【KAC20253】ある一般男子大学生の貢献

千艸(ちぐさ)

忘れていた僕が悪いんだけどさ

 うちのサークルには「妖精さん」というシステムがある。名前の書いていない忘れ物は誰にどう使われても文句は言えない、というルールから転じて、いつの間にか置かれていた差し入れだとか、名前の書いていない置き傘、果ては今の最上級生が入部した頃には既にあったらしい寝袋まで、全部「妖精さん」のプレゼントだとして好き勝手に消費されていた。僕も気まぐれに買ったものの好きじゃなかったお菓子なんかはたまに部室に置いて、食べた人間の感想を聞いて遊ぶこともあった。だって僕が置いたってバレたら、あたかも僕がオススメしたかのように思われるからね。妖精さんが置いたってんなら、無罪だ。

 で、この間やらかした。その日は実習からの部活が確定していて、多分デスマになるからと自前のシャワーセットを持ってきていたんだ。

 あ、説明が遅れたけど僕は大学で、ロボットを製作して競わせるロボコンサークルの回路班に所属している。トライアンドエラーを繰り返して作り込んでいくサークル方針の中で、回路班だけはテスト走行中付きっきりにならないで済むから、という理由でやらせてもらっている。ロボットの回路は、言わば開発ツールだ。ツール自体の改良は、ロボットごとに最適化するんじゃなくて、ある程度何にでも使えるように別系統の指揮のもとに進めることになっている。うーん、例えるなら基礎研究。病気を治すプロジェクトで、病原体を効率良く培養する研究をする係、みたいな。逆に分かりづらいか? 僕はこのサークルでは珍しい医学部生なので、工学部の皆からはあまり貢献を期待されていない。そういう立ち位置が、勝手にリーダーにされる普段と違ってなんだか新鮮で過ごしやすく、むしろ長続きの秘訣になっていた。

 でも大会が近づくと、やはり予期せぬ事態が発生して、猫の手も借りたい状況で僕でも多少無理をすることになる。同じ回路班の同期でバリバリ開発主任をやってる岡野が、故障の原因究明のため徹夜した挙げ句、全回路班員を招集した。家を出る前にその通知を見て、これはあいつもかなりキてるなと僕は確信した。案の定、夕方部室に顔を出すと、岡野は無遠慮に顔をしかめて寄越した。


「うわ、ライノなんか臭うぞ」

「ああ、これはホルマリンの臭い、実習明けだし。ほっとけよ」

「あー、仏だけに?」

「やめろお前、僕がそれジョークにするのもそれで笑うのもアウトなんだよ。無いところに煙立てんな」

「なるほど、そりゃそーだ、コンプラだな」

「お前らがそういうの冗談にして楽しむのは何も言わないけど、僕は乗らない。……気になるなら先シャワってくるよ」


 僕はシャワーセットを持って部室の隣にある工房のシャワー室に入った。これは緊急用シャワーの名目で設置されている。人体に有害な液体を誤って被ってしまった時などに使われる想定ということだ。

 不謹慎だな、と思いつつも、慣れてしまった。工学部の人間と医学部の人間とでは、当たり前のように感覚のズレが存在する。どうしても水垢だけは許せなかったので、僕が使う前は必ず掃除するんだけど。

 ホルマリン臭は、鼻腔に染み付いて中々消えない。だから僕は薔薇の香りのするシャンプーとシャワージェルで誤魔化すようになった。彼女が言うにはシャワーさえ浴びれば気にならない程度になるらしいが、自分が気になるんだから仕方ない。

 ……まあ、嫌だよな。さっきまで死と接していた人間、なんて。

 ホルマリン臭を漂わせたままほっとけよって言った僕の方が無神経だったかもしれない。

 第三者である彼女のことを考えたからか、僕は冷静になった。さっさと出て謝って、岡野を手伝ってやらないと。


 なんとかその日のうちに故障の原因が分かって、修正版を作った。翌朝からまたテストランだから、そこに間に合わせなければならない。タイヤの枚数だけ必要な基板だったので、予備まで含めて十枚。これは確かに班員総呼び出しで正解だっただろう。ただ、僕は翌日もまた実習で刃物を扱う予定だ。徹夜するわけにはいかず、一枚だけ仕上げて帰らせてもらった。

 忘れ物に気付いたのは翌朝、家を出る時。帰った後の状況が気になって、また実習明けに部室に行こうと考えシャワーセットを探し、そういえばシャワー室に置きっぱなしにしたな、と思い至った。

 ……まあ、誰に使われても別に良いんだが。ロクシタンの高いやつだから、ちょっと惜しい。やっぱり授業の前に取りに戻ろう。そう思って、部室に朝から顔を出した。

 おお、窓の外からでも分かる死屍累々。僕は苦笑しながら皆を起こさないようそろっと扉を開けた。

 いつものフラックスの臭い、じゃない、これは……薔薇の香り!

 やられた!!

 慌ててシャワー室に入ると、僕の高級シャンプーは無残にも半量になっていた。シャワージェルもごっそり減っている。なんでだよ、お前ら普段はホコリ落とせれば良いとか言ってシャンプーもボディソープも使わねえだろうがよ……。たまの贅沢が出来ると分かってテンション上がっちゃったのかな……。


「おはよ……っうわ! 何やこれ、お花畑の匂いするんやけど!?」


 テストランの準備をしに来た部長の叫び声が聞こえる。僕はシャワーセットを抱えて部室に戻った。


「あー、おはよ、部長……夜の間に妖精さんが来たみたいだよ」

「まあ、なんてメルヘンなの……ぐっすりお眠り……」


 そう言いつつ、部長は写真を撮り始めた。いや、匂いは写真に残せないからただの雑魚寝の図なんだけど。そして満足したのか、パンパンと両手を叩いて朝を知らせた。


「ほらお姫様がた、お起きになって! 朝ですわよ! お時間ですわ!」

「なんでお嬢様言葉?」

「そらシチュエーションってもんがあるやん」

「あらまあ、素敵ねぇ」

「せやろ? 違った、そうでございましょ? こんな遊びもしますって新歓に使えるかも」

「徹夜がバレるからダメでしょ」

「さすが爺や、冷静な判断」

「は? 僕は妖精さんポジなんだが?」

「……あー」


 部長は今気付いたように僕の抱えるシャワーセットを見つめ、ふふっと笑った。


「ま、何もかんも似合わへんな」

「お前も皆もまとめてな!」

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