一人ぼっちの女神様との楽しい虫まみれ生活

まさかミケ猫

一人ぼっちの女神様様との楽しい虫まみれ生活

――この世界は、妖精に溢れている。


 といっても、別にファンタジーの話ではない。

 例えば、わいわいと花蜜を吸いに来る蝶や蜂であったり、草むらで跳ね遊ぶバッタや、人知れず家のゴミを食べて掃除するゴキブリ。そういったものが、僕の目には妖精に見えるという話だ。


 まぁ、そんな説明をしたところで、納得してくれる人間には出会ったことがないんだけど。高校の教室でも、まだ顔と名前が一致していないクラスメイトが、僕の言葉に首を傾げていた。


「……お前、変な奴だなぁ」

「まぁ、自覚はあるよ。僕の感覚が世間一般と違うっていうのは分かっているんだけど……それでも、どうかお願いだ。僕の目の前で虫を雑に扱わないでほしい」


 クラスメイトの手の中には、叩き潰された蚊が無惨に横たわっていた。だから、僕はどうしても苦言を呈さずにはいられなかったのだ。

 中学時代にもで失敗したというのに、我ながら懲りないなと思う。


「まぁ……分かった。お前、虫が好きなのか?」

「……うん。ごめんね、変なことを言って」

「いや、それは別に構わんのだが……なるほど」


 中学の時は周囲からずいぶん気味悪がられたんだけど、目の前のクラスメイトは不思議と僕に悪感情を向けてこない。それどころか、ニッと笑って自己紹介までしてきた。


「俺の名前は千葉ちば 耕太こうた。そんな気まずそうな顔しなくていいから、これから仲良くしようぜ。お前の名前は?」

「……僕は寺田てらだ りく。よろしく」

「おう。よろしくな」


 耕太は最初からやけに馴れ馴れしい。

 こういう反応をされるのは初めてだったから、僕はどうしたらいいのか分からず、すっかり混乱してしまっていた。


「陸さぁ、今日の放課後って暇?」

「へ? まぁ、うん。特に予定はないけど」

「それじゃあ、ちょっと連れていきたいトコがあんだよ。お前ならたぶん気に入ると思うんだ」


 こんな風にして、僕は耕太に言われるがまま、なんだか妙な流れで彼についていくことになってしまった。どうしてこうなったんだろう。


 その日の放課後、耕太はなんだかウキウキした様子で、自転車に乗って僕を先導していった。どうやら耕太の家は、高校からわりと近い場所にあるらしい。


「陸の家は遠いのか?」

「うん。高校からは自転車で駅まで行って、そこから三十分くらいは電車に揺られるんだ」

「うへぇ。ずいぶん遠くから通ってんだな」


 それにしても、僕はどこに連れていかれるんだろうか。今更ながら、少し不安に思う。


 高校に入学してまだ一ヶ月も経っていない。

 今はようやく通学経路に慣れてきただけの段階だから、周辺の地理は把握できていないんだよね。景色にも見覚えがないし、ここから駅に行くには地図アプリを駆使する必要がありそうだ。


「俺には幼馴染がいるんだ」

「……幼馴染?」

「あぁ。同級生の女の子で、実家が隣同士でな」


 へぇ、そういうのって現実にもあるんだな。漫画なんかだとそういう設定も見かけるけど、実例を聞くのは初めてだ。


「これから行くのは、その幼馴染の家だ。といっても、実家を出て一人暮らしをしてるんだが……高校は通信制で勉強していて、今は引きこもってるんだ」

「へぇ。それはどうして?」

「まぁ、そこは俺が話すことでもないかな。まずはあいつに会ってみてほしいんだ」


 いったいどんな子なんだろう。

 僕は脳裏に疑問符をいっぱい並べながら、自転車をぐんぐんと漕いでいく耕太の後ろをついていった。こんな風に同級生と放課後を過ごすことも初めてだから、少し緊張もしていたんだけど。


 ◆


――それは、この世の楽園、と呼ぶべき場所だった。


 広い庭にはたくさんの温室が立ち並んでいて、その中には様々な種類の虫が飼育されている。ざっくり言えば、動物園の虫バージョンみたいな感じで、僕からするとまるで「妖精の楽園」のように見えるわけだ。


 僕はどちらかというと人見知りな方なんだけど、気がつけばこの家の主である女の子にガンガン質問をしてしまっていた。


「このエリアで育ててるのはミールワームだよね。もしかして、蜘蛛の生き餌にするため?」

「そう。残念ながら、蜘蛛の可愛さを分かってくれる人は少ないけど。耕太は悲鳴をあげるし」


 彼女の名は芦村あしむら 紗季さき

 同い年の割には小柄で、どちらかというと淡々と喋る感じの子だ。だけど僕の目には、妖精の楽園を管理している女神様、という感じに映っていた。


 僕をここに連れてきた耕太は、最初の顔合わせが済むと早々に退散していってしまった。

 どうやら、彼は虫が苦手らしく、この場にいると背筋がゾワゾワしてしまうのだという。僕からすると不思議でならないけど、一般的な反応ではあるんだろう。


「……ごめん、すっかり興奮して話しすぎたよ」

「大丈夫。私も同じ趣味で盛り上がれる人って全然いなかったから……楽しい。お茶を淹れるから、家の中に来て。あ、帰る時間は大丈夫?」

「あぁ、それはまだ平気だよ」


 そうして、僕は家に案内される。

 年頃の女の子の家に男が上がり込むのは、ちょっとどうかなとは思うんだけど。趣味の話をしたいのは僕も同じだからね。


「そこのソファに座ってて。お客様なんて珍しいから、あんまり片付いていないんだけど」

「いや、綺麗に整頓されてると思うよ」

「……恥ずかしいから、あんまり見ないでね」


 僕はリビングのソファに座って周囲を見る。

 壁にかかっているのは蝶の標本かな。すごく丁寧に処理されているのが分かるし、コレクター魂を感じる。チラッと見えたゴミ箱には昆虫食のパッケージが捨ててあって、彼女にとってはそういうのも日常の一部なんだというのが分かる。


 虫と共に生きる。すごく羨ましいなと思うよ。


「お待たせ。お茶淹れてきた」

「芦村さんは――」

「紗季でいい。私も陸って呼ぶから」


 いきなり名前呼びをされると、ちょっとドキッとしてしまうんだけどね。まぁ、せっかく同好の士を見つけたんだし、仲良くさせてもらいたいのは僕も同じだ。


「紗季は、どうして一人暮らしを? その、言いにくい話だったら別にいいんだけど」

「うん……実は母親が極度の虫嫌いで」

「あー、なるほどね。うちと一緒だ」


 親の理解を得られないのは、辛いよね。

 僕の場合は小学生の頃、ケージに入れて大事に飼っていたスズムシを捨てられてしまった。そのことでしばらく喧嘩状態になったんだけど、我が家では子どもの権利なんてあってないようなものだから。


「僕は結局、実家で虫を飼うのは諦めて……実家を出て一人暮らしを始めるタイミングまで、我慢することにしたんだよね」

「理解した。それは辛いね」

「うん。だから紗季の環境は正直羨ましいかな。一人暮らしで虫に囲まれて、学校も通信制だから時間の縛りも少ない。僕からすると夢みたいな生活だよ」


 そう話してお茶を一口飲むと。

 紗季はため息混じりに呟いた。


「私の親は、趣味に理解があるわけじゃない」

「そうなの?」

「ん。単純にお金があったから、気持ちの悪い娘を厄介払いしたかっただけ。それに……誰とも話をせずに一人で家にいるのは、ちょっと心を病みそうになる」


 なるほど。それはそれで辛そうだ。


 残念ながら、僕らの趣味には理解者が少ない。

 それ自体は仕方のないことだけど、孤独の辛さというのはまた別の話だからね。僕が外面を取り繕ってどうにか生活しているのも、結局のところ、人は一人では生きていけないからだ。


「それに……いつまでこの生活を続けられるのかも分からない。この家は親が持っているものだけど、高校を卒業したら賃貸料を徴収されるから」

「そっか。稼ぐあてはあるの?」

「まったくない。アルバイトをしたところで払えるような額でもないから、正直お手上げ状態。母親は私の顔を見るのも嫌みたいだし、父親は良くも悪くも仕事人間だから、条件を取り下げる気はなさそう」


 紗季はそう言って、静かにお茶を飲む。

 なかなか大変な状況みたいだね。


「とりあえず、一緒に何か考えてみようか」

「……いいの?」

「せっかくできた虫好きの友達だからね。他人事とも思えないし、ぜひ協力させてほしいんだ。あ、これからも遊びに来るのは大丈夫?」


 そう問いかければ、紗季は目をキラキラさせて僕の手を取る。


「ん。陸なら毎日来てもいい」

「分かったよ。じゃあ、これからよろしくね」


 こうして、僕は生まれて初めて、遠慮なく趣味をひけらかせる子と友達になった。紹介してくれた耕太には感謝しないといけないだろう。


 ◆


――あれから半年が過ぎて、今は秋。


 気温がガクンと下がった寒い日に、僕は紗季と手を繋いで近所のスーパーへとやって来ていた。


「今日の夕飯は何にしようか」

「……鍋がいい」

「あぁ、今日はずいぶん寒いからね」


 話しながらカートに食材を積んでいく。

 そろそろ米も買わなきゃいけないし、醤油が切れかけていたはずだ。自分たちで生活するというのは、何かと面倒なことも多いけど。まぁ、それもちょっと楽しいかなと思う。


 そうして買い物をしていると、僕らの前に現れたのは耕太だった。


「よう。お熱いね、お二人さん」

「それ毎回言わなきゃ気が済まない?」

「もちろん、毎回言わなきゃ気が済まないさ」


 そうして、耕太と少し雑談する。


 紗季と出会ってからすぐにゴールデンウィークがあったけど、結局ほぼ彼女の家に入り浸っていたんだよね。それからも、学校帰りには毎日通い詰めて。それで、夏休みが始まってすぐくらいに、僕らは交際することになったわけだ。もちろん、耕太にもリアルタイムで情報が渡っている。


 それで、夏休みには紗季のお父さんと話をする機会があって、僕らの今後の活動方針について色々と議論をしたんだけどね。


「そういや、陸と紗季はどっかの専門学校に行くって言ってたか」

「うん。将来はインセクトブリーダーとして生計を立てようと思ってるからね。昆虫科のある専門学校があるから、そこを目指そうと思ってて――」


 僕らは高校卒業後、専門学校で虫の飼育についてしっかり学ぼうと思ってるんだよね。それで昆虫ショップなんかで実務経験を積んでから、独立して虫の飼育を職業にしようと思ってるわけだ。

 紗季のお父さんは、将来の見通しさえしっかりしているのであれば、賃貸料の徴収は待ってくれるらしい。とはいえ、商売としてちゃんと採算が取れるように経営していかないといけないから、大変ではあるんだけど。


「俺は虫のことはあんまり分かんねえけど、カブトムシやクワガタなんかは人気なんだろ?」

「うん、海外産の珍しいものはね。そういうのをちゃんと取り扱えるようになって、生計を立てられるようにならないといけないんだよ」


 インセクトブリーダーとしてそういった人気の虫を育てて売りながら、趣味として多種多様な虫に囲まれて生活していく――というのが、僕と紗季の描く将来像だ。


 もちろん、そう簡単にいくものでもない。夏休みの間に色々と調べたり、昆虫ショップまで出向いて、経営者の人に話を聞いたりもしたんだけどね。商売の世界というのは、やっぱりシビアなんだと思うよ。

 今はネット販売も盛んだし、展示会なんかもあるから、必ずしも店舗経営がだけが正解じゃない。考えなきゃいけないことは多いんだよね。


「それにしたって……同棲までするとはなぁ」

「まぁ、そこは流れでね」

「何にせよ、俺の予感は正しかったらしい。お前ら二人は絶対にお似合いだと思ったんだよなぁ……まさか、こんなトントン拍子に展開していくとは予想してなかったが」


 そうして、耕太は僕らに手を振って立ち去った。


――妖精たちの楽園を管理していた一人ぼっちの女神様は、僕の恋人になった。


 もちろん、耕太のように僕らの趣味を理解してくれる人はそう多くはないだろうし、これからも大変なことはたくさんあるだろう。

 それでも彼女と一緒なら、楽しくやっていけそうだなと、今の僕はそんな風に思ってるんだ。

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