつかは自費出版ではなく出版社から正式に本を出したいと考えていたこともあり、互いの利害は一致した。
さっそくあおいは会社で美杉の作品とこれまでの実績を伝え、上司の了解を得て彼女の作品を出版することになった。
出版した「メンヘラの僕は妖精の国の救世主」は美杉の未発表オリジナル作品で、中高生をターゲットとしつつも大人でも気軽に読めそうなライトノベルに仕上げてあり、普段この分野に親しみのないあおいも飽きることなく最後まで読み切ってしまった。
さらにあおいは文美音のアドバイスを元に、中高生に人気のイラストレーターに表紙を描いてもらった。作中に登場する妖精を可愛らしく描いたキュートな絵は、それだけで十分目を引くものだった。
出版後、あおいは部下と手分けして、都内の書店を一軒ずつ営業に廻った。
しかし、どこの書店に行っても簡単には単行本を引き受けてはくれなかった。
引き受けてくれても、在庫過剰を恐れる書店側は引き取る数を絞ってきた。
彼らが口を揃えて言うのは「ネットならともかくねえ……」の一言である。
あおいは背中を丸めながら一人電車に飛び乗った。朝夕のラッシュ時と違い穏やかな雰囲気のある車内で、あおいは座席に座ると鞄を膝の上に置き、深いため息をついた。
電車に揺られて、郊外の大型書店に営業に向かおうとしたその時、あおいのスマートフォンが振動し始めた。画面を見ると、あおいの所属する販売戦略課の
車内で話すのをためらったあおいは、ちょうど到着した駅で下車し、ホームの上で電話を掛け直した。
「もしもし課長ですか? 二柳です。はい……ここまでは苦戦していますね。ええ、十分わかってます。これがだめなら、私たち営業部は総入れ替えになるんですよね……。美杉さんの本の出版を提案したのは私ですし、責任は感じてます」
あおいはスマートフォンを仕舞い、額の汗を拭うと、身体が左右にふらつき始めた。
「ちょっと、大丈夫ですか?」
近くに居た駅員があおいの元に駆け寄ってきたが、あおいは苦笑いしながら焦る心を落ち着かせようと何度も胸を撫でた。
振り返ると朝からずっと休みなく歩きっぱなしだったことから、一度この駅で下車し、駅の近くでカフェを見つけてひと休みしようと決意した。
改札を出ると、駅のロータリーの先に昔ながらの商店街が連なっていた。
東京・世田谷区内の住宅街であるこの町で、のんびり休めるカフェがあるかどうかは怪しかったが、とりあえず何かしらはあると信じ、あおいは商店街の中を歩き始めた。
沿道には昭和から続いていると思しき古い佇まいの店が多かったが、その中でも特に年季の入った、看板が屋根からずり落ちそうな店が目についた。
「しあわせ……書房?」
看板に書かれた文字は傍目から見えにくくなるほど薄く、外装は所々壁が剥がれ落ちていた。昔から続く町の本屋という感じであるが、あおいは店全体から漂うその独特な雰囲気に妙に心が惹かれた。
店内には高い本棚が並び、その中には所狭しと文庫本が並べられていた。あまり買いに来る人がいないのか、店の管理方法が悪いのか、棚にほこりが被っているのが気になった。
「何か、お探しですか?」
あおいの背後から、ふんわりとした優しい声が聞こえた。
あおいは驚いて振り向くと、そこには栗色の髪をポニーテールにまとめ、プリークリーのイラストの入ったエプロンと裾の広がったジーンズを着込んだ若い女性が立っていた。
「店員さん?」
「そうです、店員の
「ずいぶんお若いですね、アルバイトの方?」
「いえ……一応、正社員です、えへへ」
「そうですか」
「お探しの本の作者のお名前とか、本の名前とか、分かる範囲で言ってくれれば、私、探しますよ」
「い、いや。私、そういう目的でここに来たんじゃないんです」
「じゃあ、何の御用ですか?」
椎菜はきょとんとした顔で、あおいをまじまじと見つめていた。
「この本を……お店に置いてくれる所を探していたんです」
あおいは鞄から、美杉アレグラの「メンヘラの僕は妖精の国の救世主」を取り出すと、椎菜に手渡した。椎菜はしばらく目を丸くしながら本の表紙を見続けていたが、やがてページを一枚ずつめくり始めた。
「へえ……現世では不甲斐なかった主人公が妖精たちに救われて、妖精たちの国を守るヒーローになっていたんですね。面白いなあ。作品に出てくる妖精もすごくかわいいし」
椎菜はしばらく作品を熟読すると、突如きりっとした表情に変わり、「店長に話さなくちゃ」と言って駆け足で店の奥へと向かった。
「ねえ店長、この作品、すごく面白いの。うちの店で取り扱ってもいい?」
椎菜は店の奥に向かって叫ぶと、腰に手を当てながら店長らしき老女が出てきた。
「なんだい椎菜ちゃん。人がお茶飲んで寝てる時に、大声で叫ぶんじゃないよ」
老女は顔をしかめながら声を上げる傍で、椎菜の後ろに立つあおいを首を伸ばして見つめていた。
「あんた、誰だい?」
「わ、私は……」
「この人が本を持ってきてくれたの。出版社の人なんだって」
「出版社?」
「うん。ねえ、いいでしょ? うちの店で置きたいの」
椎菜は顔を突き出して瞳を潤ませながら、老女に懇願していた。
「しょうがないねえ。まあ、うちにとって大事な店員の椎菜ちゃんに言われたら、私は何の反対もできないよ」
老女は白い歯を出して笑い出した。
「やったあ! じゃあ、早速店頭に置かせてもらうね」
あおいは椎菜の言葉に驚いていたが、椎菜はあおいから受け取った数冊の本を、話題の新刊が並ぶ店頭のラックに置いた。
「ん? あの子たちなら、きっとこの本を読んでくれるかも」
ちょうど学校帰りと思しき女子高生二人組が店の前を通りすがり、ラックに入っていた雑誌を物色していた。
「ねえ、ちょっとこれ読んでみない? すっごく面白いよ」
椎菜に勧められるままに、高校生たちはどこか浮かない様子で本を手に取っていた。やり方がちょっと強引だが、果たして彼女たちはこの本を読んでくれるのだろうか?
「へえ……結構面白いですね」
「でしょ? 友達にもぜひおすすめしてよ」
「そうですね。ねえ
「そうだね、表紙もすごく可愛いし」
女子高生達はスマートフォンで本の表紙を撮影し、早速友達に拡散していた。
「ねえ、どうしてそこまでこの本を推してくれるの?」
あおいは、女子高生たちににこやかな表情で手を振る椎菜の背中に向かって問いかけた。
「だって、心から面白いと思ったから。私、本屋の店員として、面白い本に出会えた嬉しい気持ちをたくさんの人たちにも味わってもらいたくって……」
椎菜は、顔を少し赤らめながら答えた。
「すみません、出過ぎたマネしちゃって。本、売れると良いですね」
椎菜はあおいを店頭に残し、ポニーテールを左右に揺らしながらそそくさと店の奥へと戻っていった。
★★★★
一週間後、あおいの会社では朝からひっきりなしに電話が鳴っていた。
「おーい、二柳さん。美杉アレグラさんの作品、新宿の書店から早速注文入ったぞ!」
「え?」
あおいは慌てて受話器を受け取ると、数日中に美杉アレグラの「「メンヘラの僕は妖精の国の救世主」を送ってほしいとのことであった。
「チーフ、大口ですよ。大手書店からの注文です。ついこないだ訪問した時は剣もほろろだったのに」
課内は興奮のるつぼに包まれていた。
一体何が起きたのか……あおいは現状をいまいち推し量れないでいた。
「どうやら世田谷区の女子高生の間でバズりはじめて、そこからSNSで一気に人気が出たみたいです。今どきの女子高生の情報ネットワークって、馬鹿にできませんよね」
世田谷区……?
まさかあの時、本を写真に収めた女子高生が?
「おい二柳さん。早速納品に行って来てくれ! 先方から急かされてるんだぞ」
戸部課長が、慌てた様子であおいの元へと駆け寄ってきた。
「でも課長、営業部の人員は総入れ替えするはずじゃ……?」
「馬鹿か! そんなことやってるヒマも理由も無いわ!」
呆れ顔で声を上げる戸部課長の言葉を聞き、あおいは思わず涙腺が緩みそうになった。
「チーフ、一体何が起きたんでしょうか? 僕ら、未だに信じられなくて」
部下に尋ねられたその時、あおいの頭の中にはポニーテールの髪を揺らして店内をちょこまかと動き回る椎菜の姿がよぎった。
愛くるしくて、自由気ままに飛び回り、彷徨える人達がいたら優しく導いてくれる——椎菜は、あおいにとって妖精そのものだった。
「そうね、妖精のお陰なのかもね」
「……チーフ、正気ですか?」
「正気だよ。さ、先方が待ってるから、そろそろ出発しようか!」
まだどこか訝しがっている部下たちをよそに、あおいは窓の外に広がる淡い青空を見ながら、気持ちの良い笑顔を見せていた。
(了)
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