妖精
海猫ほたる
妖精
「妖精だった」
わたしのその言葉に、ゆで卵を剥いていた男の手が止まる。
「よ、陽性?……ちゃんとゴム付けたよね俺」
「そうじゃなくて、妖精。フェアリー」
「なんだ、そっちか」
卵を剥き終えた男は、マヨネーズをたっぷり絞ったボールの中に、完熟のゆで卵を放り込むと、スプーンでガシガシと卵を潰している。
「何か、変なものが見えるの最近。ずっと気になっていたけど、あれは妖精だった」
「なにそれ、変な夢」
「夢じゃない。だって今もほら、あんたの肩に」
男は慌てて振り向いて左右を見る。だが、なにも見えなかったらしい。二、三度首を振って確認した後、視線はまたボールに戻る。
「何もいないじゃないか。幻覚でも見えているのかな。疲れているんだよ君は」
男は八枚切り食パンの袋を開けて、パンを二枚取り出す。冷蔵庫からマーガリンを取り出して、パンの両側に塗りつける。きっちり端までマーガリンを塗ったパンの上に、先ほど潰して混ぜたゆで卵とマヨネーズを乗せる。
男は、その上にもう一枚のパンを乗せる。
二枚のパンを綺麗に合わせて、たまごサンドが完成した。
「妖精ってね、世界の終わりを知らせるらしいのよ。子供の頃に、おばあちゃんが言ってた」
「ふーん。面白い事を言うね、君のおばあちゃん」
言いながらも、男は常に手を動かしている。今度はコンロ下の扉を開けて二十六センチのフライパンを取り出し、油引きでさっと油を塗る。
妖精は男の動きについて行くように、空中をふわふわ漂っている。
わたしはさっきからずっとソファの上で妖精を目で追っている。
「それに、そんな簡単に世界は滅んだりしないよ」
「なぜそう言い切れるの」
「政府の人が言ってた。テレビで」
男は冷蔵庫から薄切りベーコンと生卵を取り出して、フライパンにベーコンを並べる。卵を器用に割ってその上に落とす。
塩胡椒をふりかけ、フライパンに蓋をする。
コンロの火をつけ、キッチンタイマーを6分にセットしてタイマーを起動する。
気がつくと、部屋の中にいる妖精の数が増えていた。
わたしはテレビを付ける。
ニュース速報が流れた。
「あんたの言った政府の人が亡くなったらしいわよ」
「ええ、じゃあどうなるんだよこの国」
「だから言ってるじゃない。世界は滅ぶの」
「参ったな」
男は冷蔵庫から牛乳を取り出し、コップに注ぐ。
わたしはリモコンを操作して、チャンネルを変える。リモコンの上に妖精が乗っている。テレビの上にもいる。
部屋の中にいる妖精の数が、また少し増えた気がする。
テレビはどのチャンネルもニュースしかやっていない。どのチャンネルも、海外のどこかの国から中継されている。
どのチャンネルをみても、画面の向こうにたくさんの妖精が浮いていた。
ただいま、軍施設からミサイルが発射されました。アナウンサーはそう伝えていた。別のチャンネルに変える。この国からもミサイルが今、放たれようとしています。弾頭には核が搭載されています。世界は今まさに、核戦争に突入しようとしています。
タイマーが鳴った。
男はフライ返しを使い、フライパンから焼けたハムエッグを皿に移す。皿をテーブルに乗せると、手を合わせる。
「さて、出来た出来た。君は食べないのかい」
「わたしは良いわ」
「そっか、じゃあ遠慮なく、いただきます」
「あ、やっぱりサンドイッチ一口だけちょうだい」
「いいよ、はい」
わたしは男からサンドイッチを受け取り、端を口に入れる。
酸味のあるマヨネーズと完熟の卵とこってりしたマーガリンが合わさって口の中に広がる。
最後の晩餐ではなくて、最後の朝ご飯。
目の前の妖精が、もの珍しそうにサンドイッチを見つめている。
「あんたも欲しいの、これ」
妖精はこくりと頷いた。
わたしはパンをちぎって、目の前に浮いている妖精に差し出した。
パンを貰った妖精は、にっこりと、とても嬉しそうに、はにかんでいた。
妖精 海猫ほたる @ykohyama
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