8話 神速の剣士

 あれからしばらく経ち、いよいよ一週間後にアストリア王立学園への入学を迎えるこの日。

 俺は実家を旅立つ前に、リュシア先生との最後の修行に臨んでいた。

 見物人はお母様とフェリシアの二人。

 ひと通りのメニューを終えた俺は、新たな相棒、神剣エルヴェリアを手に彼女との戦いに挑むことになる。


「今日は、その剣を使うのですね」

「はい。本気で来いとリュシア先生が仰ったので」

「ええ。レオン様が私との修行後に、一人でその剣の研究をしていたのは知っています。しかし私はまだその能力を知らない。ふふ、楽しみですね」

「今日までのお礼に、とびっきりすごいものを見せてあげますから、楽しみにしていてください」


 俺は敢えて彼女に向かって大口を叩く。

 その言葉を聞いたリュシア先生の眼は、完全に指導者のそれになった。

 新たな武器を手に入れ、高く伸びた鼻っ柱を叩き折ってやろうという意思を感じる。

 それはつまり、彼女が真剣にこの戦いに臨んでくれることを意味するのだ。

 俺は柄を握る力を強め、いつでもスタートダッシュを切れるように構えた。

 対するリュシア先生は、練習用の一振りの剣を余裕そうに構えてこちらを見ていた。


「――行きますよ」


 俺は勢いよく地面を蹴り、猛スピードで真正面からリュシア先生の下へと潜り込んで斬り上げる。

 だがリュシア先生はそれを片手の剣で軽々と受け止め、波に乗るようにステップを刻み、横から剣を振り下ろした。

 しかしこれくらいは想定内。俺は即座に再度地面を蹴って転がるようにしてそれを回避した。

 まずは純粋な剣技による勝負を仕掛ける。それこそが最も俺の成長を示す何よりの証拠になる。

 

「はぁっ!!」

「ふっ――なかなか、腕を上げましたね。やはりあなたには才能がある」

「それはどうも――ありがとうございますっ!!」


 こっちは全力で剣を振るっているというのに、リュシア先生はまだ”先生”として振舞う余裕がある。

 俺が大上段から渾身の一撃を振り下ろしてなお、彼女は余裕でそれを受け止めた。

 くそっ、あの細腕にどんだけのパワーが秘められてるんだよ。

 そんな事を考えると、不意に強烈な浮遊感に襲われた。


「足下がお留守ですよ」

「えっ、うわっ!!」

「はっ!!」


 気づけば足払いで俺の体は宙に浮かされ、直後力が抜けた俺の手首を開いていた手で掴まれ、彼女によって勢いよく上に放り投げられてしまった。

 まだまだ子供とはいえ人間一人をここまで軽々投げるって相当やばいよな。

 だが感心している場合ではない。大地を蹴り、猛スピードで上昇して追撃してくるリュシア先生が迫っているのだから。

 流石にもう、余裕はないか。

 俺は大きく息を吸い込み、強引に体勢を立て直して神剣エルヴェリアを大きく構えた。

 そして宣言する。力の解放を。


「紅蓮の型――エルヴェリア・ルージュ!!!」

「――!?」


 直後、眩い真紅の光がエルヴェリアに灯る。 

 剣から漏れ出たオーラはやがて炎を成し、燃え盛る業火の剣を生み出した。

 この色が持つ特性は、もちろん火属性。一撃の重さに特化した、圧倒的なパワーを得る。

 そしてこの状態で放つ技はもう決まっている。


猛火の咆哮ブレイズ・ロア!!」

「これは―ーマズい!!」


 灼熱の炎がまるで大口を開けた虎の如き形を成し、刃と共に勢いよく大地へと解き放たれる。

 そしてエルヴェリアの刃がリュシア先生の刃に触れる。

 普段ならパワーはあちらの方が上だが、今の俺なら――


「は、あっ!!」

「ぐっ――」


 圧倒的なまでの力技で俺は強引に剣を振り切った。

 そしてすさまじい勢いで落下していくリュシア先生を追うように、業火の虎が襲い掛かった。

 リュシア先生の表情が一転して厳しいものになる。その表情は教育者ではなく完全に戦闘者のそれだ。

 この一撃はいくらリュシア先生と言えど、流石に無事では済まないだろう。

 流石は神の名を冠す剣、あれほどの実力差がある相手にここまでやれるとは――ん?


「舞い降りなさい――シルフィード」


 まるで風に乗って直接耳に流れてくるような爽やかな声と共に、俺の真下から凄まじい竜巻が突き上げてきた。


「え、ちょ――エルヴェリア・テール!!」


 重力に従って落下を始めていた俺の体が竜巻に飲み込まれそうになったため、大慌てでエルヴェリアの色を切り替える。

 【大地の型】エルヴェリア・テール。これは地属性に特化した色だ。

 地属性魔術には大地に干渉し、重力を操作するものがある。

 今回はそれを応用して一時的に浮遊能力を獲得し、竜巻の勢いを抑制しながら範囲外へと逃れた。

 そしてゆっくりと地面に着地する頃には、竜巻は収まり、それを起こした主の姿が視認できるようになった。


「リュシア先生、それは――」

「これは私の顕現武器、シルフィード。抜くのはいったい何年ぶりでしょうか。まさかこれを使うことになるとは思いませんでした」


 現れたのは、色が付いた風を纏う翠色の双剣使いだった。

 見た目の通り、風を操る剣と言ったところか。

 というか、リュシア先生って二刀流だったのかよ。今まで剣を二本持っているところなんて見た事ねえぞ。

 これまでの模擬戦がリュシア先生にとっては遊びですらなかったことを痛感するな。

 しかし彼女がそれを抜いたということは、俺を対等な剣士として戦うことを認めたってことになる。


「へへ……」

「なにか、おかしいですか?」

「いや、リュシア先生が本気を出してくれると思うと嬉しくて」

「……そうですか。でも、きっと楽しめないと思いますよ」

「え?」

「何故ならあなたの首はもう、私の刃の前にある」


 ぞくりと強烈な寒気に襲われ、後ろを振り返ると、そこには既に刃を構えたリュシア先生の姿があった。

 嘘だろ。1秒前には目の前にいたんだぞ。ほんの一瞬たりとも眼を話していないのに、いつの間に。

 だが、そんな事を考えている余裕はない。俺は恐怖を振り払うように大声で色の変化を宣言した。


「エルヴェリア・ヴェール!」


 【疾風の型】エルヴェリア・ヴェール。緑の色を纏った神剣は俺に風の力と圧倒的な速度を与える。

 俺は大慌てでリュシア先生の剣から逃れ、即座に反転して彼女へと斬りかかった。

 しかしそこには既に彼女の姿はなく、辛うじて感知により俺の頭上から攻撃を仕掛けてきたのが分かった。

 

「ぐっ……」


 なんとかそれを皮一枚で躱すと、彼女がいた位置に向けて剣を振るった。

 もちろんそんなやけくそな攻撃が当たるはずもなく、刃は空を斬ることになる。

 そして振り返ると恐ろしいスピードでこちらに迫りくるリュシア先生が見えた。

 スピード特化のこの型ですら対応しきれないほどの圧倒的な速度。

 まさに神速と呼んでいい双剣士の攻撃に対して、俺は受け止めるのがやっとだった。

 この色が無かったら、俺は一方的に切り刻まれて負けだっただろう。

 だが、神剣の力のお陰でギリギリ斬り合いと呼べる戦闘を演じられている。


「これがあなたの顕現武器。確かに凄まじい力です。だが、あなたの眼が、体が、その速度にまだ追い付いていない」

「くっ――うわっ!?」


 シルフィードの一振りを受け止めた直後、突風に煽られて俺の体は勢いよく吹き飛ばされた。

 くそっ、この速度での戦闘をしながら風を自在に生み出せるのか。

 このままじゃあまず間違いなく勝てねえな。

 なら仕方ない。リュシア先生の土俵で戦うのはやめよう。

 俺には他の戦い方がある。彼女の領域ではない部分で戦うことが許されている。

 それを可能とする女神の剣が、俺の手にはあるのだから。


「行きますよ。漆黒の型――」

「――!! させませんっ!」


 俺が剣を両手で構え、その名を宣言しようとした直後、神速の踏み込みでリュシア先生が迫りくる。

 やべえっ、間に合わねえ! そう思ったが、ヴェールは既に解除済み。

 このままだと斬られる。ならばせめて返しの一撃を決めて見せよう。

 俺は覚悟を決めて歯を食いしばった。


「そこまでよ」


 だが、その刃が俺に叩きつけられることは無かった。

 透き通る美しいお母さまの声が、俺達の体から急激に力を奪った。

 柔らかく、しかしどこか抗えぬ響きを持ったその声は、瞬時に戦場の熱気を鎮め、二人の意識を強制的に現実へと引き戻す。

 リュシア先生は刃を振りかぶったところで動きを止め、膝を落とした。


「もう十分でしょう。これ以上はダメよ」

「はっ、申し訳ございません。セラフィーナ様。つい熱が入ってしまい……」

「良いのよリュシア。ふふ、あんなに楽しそうなあなた、久しぶりに見れたわ」

「そ、それは……」


 酷く恥ずかしそうに顔を赤らめるリュシア先生。

 彼女は自らをお母さまの剣に過ぎないと戒めているので、露骨に感情を表に出したことを反省しているのだろう。

 だが、俺の剣は、堅物の彼女の感情をここまで揺らすことに成功したと思うと誇らしくなる。


「レオン」

「はい、お母様」

「素晴らしい武器と出会えたのね。修行の成果もしっかり出ている。母として誇らしいわ」

「--!! はい、ありがとうございます!」

「でもね、その剣の使い道。間違えてはダメよ。あなたの力は何のためにあるのか、どう振るうべきなのか、学園でしっかり学んできなさい」

「はい、分かりました。お母さま」


 俺の力は俺が生きるためにある。

 前世の俺ならばそう言い返していたかもしれないが、今は色々と状況が違う。

 ここは素直にありがたい忠告として受け取っておくべきだろう。


「私からも二つだけ」

「はい、リュシア先生」

「あなたのその剣――エルヴェリアは、凄まじい力を内包する強力な武器です。恐らく色を変えることで能力を変える性質を持っているのでしょう」

「はい」

「ですが、特化した能力以外が衰えている。例えば緑の時は、明らかにパワーが落ちていました」

「流石ですね。もうそこまで見抜かれていたんですか」

「あれだけ切り結べば流石に分かります。そしてそう言った明確な強みと弱点を持つ場合、強みを伸ばすのはもちろん大事ですが、弱点を補う手段も持っておくと良いでしょう」

「なるほど……」

「後は色の切り替えですね。見たところ、切り替えるにはある程度の時間を要する。つまり隙が生まれています。その隙をどう誤魔化すかも今後の課題とした方が良いでしょう」

「はい、ありがとうございます」


 何となく自分でも理解していたつもりだが、改めて言語化されると分かりやすいな。

 この神剣エルヴェリアは万能だが全能ではない。

 使い手の腕が試される剣であることは確かだ。

 俺は確かに成長しているが、まだまだ大きく成長する余地がある。

 今回はこれからが楽しみになる一戦だったと言えるだろう。

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