妖精になろうとしたニセモノ

舟渡あさひ

そうだ、妖精になろう

「妖精?」


「はい、陽性です。まああまり気を落とさず。今後のことですけれど〜〜〜〜」


 お腹が痛かった。最近はいつも。

 けれど原因はよく分からなくて、話のネタにでもなればと気軽にがん検診を受けたら、これがなんと陽性だった。


 齢二十二。あまりに早い発がん。


 そして頭の中には、嘘でしょ? みたいな気持ちと、まあそうだよな、みたいな気持ちがあった。


 まあそうだよなは、別にがんだったことじゃなくて、陽性の方。


 耳慣れない単語だからか、なぜか脳内で変な変換のされ方をした。そうだよな、妖精じゃないよな。がん検診の話の最中にフェアリー……ピクシー? ……どっちでもいいか。の話をするわけないよな。


 だから別に、こんな勘違いは何でもないことのハズだったんだけど。



(そうだ。妖精になろう)



 見つかった胃癌は、脳にまで飛んでいるのかもしれなかった。






 あるところに貧乏だが働き者の、靴屋のおじいさんがいた。


 彼が仕事の準備をしてから眠りにつくと、なんと残りの仕事を妖精がしてくれていた。


 そんな話がある。あれ、小人だったっけ? どっちでもいいか。


 陽性と聞いて、妖精が頭に浮かんで、次に浮かんだのはそんな童話だった。


 究極の縁の下の力持ち。これが妖精に対し、俺が真っ先に抱いたイメージだった。


 どうせ先が長くないなら、せめてこれを目指してみよう。そう思い立ったはいいものの、妖精になるというのは存外、難しかった。


「ねえ、小木くん。これ……」


 同期である桜井の手にはトマトジュースが握られていた。朝一番に俺が彼女のデスクに置いたものだ。


 そう! それは僕がしたことさ! ……などと、自分からひけらかす妖精がいるだろうか。妖精ならそれも逆にかわいいかもしれないけれど、俺がやったらかわいくない。


 だから「さあ、妖精かなにかからの贈り物じゃない?」みたいな、今思えば寒いにもほどがあるとぼけ方をするつもりだった。


 彼女が眉を八の字にして、困ったような顔をしていなければ。


「ごめん、余計なお世話かなと思ったんだけど、最近残業続きだし、朝元気ないなと思って」


「あっううん! 全然それは、嬉しいんだけど……ごめん私、トマトだめで……」


 彼女はとても申し訳なさそうに、トマトジュースを突き返してきた。かつてチョコが食べられないのにバレンタインにチョコを渡された友人と、そっくりな断り方だった。


 配慮不足を彼女に詫びて、それからそろそろ朝礼が始まるというとき。うちの班のリーダーがなにやら騒ぎ出す。


「ごめん! コピー機横に置いてあった資料、誰か知らない?」


「いえ……急ぎのやつですか?」


「いや、社内向けのやつだからそんなに急ぎじゃないんだけどさ。ほら、今月のセキュリティチェックのお知らせのやつ」


 その一言でハッとした。そっと手を挙げる。視線がこちらに集中して辛い。が、心当たりがあるのに黙っているわけにもいかない。


「あの、俺、それ……たぶんあの、シュレッダーに……」


 コピー機横にはシュレッダーもあって、そのさらに側にはシュレッダー行きの再生紙を纏めるカゴがあった。


 そこの紙は新卒が率先して処分すること、と言い含められていたものの、具体的に当番などは決められていなかったため。


 朝、処分してしまった。その中にセキュリティチェックの文字を何度も見た覚えがある。


「すみません……」


「ん〜〜〜ドンマイ! さっきも言ったけど急ぎじゃないから! 大丈夫! みんなもごめん、時間とらせて! 朝礼行こう!」


 はーい、と気の抜けた返事をする同僚たちの中、俺だけがいつまでも俯いていた。


 その後もExcelファイルのバージョンを巻き戻したり、間違えて去年の資料を引っ張り出してきたり。


 妖精チャレンジは全く上手くいかず、やることなすこと空回った。


 夕方。もう早退してしまいたいが、まだギリギリ有休が付与されておらず、時間休すら取れないとうなだれていると、由良先輩から呼び出された。


「小木、ちょっとこい」


「……はい」


 由良先輩は俺の教育係の女性。


 カツカツと鳴らすパンプスで面倒な上司を威嚇し、帰ってゲームするからと飲み会を拒否し、炎上中のプロジェクトにヘルプに行けば一週間で軌道に戻して帰ってくる。


 強くて自由で有能で、苦手な先輩だった。


 その先輩が今俺の前で、世界で一番美味いものを食べたみたいな顔で煙草を吸っている。


「あの、俺、非喫煙者なんですけど」


「じゃあ今なっちゃえよ。美味いぞ〜?」


 火までつけて寄越してきた。ビジュアルはいいなと思ったことはあるけど、健康を損ねてまで吸いたいと思ったことは一度もなかった。


 なかったけど。どうせがんなら。先が長くないなら。一度くらいと思ってしまった。


「ゲホッ!? ゲホッ、ゲホ!」


「はっはっは! 下手くそ」


 先輩は俺の煙草を取り上げ、元々自分が吸ってた分と合わせて二本同時に吸い始めた。愛煙家ヘビースモーカーにもほどがある。


「お前今日すんごいな。初めてみたぞ、あんな空回りよう」


「……すみません」


「いいっていいって。面白かったし」


 流石に叱られると思っていた。けれど先輩は愉快そうに笑いながら、形だけだとわかるような説教をする。


「あの面倒くさがって誰も整理しなかった管理簿整理したのとか。ナイスだったぞ〜。でも次から業務時間中にやってな。始業前でも残業扱いになるから」


「すみませんでした……でもあの、うちの朝礼って毎日始業五分前ですよね?」


「な。クソだよな」


「仮にも教育係がクソとか言わないでください」


 研修中、会社の陰口を叩いているのが見つかって絞られた同期がいた。こんなことで目をつけられたくはない。


 先輩は焦る俺に目もくれず、心底美味そうに煙を燻らす。


「小木さぁ、毎月なに買ってる?」


「なにって……なんの話ですか?」


「ウチってさぁ〜ブラックかといえばそこまでじゃないけど、ホワイトかというとそうでもないじゃん?」


「はぁ……まあ、そうですね」


「年間休日130日! 月の平均残業時間10時間以下! とかがホワイトって言われる時代なんでしょ? それと比べりゃウチは結構厳しいけどさ、その分給料も他よりちょっといいわけじゃん?」


「まあ、そのために入社したようなもんですし」


「その『ちょっといい』はさ、自分へのご褒美のためにあるんだよ。なんもないならなんか一個くらい作りな。毎月のご褒美」


 就職前は、そのつもりでいたはずだった。けど実際に働き始めたら、ここでずっとやっていけるのかって不安になって、もしものときのためにってついつい貯金に回してしまって……でもいくら貯めても、不安が晴れることはなかった。


「先輩は、煙草ですか?」


「お? よくわかったな〜そうそうこれこれ。あったらあるだけ吸っちゃうからな〜金が飛んでく飛んでく」


 吸ってみてもちっとも良さはわからなかった。よくそんなものにつぎ込めるものだ。


「でもこれがあると、なんだかんだ乗り切れちゃうもんなんだよ。だから小木もさ、気づいたら続いてたくらいの感じでいいから頑張ってみろよ。ウチはちょっと厳しいけどさ、なかなかないぞ? 後輩が朝イチでデスクにホットアイマスク仕込んでくれる会社なんかさ」


 それは今日唯一まだ空回っていない妖精チャレンジだった。まさか本人から指摘されるとは、思ってなかったけど。


「次からは直接渡せよ。季節外れのサンタかよって一人で突っ込んで笑っちゃうから」


「……もうしませんよ。迷惑ばかりかけるんですもん」


「おま、それは勿体ないって。美徳だぞ? いつでも責任逃れ出来るように線引きしたりしない大人なんてさ。だから続けてみろって。それも仕事も」


「いやでも……ん?」


 なんだかずっと違和感を感じていた。それはこの先輩がこんなに気を遣ってくること自体に対してでもあったけれど。


「……先輩もしかして、俺が会社辞めようとしてると思ってます?」


「え? 違うの? なんだよ〜〜! だぁってさぁ、み〜んな辞めてくんだもんさ〜お前みたいな顔したやつ」


「どんな顔ですか」


「今にも死にそうな顔。あんま気負いすぎんなよ。仕事なんてな、テキトーにやってりゃそのうち形になるもんさ」


 気負いすぎてるつもりはなかった。ただ、辛いんだ。役立たずでいるのは。自分が誰にも必要ない人間だと思い知らされるようで。


 だからって、辞めようとまでは思ってなかったけど……そうか。がんが進行したら。それでいつか死んでしまうなら。どのみち辞めることにはなるのか。


 結局、妖精にもなれないまま。


「先輩は俺が辞めるって言ったらどうしますか?」


「別にどうも」


「えぇ……」


「はっはっは! 私も大人だからさ、何があっても大抵のことは割り切れんの。ただ、なぁ……」


 先輩は今までにないくらいたっぷり吸って、それからしばらく息をとめて。最後にゆっくり、ゆっくり吐き出して言った。


「煙草が不味くなるなぁ……」


「……最初から不味いですよ、それ」


「言ってろガキンチョ」


 二本全部灰になって。それで先輩との奇妙な面談は終了になって。その後家に帰っても、煙がまだ肺にあるような気がして。


 気づけば腹痛なんか、すっかり忘れてしまっていた。






 週末。再度訪れた病院で俺は目を白黒させていた。


「ぎようせい……??」


「そう。なかったですよ、がん。よかったですね」


「騙したってことですか……?」


「騙したって……お兄さん、先週ちゃんと話聞いてなかったでしょ。よくあるの。がん検診で陽性だったけど、精密検査したらなんでもなかったみたいなこと。逆に陰性だったのに実はあったとか、あったはあったけど進行しない大丈夫ながんだったとかもあるけどね」


「ニセモノの、ようせいだった……?」


「ニセモノ……っちゃあまあそうだね。偽陽性だからね」


「……確かに、ニセモノでしたね」


「? まあとにかく、また胃腸薬だけ出しときますからね。そういえば、今日はお腹はどう?」


「もう、痛くないです」


「そう。まあ念の為薬は飲んで。何ともなければもう来なくていいからね」


 とまあ、そんな風に。雑に病院を追い出された。


 「元気でいろよ」を「もう来るな」に変換できるのは、きっとこの世で医者だけだろう。






 結局俺は、妖精にもなれなかったし、がんでもなかった。


「小木くんごめん、さっき出してくれたやつ、出来ればcsvファイルで出して欲しかったやつで……!」


「ああ、すみません! すぐ出し直します!」


「ごめんね!」


 きっとホンモノの妖精だったら。こんな簡単なミスはしなかった。


「おい小木、一服」


「はい!」


 きっとホンモノの妖精だったら。こんな風に、煙草休憩で仕事をサボったりしない。


「お前もすっかり吸うようになったな〜。どうだ? やめられんだろ」


「いや、全然クソ不味いですけどね」


「二本目出しながら言われてもな。おい、こっちにも火ぃ頂戴」


 ホンモノの陽性だったら。こんな美味そうな顔で吸ってはくれなくなっていたかもしれない。


 ニセモノだからクソ不味いけど、ニセモノなりに『ちょっとよくて』、今日もまた頑張れる。


 ニセモノでよかった。

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妖精になろうとしたニセモノ 舟渡あさひ @funado_sunshine

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