月と影

望月凛

架空のアイドル

「せいやっ!」

渾身の力で振り下ろされた薙刀が、ついに敵のHPを0にした。

「ああ……」

プログラムとは思えないほどリアルな呻きに、少女……別名、月の姫は痛々しく呟いた。

「ごめんね……」

モンスターは半ば消滅しかけた手をしがみつくように少女の足元に伸ばし。その手が届く前に……消滅した。

モンスターの骸が闇色の粒子となって空に舞い上がるのを、少女は声もなく見つめた。

(私も……)

「きっと、そっち側に行く日が来るよ」

その呟きを、聞いたものはいない。

少女は振り向くと、先ほどまでとは打って変わった明るい笑みを見せた。

「お兄さーん!さっきのモンスター、倒したよ」

呼ばれた男性は、かすかに赤みがさした頬で少女を見つめた。男性が見惚れるのも無理はない。少女は姫、と呼ばれるに相応しく、誰の目から見ても完璧な容姿をしているのだ。マロン色の髪に薄緑色の目が相まって、この世のものとは思えない美しさを醸し出している。

しかし、少女が見たいのはそんな表情じゃない。男性の顔に驚きが浮かぶのを見て、少女はしてやったりとほくそ笑んだ。無論その表情さえも、月の姫ならば魅力的に見えるのだが。

「えっ……このんちゃん、倒したの!?」

「うん!満月の夜は、この子の調子すっごく良いもん。それに……」

このんは愛用の薙刀を鞘に直すと、ぽかんと立ち尽くす男性の耳元で囁いた。

「君を助けたかったから。……困ったときは、ぼくを頼ってね。」

月の姫は殺し文句を残して、満月の夜を駆けて行った……。

―なんて、架空のお話。このんは前方に更なる敵の姿を確認し、薙刀を抜いた。十分距離はあるはずだが、あろうことか、敵の目はまっすぐに自分を捉えた。なんて視力がいいんだろう。現実のぼくは眼鏡をかけてもCなのに。

このんは息を浅く吸うと、猛然と地面を蹴った。

プレイヤー名このん……の本当の性別は男である。基本、アバターがつくられるときは現実の性別と同じになる。これはどのVRゲームでもそうなんだけど……。初めてプレイしたこのゲームで自分が手にしたのは、男性アバターだが見た目は美少女という矛盾にもほどがあるものだった。その日からだ。どうせなら人気者アイドルになってやろう、と思ったのは。仕草、喋り方……本当の性別がばれないように、工夫してきた。でも最近は思考まで女子に近づいているような……。

―まあいいか。楽しむのが一番だもん。

小柄な体を生かし、敵の懐に潜り込む。心臓のあたりを突いたつもりだったが、思考が別の方に向かっていたからか手元が狂った。渾身の突きは、敵のわき腹を掠っただけで終わる。刀が振り下ろされる。このんは軽いステップで避け、再度近づこうとし……動きを止めた。避けたはずの刃が、眼前に迫る。

―うそ、連続技!?しかも、こんなに速く?

このんは舞を踊るようにバク転し、間一髪でそれを避けた。しかし、敵の攻撃はそれで終わらなかった。神速ともいえる攻撃が、四方八方から繰り広げられる。このんの額に、かすかに汗が滲んだ。この敵は、さっきの敵の比じゃない。

このんは何かの拍子につまずき、よろめいた。態勢を立て直す間もなく、追撃が迫る。考えるより先に、薙刀で敵の刃を受け止めた。―重い。あまりの重さに薙刀を落としてしまう。

「あ……」

ぎゅっと目を瞑る。初めてのゲームオーバーだ……。

しかし、その時は訪れなかった。このんの横を疾風が駆け抜ける。金属が重なり合う甲高い悲鳴が上がり、このんはおそるおそる目を開いた。

最初に見えたのは、紋付きの黒色の羽織。意外に小柄な背中は、大人というより少年のものに見える。謎の乱入者は敵の技を軽く受け流し、刀を振り下ろした。

―再度の轟音。よもや、敵に勝るほど速い技が出せるなんて。

視線を敵のカーソルに合わせると、その一撃だけでHPが1割ほど減少していた。

(猛者だ……)

猛者とは、類まれな強さを持つトッププレイヤーのことだ。どこから攻撃を受けても華麗に避け、敵を圧倒していく姿には、月の姫も声を失った。自分は、一撃も相手に届かなかったのに。

このんは先ほど助けたプレイヤーに言った言葉を思い出し、赤面した。

その間にも猛者は奮闘を続け、敵のHPは、ついに残り3割を切った。その瞬間、猛者は跳躍した。スカイブルーの光を帯びた刀が、後ろに引き絞られる。武器一つ一つにランダムでつけられた必殺技、秘技を使うのだ。

猛者は敵に向けて、三段に分けて神速の突きをお見舞いした。沖田総司が得意としたと言われる、三段突きだ。

(この刀を作った人、新撰組好きだったのかな)

猛者は秘儀を終えるとふわりと着地し、と同時に、敵はその身を無数の欠片に変え、散った。

敵が倒れたのを確認しても、月の姫は動かなかった。猛者が、ゆっくりと振り向く。その者が誰であるかは、顔を見る前にわかった。

「……劉輝りゅうきさん?」

無口な美少年プレイヤーで、おそらくレベル90を超えるであろう猛者。別名、影の騎士。このんが探し続けていたプレイヤーだ。劉輝は一瞬、げっ、バレた、といった渋い表情をした後、かすかに目を見開いた。クールな口調とは裏腹に、感情を隠しきれない様子も、このんが聞いた話のままだ。

「月の、姫?」

今度はこのんが驚く番だった。まさか、猛者にもぼくの話が伝わっているなんて。

このんは背中から薙刀を引き抜くと、軽く舞を舞ってからウインクして見せた。未だに慣れない、ぼくの決めポーズ。

「本物だ……」

劉輝は呟いて、刀を鞘に直した。

「お兄さん、ぼくのこと知ってるの?」

「え?ああ、まあ……。強い美少女プレイヤーがいるっていうから、気になって」

強い、の語句が強まったあたり、顔よりも実力が気になったのかもしれない。このんは少しだけ肩を落として言った。

「ぼくも劉輝を探してたんだ。ね、せっかくだし、どこかお店寄らない?お礼にパンケーキ奢らせてよ」

劉輝はパンケーキという語句に興味をそそられたようだが、またすぐに目を伏せた。

「……いや、これも仕事の内だから」

「そう?残念。期間限定なんだけど……」

「わかった。でも、お金は俺が払う。それが用心棒の掟だから」

限定、という言葉に弱いのだろうか。このんは即答に驚きつつ、にっこりと笑って、胸をどんと叩いた。

「月の姫ことこのんが、案内するよ」

「……よろしく。このん」


途中何度かモンスターに遭遇したが、特に手こずることもなく、一行は目的の店にたどり着いた。様々な時代ゾーンが存在するこの世界で、江戸時代後期に位置するその店は、数少ない甘味処として人気がある。(江戸時代にパンケーキはないはずなんだけど、みんな秘密にしてね)涼し気な風鈴の音とともに店に入って来た二人に、客の視線が集中した。集中したとはいっても、客の大半は女性プレイヤーなので、このん的にはさして問題は無い。しかし、劉輝はそうもいかないだろう。げっと思っているのが背中越しに伝わってくる。

いちいち分かりやすい人だなあと思いながら、このんは端の席に座った。斜め前に劉輝が腰かける。

俊足で来たCPU店員にパンケーキ二つを頼み、このんはやっと肩の力を抜いた。アイドルとして最低限の愛想は振りまくけれど、人と接するのはあまり得意ではない。それを考えれば、今の状況はとても不思議だ。友達と二人で食事なんて、現実でもしたことがない。

がり勉タイプな現実の自分を想い、このんは苦笑した。

周りの視線を鬱陶しそうにする劉輝を見て、このんの口から自然と問いがこぼれた。

「お兄さんは、人と話すの苦手?」

「劉輝でいいよ。……苦手っていうか」

劉輝はそこで何かを思い出したのか、露骨に顔をしかめた。その表情は何かに怒っているようだったが、このんには、目の前の少年が泣いているように見えた。

「……なにかあったの?」

劉輝はその言葉にはっとしたように、首を振った。その取り繕うような仕草に年相応の幼さを感じ、不思議な気持ちになる。……どうして、関係もない自分がそう思うのだろう。話を聞いていた時は、完璧な少年だと思った。自分とは真逆の少年。しかし実際は、そうでもないのかもしれない。

「……このんは?」

「へ?」

不意な問いに、つい間抜けた声が出る。

「人と話すの。……まあ、このんは人気あるし、聞くまでもないか」

人気という単語と質問、どちらも否定するために、このんは大きく手を左右に振った。顔を俯けて、言う。

「ほんとは得意じゃないんだ。現実のぼくを見たら、たぶんびっくりすると思うよ」

劉輝は、そう?とでもいう風に首をかしげ、なんてことないように言った。

「……たしかにこの世界は架空だから、見た目は全然違うかもしれないけど。中身は変わらないだろ」

(……中身。でも、ぼくは無理やり変えてるんだよ)

「まあ、俺は現実と全然違うけど。性格も含めて」

「えっ?……さっきと言ってることちがうじゃん」

このんはそれまでの思考すらも忘れて、目を丸くした。劉輝はぷっと噴き出して、いつの間にか置かれていたパンケーキに目をやった。

「……冷める。早く食べるぞ」

そう言うなり、フォーク片手にむしゃむしゃと食べ始める。このんはこんな相手に気を遣う自分が馬鹿馬鹿しく思えてきて、構わずシロップを大量にかけた。

「……かけすぎじゃない?」

控えめに声をかけられて、このんは頬を膨らました。

「いいの!ぼくだって普段は我慢してるもん」

思い切り頬張ったパンケーキは、今まで食べた中でだんとつに美味しかった。

―たとえ、演技でも。今この瞬間だけは、一つの現実だと信じたい。

月の姫はその時初めて、“このん”としての心からの笑顔を見せた。


―数日後。二人の意味合いの異なるアイドルは、フレンド登録をするまでの仲になった。数日に一度の頻度で共にレベル上げをするまでになったが、今日は約束の狩りの日だ。……だったのだが。

(最悪だ。)

寺田修てらだしゅうは玄関の扉を開くなり、勢いよく2階の自室に駆け込んだ。下から、心配そうな母の声が聞こえてくる。

「修ちゃーん、どうしたの?」

階段を踏む軋んだ音が響く。……頼む、来ないでくれ。母を止めてくれたのは、父だった。

「やめろ、母さん。修もいろいろあったんだろ。そっとしておけ」

「……いろいろって?」

「まあ、人間関係が複雑になる時期だろうし……失恋でもしたんじゃないのか?」

「失恋?修ちゃんが?……まさか」

(失恋?……馬鹿げてる)

修は父の勘違いに怒りを通り越し、心が冬の湖面のように冷たくなるのを感じた。

自分が恋愛ごときで悩むような人間だと、父は本気で思っているのか?

修は大きく息を吐いて、机の上からひったくるようにしてVRゴーグルを取ると、頭に装着した。ベッドに横になり、開始の合図を口にする。

「……出陣」


最高の気象設定だ。今日に限って晴天か。その時、しゅばっと煙のような音が聞こえ、このんはそちらに目をやった。

「……劉輝?」

現れたのは、何かをこらえるようにぐっと拳をにぎりしめた劉輝だった。

劉輝は焦点のずれた目線をこのんに投げかけ、驚いたように目を見開いた。今にも泣き出しそうな目。きっと自分も、同じ目をしているのだろう。

「このん。……どうした」

「劉輝こそ、どうしたの?」

劉輝は質問に質問を返されて、困ったように頭を掻いた。

「いや、まあ」

「こっちも、まあ」

似たり寄ったりの答えを返され、またも劉輝は困ったように顔をしかめた。その表情に、このんは頬を緩める。劉輝は肩をすくめて言った。

「今日はどうする?無理してレベル上げしなくても、別に店寄るだけでもいいし」

「うーん、そだね……。今はとりあえず敵をぶっ飛ばしたい気分だから、いいところある?」

「時々サイコなこと言うな……。ぶっ飛ばしたい、か。城攻めるのは?」

このんは目を丸くした。

「えっ……お城、入れるの?っていうか、敵いるの!?」

劉輝はうなずいて、マップを開いた。

「うん。まあ、二人でってなるときついけど……近くなら和歌山城が良いかな。城主が変わったばかりだから、多分まだ敵もそんなに多くないし」

「へ、へえ……。城主って、普通のプレイヤーもなれるの?」

「そりゃ、そう。俺もソロで城主目指して、速攻死んだ。」

「そうなの!?よし、じゃ早速行っちゃお、劉輝!」


―勢いだけは良かったんだけどなあ。

いざ入った城内には、予想以上に敵がいた。それも、一体一体が無駄に強いおまけつき。

「無理―!」

「ふつうはパーティで挑むもんだしな……おっと」

劉輝は振り向きざまに、このんに迫った敵を真一文字に切り裂いた。

「……このん、実は言いそびれたことがあるんだけど」

「……どうしたの?」

真面目な口調に、嫌な汗が伝う。……やめてくれ、言葉だけは。劉輝は浅く息を吸って、一息に言い切った。

「俺、女なんだ。ほんとは」

「……え?」

「危ない、このん!」

しまった、油断していた。このんは、完全に包囲されていた。背後に刀が迫る。避けられない……!

ぐさっ、と致命的な音がした。しかし、それはこのんのものではない。

「……劉輝!」

「くっそ、しまった……毒!」

「え?」

少し遅れて、このんも体の異常に気がついた。……動かない。まさか、最初に受けた攻撃が、今更……。

麻痺を食らい、動けなくなった二人をあざ笑うかのように敵の攻撃が迫る。このんはぎゅっと目を瞑った……。


「いやー惜しかった」

「どこが!?」

リスポーンした二人はその後、思い出の店に寄った。頼んだのは、もちろん二人分のパンケーキ。

初めてのゲームオーバーだったが、このんの心は満足感で満たされていた。一つ、気になることを除けば。

「……劉輝。本当は……女の子なの?」

劉輝が身動きを止めてしまったので、このんは続けて、言った。

「……ぼく、ほんとは男なんだ」

「はあ!?……ほんと?」

このんは頷いた。いつかは、言うつもりでいたことだ。でもまさか……相手も同じタイプだとは夢にも思わなかったけど。

「ぼく、修。寺田修。劉輝は?……あ、言いたくなかったら大丈夫だけど」

劉輝はまさかと首を横に振って、答えてくれた。

「俺……いや、私は篠原紅葉しのはらもみじ。寺田修?私のクラスにもいるよ、同じ名前の人」

「そうなの?ぼくのクラスにもいるんだけど。篠原紅葉さん」

「え、ほんと?……まさか、クラス同じ?」

「えっ、うそ」

二人、ぽかんと顔を見合わせる。―いや、まさかそんなことがあるわけ……。


―翌日。いつもより早くに登校した修は、端の席に少女の姿を見つけた。少しだけ躊躇ってから、声をかける。

「おはよう、劉輝」

少女はどこか劉輝に似た切れ長の瞳を、驚きから、柔らかいものに変えた。

「……おはよう、このん。まさか、本当に修がこのんだったなんて」

「こっちこそ、紅葉が劉輝だとは思わなかった。……少年の真似、うまいな」

架空のアイドルは、見つめ合って、微笑んだ。

もしかしたら、違う時代からやってきたのかもしれない。あたたかい風が、二人の間を吹き抜けた。





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月と影 望月凛 @zack0724

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