第4話 神芽 其の四

 結城は仰臥ぎょうがしたまままぶたを開けた。そのかたわらで『先生、水鏡すいきょう先生、客人がお目覚めに。』とわらべの声が騒いでいる。


 おそらく、結城が目覚めるのを待っていたのであろう。しばらくして、水鏡と呼ばれた初老しょろうの男が部屋に入ってきた。


 結城は彼の姿に違和感を覚えた。


― まるで中国の水墨画すいぼくがから出てきた仙人みたい ―


 まんじりと見つめる結城の視線を、水鏡は微笑んで受け止めている。彼から視線を外して屋内を見れば、質素ながらも風格のあるたたずまい。窓の格子戸こうしどからは外廊下ののきが見える。

 結城は焦った。しかし今更、騒いでも始まらない。落ち着こうと深呼吸を数回してみる。


「目覚められたか、そなた達は何処どこの者じゃ?」

「・・・私は佐倉さくら 結城ゆうきと申します。」


結城の一連の動作を見取って、水鏡は口を開いた。それに結城はなるべく平静を装って答えた。


「あの・・・ここは?」

荊州けいしゅうの山奥じゃが・・・。」

「荊州?」


押し黙る結城に水鏡は 童子が持ってきた薬湯を勧めて時勢を話し始めた。


りゅう景升けいしょう殿が刺史ししじゃが病床での。その後は今の婦人のお子が継承してそう孟徳もうとく公に明渡あけわたすか、新野しんやりゅう玄徳げんとく公が荊州を譲り受けるか・・・この荊州には安定した内政の元で身を潜める良き在野の将が多い。

どちらにせよ直に戦乱のあおりも受けるじゃろうが・・・・・。」

「劉・・・・玄徳?・・・・・・って、劉備玄徳りゅうびげんとく?!」


 水鏡は悲観した物言いだったが、結城が反応を示したのはそれではなかった。見知った単語に耳を疑った。


 荊州は知らなくても”劉備玄徳”ならば知っているからだ。


 まぁ、この場合の知るとは、顔を見知っているのではなく、史実に基づいて勉強したから記憶にあったというのが妥当だとうか。


 中国史上、劉備玄徳とは中山靖王劉勝ちゅうざんせいおうりゅうしょう末裔まつえいにして 桃源とうげんの近いで関羽かんう張飛ちょうひ義兄弟ぎきょうだいちぎりを交わし、黄巾こうきんの乱で名を上げた。

 最も知られているのは、三顧の礼で軍師諸葛亮しょかつりょう孔明こうめいを配下にした三国志の君主の一人だということ。


 結城の頭の中を歴史の教科書内容が駆け巡る。どれもこれも、うろ覚えだったが、この世界が現代ではない事がはっきりした。


「結城よ、佐倉が姓で結城とは名か?」

「はい。」


ここは素直に答えるしかない。現代でない以上、下手に騒げないのだ。


― 夢・・・じゃないみたいね。 ―


 飲んだ薬湯やくとうの熱さで夢にしては真実味がありすぎることを実感する。少しして水鏡は結城に奇妙な提案をしてきた。


「名は本質をあらわす。なれば、字を称して名を隠すが良い。」

「あざ・・・な・・・ニックネームのことかな・・・・・それなら、ユウです。」

「そうか、ではユウよ、ここには好きなだけ居るが良い。」

「でも、迷惑が・・・」

「なに、ここには多くの若者が訪れ語り明かす、道楽のような場所じゃ。遠慮は要らん。」


 水鏡は席を立つと、童子どうじに衣類を持ってこさせた。


「あの、水鏡・・・先生・・・・柚は・・・・?」

「うむ、今は落ち着いておるが、濁流だくりゅうのような娘じゃな。」

「濁流・・・・」

「清流に濁流・・・時同じくして存在するは相克そうこくの道になるじゃろう。」

「あの・・・?」

「そなたには理知りちの光がある。しかしこの乱世らんせ女人にょにんが生きていくには限りがある。」


 その言葉は結城の胸に深く刺さった。身分の高い娘は屋敷に身を置き、天に身を任せている。乱世で戦の敗者となれば、それは戦利品のように相手の武将に下げ渡される。女性は貴重でもあり、貞淑ていしゅくを守らねばならない存在。

 別段、結城が三国志を熟知している訳ではない。ただ、歴史の常として水鏡からもらった言葉をヒントに推測したまでなのだ。


「柚と申した娘は女人として生きる事を選んだ。そなたはどうする?」


 用意された衣服は男子が着るもの。結城は迷わず其れを手に取ると髪を束ねた。

水鏡はだまって出て行く。それが承諾の変わりだった。

 多くをたずねぬ代わりに、今からの生き方を考えよ、と暗に黙した諭し方。


 しばらくして柚が部屋の中に駆け込んでくる。


「大丈夫だったのね・・・良かった。あの水鏡ってお爺さん変な事聞くんだもん。 『乱世の今、女子として貫くか男子として隠れるか、どちらを選ぶかな』なんて、失礼しちゃうわよね 勿論もちろん、私は女の子の衣装を取ったんだけど、あれ・・・なんでユウはそんな格好なの?こっちの方が可愛いのに。」


 論点はそんな外見の事ではないのだ。その真意に柚は気付いていない。それを口にするのも億劫おっくうであったが、人生の大事を決める分岐を安易あんいに決定させてしまうこともできない。結城は柚に順を追って話すべく重い口を開いた。


「柚、どうやら私達・・・中国の三国時代に来てしまったみたい。判りやすく言えば西暦200年~210年ぐらいの時代。」

「・・・・それ、どういう意味?」

「あの教会の宝物庫で何があったのか判らないけど、タイムスリップか・・・もしかしたら二人で夢を見てるのか・・・・。」

「・・・・・・・。」


衝撃しょうげきだったのだろう。口を閉ざして驚く柚に、結城はこれからのことを話した。


「夢なら・・・覚めるまでこのまま。本当に来ちゃってるのなら・・・・戻れるまで身の振り方を考えなくちゃ・・・」

「戻れない・・・・」

「ここから良く聞いて。この戦乱の時代は群雄割拠ぐんゆうかっきょって言ってね、強い者が上にのし上がっていくの。 敗者は強者に従うか死を選ぶか・・・特に女性はね、戦利品として男性にあてがわれることもあるの。」

「やだ・・・帰りたい!」

「帰る方法が無い以上、ひっそりと暮らすしかないの!ここでは我侭わがままを言わないでっ!」

「・・・・・酷い・・・我侭なんて・・・・」

「柚が騒ぐといろんな意味で目立つの。だから、男の子の格好して大人しくしてて・・・ね。」

「どうしてよ。」


 らちが明かない。現状をかえりみない柚をかばっていては結城まで危ないのだ。


「柚の気持ちも判るけど、ここは現代じゃないの。もし・・・・女性の格好で誰かに見初められる事があったら・・・・好きでもないのにその人のものになるのよ?」


 余程、ショックだったのだろうか。柚は大粒の涙をこぼして泣き出した。


 泣き出したいのは此方だ、そう思ったが結城は唇を噛んで耐えた。身は偽っても隠し通さねば、今を乗り越えられないのだ。だが親友の次の言葉に断念だんねんせざるを得ない。


「女の子だもん・・・・大人しくしてるから・・・・・これ着ててもいいでしょ?」

「ここでは私に頼らないで・・・柚。自分のやったことは自分で責任を持ってね。」


 何を考えてか、柚は譲らない。仕方なく道を違える覚悟をお互いにしようと、冷たく突き放つ。


「ユウは私の事嫌いだったんだ・・・・だからそんな・・・。」

「だから言ったじゃない。札が出て無くても常識で考えれば入ってはいけない場所はあるんだって。」

「だって・・・・。」

「嫌いとか好きとかではなくて、私は男として生きるの。柚は女としてでしょ?」

「・・・・・・。」

「もし、柚が誰かに見初められても私は着いていけない。それだけは覚えておいてね。」


 誤解されようとも分かたれた道は一緒に歩むことは出来ない。娘の格好を選んだ柚は、水鏡の客人か預かり人となる。

 逆に結城は良くて弟子か小姓こしょうのような使用人とされるだろう。先ほどの水鏡の言葉をとっても、決して生ぬるいものではない。

 だからこそ、お互いこれ以上は干渉かんしょうしない方が為になるのだと結城は説明した。


 きっと、自己嫌悪じこけんおおちいるだろう。それでもお互いの為にハッキリさせなくてはならない領域がある。他人の人生を肩代わりする事も、背負わす事も出来ないのだから。


 問題提議は行った。後は柚がどう心の中で処理するかなのだ。


 室内から飛び出した彼女の後姿を見送り、結城は大きな溜息をついた。


 それでも、なぜか言いようの無い不安が心を占めていた。

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