第36話「揺らぐ玉座、囁く影」

ヴェルサイユ宮殿。審問の間が静寂に包まれる中、王妃マリーは椅子に腰かけたまま、わずかに息をついた。


サンジェルマンの介入により、審問は一転して侯爵派の陰謀暴露へと切り替わった。 だが――それは勝利ではなかった。


「……決着には程遠いな」 三銃士のひとり、シャレットが呟いた。


その言葉通り、侯爵派の一部は逃亡を果たし、誰かが“あえて見逃した”という噂も飛び交っていた。


王妃の名誉は保たれた。 だが、民衆の目にはどう映るのか?


「“陰謀で逃れた王妃”と映る者もいよう。……それでも、前を向くしかないのですわね」 マリーは、誰にともなく呟く。


その夜、ヴェルサイユ宮内の執務室。 サンジェルマン伯爵が静かにマリーの前に現れる。


「……火は、まだ燻っている。侯爵派は表向き壊滅したが、 奴らを裏で動かしていた者たちの気配は、霧のように消えた」


「裏にいる者たち……それは一体」 マリーが問いかけるが、伯爵は軽く首を振る。


「今はまだ、断片に過ぎない。しかし、あなたが知るべき“敵”は別にいる。 今日の勝利が、彼らを動かす“号砲”になるだろう」


「……彼ら?」


サンジェルマンはマリーを見つめた。 その瞳は、何かを探るように深く、優しかった。


「名もなき影たちが動き出す。そして、その者たちは、あなたの“本質”に反応するだろう」


マリーは沈黙する。 自分の“本質”とは――。 それが分からない。 だが、確かに何かが心の底で揺れ始めていた。


「……私は、何者なのでしょう?」 その問いに、伯爵は微笑んだだけだった。


夜更け、王宮の回廊。


仄暗い影の中、ひとりの人物が静かに歩いていた。 フードを目深に被り、顔は闇に沈む。


その者は、廊下に立つ近衛兵の前で立ち止まり、囁くように言った。


「“断罪の剣”は折れたが、“意思”はまだ消えていない」


兵士は黙って頷くと、扉の奥へと姿を消す。


……影は、確かに残っていた。 マリーが王妃として立つその足元を、静かに蝕むように。


次なる夜明けは、果たして祝福か、それとも……。

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